オリジナルハイヴ最下層、あ号標的前。
 人類が生き残る為の決死の作戦『桜花作戦』。
 一緒に突入した仲間を一人、また一人と失いながら辿り着いたその場所で今、決戦兵器「凄乃皇四型」を駆る白銀武は、苦渋の選択を強いられていた。

 ――――撃ってくれタケル……! 

 ここまで行き残ってくれた仲間、御剣冥夜の懇願の声が響く。
 一度は全機能を停止させられた凄乃皇が、武の呼びかけに応えた00ユニット「鑑純夏」によって奇跡的に再起動し、荷電粒子砲の充電も完了した時、
 冥夜操る武御雷は、あ号標的の攻撃によって機能を奪われ、凄乃皇の胸部荷電粒子砲に磔にされた。
 あ号標的からの浸食を受けて、彼女自身の体も自由を奪われ動けない。
 この戦いを終わらせるにはもう、彼女ごと敵を打ち抜くしか手が無い。
 御剣冥夜は、それをしろと、タケルに懇願する。

 ――――せめて最後は、愛するそなたの手で逝かせてほしいのだ……タケル!

 その言葉に息を詰まらせる武。
 そして冥夜は、その体を侵食される苦痛に耐えながら、自分の言葉を後悔する。
 どうやら自分は、自分で思っている以上に自分に甘いようだ、と。
 墓場まで持っていこうと思っていたその想い。
 それをこんなところで口にしてしまっては、それは全てを武に押し付け背負わせてしまう逃げでしかないではないか。
 そして、優しい彼はそれを背負うだろう。
 そんな負担をかけるつもりは無かったというのに、最後の最後でこれか。情けない。
 しかし、今は武に――――――

 「タケルー―――ッ!!」

 「うわぁぁぁぁぁぁっっ!! ちくしょおおおおおおおおおっ!!!!!」

 冥夜の魂の叫びに応えて、無念の雄叫びと共に武は荷電粒子砲のトリガーを引いた。
 紫の武御雷ごと、全てを焼き尽くすべく放たれる必殺の閃光。
 まぶしい光の本流に晒される中で、冥夜は武への感謝の言葉をつぶやく―――――ありがとう、タケル。そして、すまない――――――
 視界が真っ白に塗りつぶされていくなか、そこに血を分けた姉妹の姿が浮かんで見えた。
 
 「……姉……上…………」

 煌武院悠陽。
 その小さな体に日本という国を背負い、人々の生命を背負い、それでもなお毅然と立ち続ける、私の誇りでもある人。
 その姿に冥夜は、自分は少しでも貴方の力になれたでしょうか、と問い掛ける。
 姉は、優しく微笑んでくれた気がした……

 そして次の瞬間、その姿に赤い髪の少女が重なった。






 「これ以上、絶対死なせないんだから!!!!」






 そんな叫びを聞いたような気がしたが、冥夜の意識はそこで途切れてしまった。




















■ALTERNATIVE NEXT ―例えばこんな結末から始まる物語―■

第一話「IF」





 「……ん……う……」

 気がついてうっすら目を開くと、なにか明るい陽射しが目に痛かった。
 まぶしさに耐えかねてまた目を瞑り、胡乱な意識で頭を働かせる。

 ――――全く、カーテンくらい閉めて欲しいものだ。
 
 しかし、この明るさではそろそろ起きねばまずい時間なのではなかろうか……いや、それどころか既にものすごい寝坊をしているのでは。
 そんなことをぼんやりと考えて数秒、そして我に返った。
 色々な記憶が一気に思い出される。

 「こ…こは!? 私は……生きているのっ……痛っ!」
 
 勢いで起き上がろうとして、体に走った痛みに力が抜け、そのまま再び倒れこんでしまった。
 痛みを堪えながら周囲を見渡すと、白い壁の部屋に薄い黄色のカーテン、窓からは明るい陽射しが差し込み、窓辺にある花瓶には白い花が生けられている。

 「病……室? と、いうことは、私は助かったのか……?」

 たしか、私の呼びかけに応えてタケルが荷電粒子砲の引き金を引いてくれたところまでは覚えている。
 そして、視界が全て強烈な光に包まれて……
 そのあたりで既に記憶はあやふやだった。
 ここがどこの病院なのかは解からないが、今ここでこうしている以上、結果的には助かったということなのだろう……が、あの状況から一体どうやって……?
 体を動かしてみると、いきなり動いたりしなければそれほどひどい痛みも無いようだ。
 無論、先ほどの様にうずくまるほどではないと言うだけで、それなりの痛みは感じる。
 感触からして、殆ど体中に包帯が巻かれているようでもあるし、おそらくはあ号標的の浸食を受けたことによる疵なのだろうと思う。
 ふと、そういえばここが病院なのなら、ナースコールでもすれば誰かしら来てくれるだろうと言うことに思い至り、周辺を見渡してコールスイッチを探していると、扉をノックする音が聞こえた。
 丁度いい、人を呼ぶ手間が省けたか。と返事をする前に、だがしかし扉は開けられ、ノックした来訪者は部屋に入って来た。
 そしてこっちを見て驚きの表情で固まるその来訪者と目があった。

 「冥夜……」

 「タケル……」

 来訪者は白銀武その人であった。

 「そうか……良かった、目が覚めたんだな」

 よほど嬉しいのか武は、冥夜が思わずドキッとするくらいの安心した暖かな笑顔で微笑んだ。
 そして冥夜は思い出してしまった。できれば忘れていたいことだったと思う。
 確か自分は、死を覚悟した間際のドサクサとはいえ、彼に「愛している」などと告白したのではなかったか。
 彼には鑑純夏という愛する女性がいるというのに。
 旅の恥はかき捨て、と言うわけではないが、あの時は最後だと思ったから故に自分の弱さをさらけ出してしまったのだ。それがまさか、生きて再び会うことになろうとはなんたる恥の上塗り。なんと話せばいいのか、そのあたりの経験がトンと皆無な冥夜の思考回路では、良い考えなど浮かぶわけが無かった。

 「ん? どうした、やっぱりまだ調子悪いのか? って、流石に良いわけは無いよな……。どうだ? どっか痛かったりするか?」

 返事をしない冥夜の様子に眉をひそめ、武は心配気に聞いてくる。

 「あ、ああ……うん。痛いといえば体中痛いが、とりあえずは大丈夫のようだ……」

 ここはこのまま黙っていては余計な心配をかけると判断し、とりあえずは武からそのことに触れてこない限りは置いておくことにして、自分の状態を報告した。

 「ある程度はまだ仕方が無いな……。でも、医者が言うには、どうやらあの時の見た目から感じたほど、体のダメージ自体は酷くは無かったらしいんだ。あ号からの侵食枝自体も、本体が消滅したことで枯死していて、それの除去手術もうまくいったって。しばらく安静にしてれば、後遺症も無く今までどおりの体に戻るだろうってさ」

 武の説明に、あの時の記憶が再び蘇る。
 確かに、あの時自分は体中にあ号標的の浸食を受け、自由を奪われ、自分の意思では指一本動かせない状態だった。
 その後は気を失っていて、自分の体がどういう状態だったのかは解からないが、だがまぁ、それほど変わるような事も無かっただろうと想像できる。
 みっともない姿を見られてしまったのかという気恥ずかしさはあるにはあるが、そのおかげで今こうして生きているのなら何も……

 「そうだ、タケルっ! あの時一体何があったのだ!? どうしてあの状況から私は生き長らえることが出来っ……ッ痛!!」

 さっきの今だというのに、余計なことに気をとられたせいで一番肝心なことを失念していたことに気づいた。
 興奮のあまり乗り出そうとして、体に走った激痛にベッドから崩れ落ちそうになったところを武が咄嗟に支えてくれた。

 「焦るなって、聞かれなくても全部説明してやるから。でもその前に、目が覚めたことを医者に報告して診てもらってから、な?」

 「う、うむ。す、すまぬ」

 抱きしめられるような形で支えられ、せっかく意識から追いやっていた先ほどの恥かしさがぶり返してしまう。
 この支えてくれる腕の力強さ、もたれかかった胸板の広さ、これが男と言うものなのか――――――御剣冥夜18歳、ときめきゲージもりもり上昇中。
 武は冥夜をそのままベッドに横にさせると、枕もとにあるナースコールスイッチを押し、患者の意識が戻ったことを告げた。


 





 一通りの検査を終え、医者から傷の具合の説明を受けて、ここが帝都の病院であることと、自分があれから一週間ほど眠っていたことを知った。
 オリジナルハイヴ攻略の報を受け、当時はものすごい盛り上がり方だった世間のお祭りムードも今は大分落ち着いて来てはいるが、それでもまだ人々ははやる気持ちを抑えきれないでいるようだ。
 冥夜を診てくれる医師も看護婦も、冥夜が桜花作戦からの帰還者だということを知っているためか、何度も礼を言われてしまった。
 無論、まさか冥夜がオリジナルハイヴの中枢を破壊した部隊のメンバーであるとまでは流石に判らないようだが、桜花作戦に参加した人間と言うだけで感謝するに充分な理由なのだろう。
 だがそれで、冥夜は自分がもう一つ大事なことを忘れていたことに気づいてしまった。いや、無意識に目を背けていたのかもしれない。
 榊、彩峰、鎧衣、珠瀬……結局4人もの仲間の犠牲の上に、やっとのことで成り立った勝利なのだ。
 とても尋常な難易度の作戦でなかったことは理解している。任務を達成できただけでも奇跡的なことだろう。わかってはいるが、それで納得できるわけもない。失ったものは大きすぎる。
 涙が出そうになるが、こぼれる前にグッと堪える。
 人類が勝利できるかもしれない事実を喜んでいる人たちの前で、その気持ちに水をさしてはいけない。
 私たちは、この笑顔のために戦ってきたのだから。
 あの時本当なら、自分も散っていった者達の中に名を連ねていたはずだった。なにせ荷電粒子砲に呑まれたのだから。
 何が起こったのかはまだわからない。それはこの後、武が教えてくれるだろう。
 とりあえずは榊、彩峰、鎧衣、珠瀬……そなたたちの命は無駄にはならなかったぞ。
 そなたたちの力で、今はおそらく世界中の人々が笑っているのだ。私たちには過ぎる栄誉であろう? 先に逝った伊隅大尉や速瀬中尉、涼宮中尉、柏木達に思う存分誇って見せるといい。
 私は、もうしばらくは楽にはなれないようだ。せいぜいあがいてから皆と会うことになると思う。
 ふふ、世紀の一大作戦だった桜花作戦に参加できず悔しがるかもしれない皆の顔、特に速瀬中尉の顔が拝めないのは、多少惜しくもあるな……
 涙を飲み込み、冥夜は微笑んだ。 










 「ではタケル、詳しいことを聞かせてもらえるだろうか」

 医師達が退室し、外で待っていて入れ替わりに入って来た武にそう声をかけた。
 武はイスをベッドの横に置き座ると、腕を組んで話し始める。

 「ああ、わかってるよ。お前が俺に、お前ごと撃てと言ったあたりからでいいよな」

 「う……」

 痛いところを突かれた。
 見ると、武はなんとも嫌味な笑顔を浮かべている。

 「す……すまぬ……。しかし、あの時はああするしか方法は無かったと……」

 居たたまれなくなり、俯き気味に謝罪を口にする。

 「いや、いいさ。ただ、ちょっとあれは俺にはキツすぎたからな、少しばかりお返ししたかっただけなんだ。ごめんな」

 だが武はふぅと息を吐くと、すまなさそうな、困ったような顔になり謝りかえしてきた。

 「い、いや、よいのだ。そなたに全てを投げてしまったのは私なのだから……。あ……そ、それで、どうなったのだ?」

 よくよく考えればこの話題は不味い。
 このまま行くと触れられたくないところに触れてしまう可能性が高い。
 それに思い至った冥夜は早々に先へと話題を促す。

 「ああ、別にこれと言って難しいことがあるわけじゃないんだけどな……」

 そして武は、あの後のことを話し始めた。







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 「くそっ! くそっ! くそぉぉぉっ!!!!」

 荷電粒子砲の引き金を引いた武が、その無念を凄乃皇のコンソールパネルにガンガンと叩きつける。
 こんなに悔しいのは、前の世界のクリスマスにオルタネイティヴ4の終了を告げられた時以来だ。
 絶望に挫けて、必死に立ち向かって、それでもこの程度が俺の限界なのか。
 食いしばった歯がギシギシと音を立てるのが耳に響く。
 しかし、後悔に時間を費やしている余裕は今は無いことくらい理解している。
 グッと噛みしめて脱出艇を射出する為の突破口――――ハイヴメインシャフトへの穴をあけるため、天上へとバンカーバスターを一斉射する。
 天井の内壁の崩壊、シャフトへの貫通を確認。崩落が収まるのを待って、脱出艇の射出スイッチへと手をかけた時。

 「白銀さん! 待ってください!」

 後部ナビゲートシートに座る凄乃皇の補佐パイロット、社霞が声を上げた。

 「なんだ!?、どうした霞?」

 普段あまり感情を表さない彼女の大きな声に、なに事かあったのかと、網膜投影の片隅に映る彼女へ目を向けた。 

 「前を、前を見てください!」

 前? と疑問を返しながら前方へと注視する。
 そこは、荷電粒子砲によって焼き払われた漆黒の空間。
 ついさっきまでそこに屹立していたあ号標的の姿もなく、うっすら光を放っていた外壁も今はもうその力を発してはいない。
 そんな闇の中に、それは浮かんでいた。

 「あれ……は……」

 淡い光の球体に包まれ、ゆっくりと凄乃皇の上に下りてくる、横たわる人の姿。
 それは紛れも無く……

 「識別信号、御剣さん……です。まだ、弱いですが生命反応もあります……生きてます……」

 喜びのためなのか、涙声で霞は武に継げる。

 「純夏さんが、守ったんです……。もう、誰も死なせないって……ピンポイントでラザフォート場で包んで……」

 「あ……あ……」

 タケルは言葉が出なかった。
 いつも近くで支えてくれた彼女が。 
 自分が殺したと思った彼女が。
 生きていてくれた。
 自然、涙が溢れてきた。

 「白銀さん、早く御剣さんを収容しましょう。もう、ラザフォート場は消滅しています。周囲の大気状況に問題はないですが、急いだ方がいいと思います」
 
 「あ、ああ、そうだな!」

 霞の言葉に、いけないいけないと気を取り直して、涙を乱暴にぬぐって外に出る準備を大急ぎで始める。
 
 凄乃皇の後頭部ハッチから外へ出ると、焼け焦げ煤けた空気の臭いが鼻を突いた。
 周囲の状況に荷電粒子砲の力を生身で感じる。
 こんな威力に晒された冥夜を助けてくれた純夏に、感謝の気持ちを抱かずにはいられない。
 本来、荷電粒子砲発射時にラザフォート場は、後方への反動の相殺と、加速された粒子を包んで指向性を持たせるために使われる。
 そんな中にまた局所的なラザフォート場を作るなど、かなり無茶をしたに違いない。
 純夏の容態も心配だし、とにかく冥夜を収容して急いで基地へ帰るべきだろう。
 武は早足に駆け出した。
 
 凄乃皇の胸の上で横たわる冥夜の元へ辿り着くと、その姿の無残さにまた心が乱れた。
 あ号によるものと思われる侵食の跡が体中に走っている。
 その苦痛はどれほどのものだっただろう。
 こんな状態になりながらも冥夜は、我を失わずに冷静な判断を下していたのかと思うと、自分の情けなさに自分を殴りたくなる。
 その思いから気を取り直した武は、おそるおそる冥夜を抱き上げ、その軽さと柔らかさに驚きつつコクピットへと戻った。

 「よし、これでOKだ。帰ろうぜ、霞。純夏にはもうちょっとだけ辛抱してくれるように伝えてくれ」

 脱出艇のシートを倒して冥夜を寝かせ、ベルトで固定した武は、霞にそう伝えると自分もパイロットシートにつく。

 「…………はい……」

 節目がちに応えて霞も自分の席につく。

 「準備いいな? じゃあ、いくぞ」

 最後の確認をして武は、脱出艇の発射トリガーを引く。
 凄乃皇の胸部装甲の一部がパージされて、収納されていた脱出艇が射出される。
 凄まじいブーストの加速に押されながら、武は遠ざかっていくオリジナルハイヴへ目を向け言葉を投げた。

 「委員長、彩峰、たま、美琴……………………やったぞ……おつかれ……さま……」

 涙がこぼれるまま、武はその打ち付けるGに意識を失った。








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 「鑑が……私を……?」

 その事実に驚いた。
 同じ部隊の仲間ではあるとはいえ、実質ヴァルキリーズに鑑が編入されてからあの作戦まで一週間も無かったのだ。話をした時間などさらに短い。
 それに、もし、最後のあの時の私と武の会話が聞こえていたのだとしたら、私は彼女の愛する男に愛を告げた、本来なら忌避するべき人間だ。
 何を思って私を助けてくれたのかは解からないが、もしかしたら目の前の男と同類の、類稀なお人好しがもう一人いたというのか……。
 武の顔を見ながらそんなことを思う。 

 「ああ……委員長や彩峰たちは、純夏の手の届かないところで逝っちまったから、すぐ近くで手が届いたお前だけでも、と言うことらしい。俺も霞から聞いただけで、直接純夏に聞いたわけじゃないけどな。なにせ純夏は、それこそ最初はオリジナルハイヴへ一人で乗り込むつもりだったらしい。容態が良くないこともあって無茶が過ぎるってんで夕呼先生が丸め込んで、あの作戦になったんだ」

 どうやら過ぎたるお人好しなのは間違いないようだ。
 出来る事なら誰も巻き込みたくは無く、そうなってしまった以上は全員なにがなんでも守るつもりだったのだろう。
 しかし、なんでも一人でできるほどこの世は甘くない。そういう意味では現実を舐めているともいえるかもしれない。
 でも、極最近まで一般人だった人間では、それも仕方ないのかもしれない。
 そんな風に考えてしまうのは、純夏の秘密を知らない冥夜としては至極当然とも言えることだった。
 それと同時に冥夜は、武が割とクレバーに榊達のことを口にする事にも少々驚いた。
 だが、考えてみれば自分は一週間も眠っていたのだ。きっとその間、この男は一人で耐え、様々な気持ちに決着をつけたのであろうと思い至り、ならば自分がそこに無用な気を使うことは逆に失礼になると考えた。

 「そうか……それで、鑑や社はどうしている? できれば鑑には助けてもらった礼を言いたいのだが」

 助けてくれた相手に礼を言いたい。なんの気になしに当たり前のことを聞いたつもりだった。
 だが、意外なほどに武はその言葉に表情を変えた。
 一体何事かと、冥夜は心をざらつかせた。
 
 「ああ、霞は怪我も何も無く元気だ。変わらず夕呼先生の所で仕事してるよ」

 そうか、それは何よりではある。
 だが、と言うことは武がこんな顔をしている原因は自然……







 「純夏は…………なんて言えばいいのかな……生きてはいるけど、それだけ、と言うか……」





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 国連軍横浜基地。
 オリジナルハイヴ破壊の報を受け、基地中が歓喜の声を上げている中に、人類を救った英雄の乗るシャトルが着陸した。
 基地にいる全ての人間が出てきているのではないかというくらいの人が、着陸したシャトルを遠巻きに取り囲んだ。

 「白銀さん……白銀さん……」

 コクピットで気を失っている武を霞が揺り起こしていた。
 武の頬には涙の跡が残っていたが、霞はそれを優しく拭い取る。だが、これから自分はもっと過酷な現実を、彼に説明しなければいけない。
 つらいけど、いやだけど、それをするのは自分の義務だと、震える足をおさえる。

 「ん……霞……?」

 武が目を覚ました。
 弱い心がまた逃げ出しそうになる。
 でも、自分はもうよわむしじゃない、白銀さんの様に強くなるの、と踏みとどまる。

 「着きました、ここは横浜基地です。今は機体の冷却作業をしています」

 半分寝ぼけたような武に現状を説明する。

 「!! そうか、帰って来たんだな……」

 「はい……」

 がばっと起き上がり、確認する武。

 「外では私たちの帰還を喜んでくれる人たちが大勢シャトルを囲んでいます。冥夜さんの容態も、苦しそうではありますがなんとか安定しています」

 どうやら逸早く目が覚めていた霞は、そのあたりのことを全て確認しておいてくれたようだ。
 さっさと起こしてくれれば良いものを、のんきに気を失ってる自分がアホみたいでちょっと情けない武だった。
 ぐしぐしと頭を掻きながら武も状況の確認に務める。

 「そうか、いろいろやってくれてありがとうな霞。そういえば純夏はどうしてる?」

 来た。
 とうとうその時が来てしまった。
 また足が震え始めた。我慢していた涙が溢れてきた。

 「………………純夏……さん、は……」

 ただならぬ霞の様子に、武は純夏に何かがあったことを理解した。

 「どうした霞? 大丈夫か? 純夏に……純夏になにがあったんだ!?」

 霞の小さな肩を掴み揺さぶる武。
 その力に顔をしかめる霞だが、あえて拒否はしなかった。これは、自分が受けるべき痛みだと。

 「純夏……さんは……」

 しかし、その後の言葉が口に出せない。
 これは無理かと業を煮やした武は、純夏の収容されているはずのカーゴベイへと走った。
 焦りで震える手で、何度も間違えながら00ユニットカプセルのハッチ開閉パネルへ暗証コードを入力する。
 重い音とともにハッチが開き、そこには、強化スーツの胸元に大事そうにサンタウサギの人形を抱いて、綺麗な顔で眠る純夏がいた。

 「純夏……? 純夏……?」

 おそるおそるその体を揺すって声をかける武。
 しかし、純夏に変化はない。

 「純夏! おい、純夏ってば!!」

 我を忘れて純夏を揺さぶって起こそうとする武。
 だがその目が開かれる事は無い。
 なおも純夏を起こそうとする武に

 「やめてください! 白銀さん!」

 霞は後ろから抱きつき武を止めた。
 ハッと我にかえると武は、背後の霞に問い掛けた。

 「霞……純夏は、純夏はどうなっちまったんだ……?」

 抱きついた武の背中に顔をうずめながら、霞は言葉を搾り出す。

 「純夏さんは……冥夜さんを助けた直後に、機能を……停止しました」

 そのまま霞は、これまでのことを語り始めた。
 反応炉のこと。
 ODLによる情報漏洩のこと。
 反応炉の停止により純夏があまり長く持たないこと。
 それを覚悟で速瀬中尉に反応炉の破壊を促したこと。
 因果導体のこと。
 自分が武をこんな運命に導いてしまったこと。
 全てを自分で解決して、これ以上誰も巻き込みたくなかったこと。
 最後の方はもう、霞の涙声で途切れ途切れな説明だったが、武はそれをしっかり聞いた。
 何度も自分も涙が落ちそうになったが、その度に飲み込んで最後まで聞いた。
 そして武は思う。
 純夏の覚悟はわかったが、一人で背負い込むことは無かっただろう。
 俺にすらそれを分けてくれなかったのは、お前が優しすぎるからか。
 もう変えられない結末なら、知らない方がいいとでも思ったのか。
 だとしたら恨むぞ純夏。最後にお前は、俺にこんな泣き言を言わせるんだからな……

 「霞……五分……いや、三分だけ、時間を貰ってもいいかな……。早く冥夜を病院に運ばなきゃいけないけど、三分だけ……そうしたら、俺は……いつもの俺でみんなの前に立つからさ……」

 それを聞いて霞は武の背から離れ、「機体のチェックをしています」と言い残し、コクピットブロックへと出て行った。

 「ありがとう……霞……」

 立ち去る霞の背中に礼を言う武だが、ドアが閉まったその瞬間が限界だった。
 ポタ……ポタ……と、眠る純夏の顔に水滴が落ちる。

 「うああああああああああああ!!!! すみかぁあああああああああ!!!!」

 純夏を抱きしめ、声を上げて武は泣いた。





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 その後、夕呼先生の詳細なチェックにより、純夏は完全に機能停止してしまったわけではないことを教えてもらった。
 だが、今の状況では現状維持が限界。再起動できるようにするには、どうしても反応炉が必要になると。
 そしてそれは、今の段階では限りなくゼロに近い可能性であると。
 それともう一つ、原因はよく解からないが、武は未だにこの世界に固定されていることも後に判明した。
 無論、冥夜への説明ではそのあたりの事は適当に誤魔化して、純夏は意識不明の重体、植物状態のようなものだと止めた。

 「……!!」

 冥夜は言葉が出なかった。
 鑑の現状についてもそうだが、それを口にする武の表情に。
 笑顔である。笑顔ではあるが、これほど今にも崩れ落ちそうな武を見たことは無かった。
 あまりにも無理をしすぎていて、このままではまた神宮司教官の時のようになってしまうのではないかとさえ思えるように。
 あの時、自分は武を支える事ができなかった。逆に追い込んでさえしまった。同じ失敗は繰り返したくない。今度こそ武を支えてやりたい。207の皆の分まで。

 「タケル」

 意を決した冥夜は武の腕を取り、引き寄せ、武をその胸に抱き込んだ。

 「め、冥夜!?」

 「タケル、鑑もそうであったようだが、一人で背負い込むな。愛する人がそんな目にあえば、誰だって辛い。辛ければ誰かに縋ってもいいと思う。私ではその相手には不足かもしれんが、それでも私はそなたを支えたいと思っている。薬によって抑制されていた神宮司教官の時と違って、今のそなたは自由に泣けるのだ。そなたは前に言っていたな、私はそなたにとって尊い人間だと。人として、仲間として、私などの懐でよければ思う存分泣いて欲しい。そして……立ち直って欲しい……」

 ゆっくりと、諭すように胸の中の武に語りかける冥夜。
 抱きしめる腕にも体にも痛みが走るが、こんなもの、武の心の痛みに比べれば蚊に刺されたようなものだ。
 武は、そのぬくもりに、何か凝り固まっていた意地のようなものが溶けていくのを感じた。
 皆の前では普通にしていなければいけない。絶対に涙を見せるな。そう自分に言い聞かせてきた。
 特に武は基地内で、桜花作戦を成功させた英雄と周知の事実になってしまっているので、なおさら弱いところを見せるわけにはいかなかったのだ。
 それが、人の暖かさに包まれ、ゆっくりと溶けていく。これが女性の包容力というのだろうか。母性と言うものなのだろうか。
 固まった氷が溶けて、剥き出しの感情が表に出始めてきた。

 「う……くぅ……ふうぅ……」

 シャトルの時のように声を上げこそしなかったが、武はいつしか冥夜の背に腕を回し、その暖かい胸の中で静かに泣かせてもらった。







 さて、その背中を優しくさすってやっていた冥夜だが、やがて少々困った事態に陥ってしまった。

 「タケル……。タケル……?」

 どうやら武は泣きながらその場で眠ってしまったようだ。
 相当深い眠りらしく早々起きそうも無いし、起こすのも気の毒な気がした。
 おそらく、肉体的にも精神的にも相当疲れていたのだろう。
 極限状態の桜花作戦から続けてこれまで、鑑の現実や榊達との死別などと戦いつづけてきたのだろうから。
 そっと武の顔を覗き込むと、涙でぐしゃぐしゃではあるが、とても安らかな寝顔をしていた。
 些か不謹慎なような気もしないでは無いが、自分がその安らぎを与える事が出来たことに冥夜は満足し、幸せな気持ちをかみ締めた。
 オリジナルハイヴを制したとはいえ、現実はまだまだ厳しい。BETAとの戦いは続くのだ。その中で、ホンの一時とはいえ安らぎを得ることに、何の不都合があろう。
 しかも武は、人類の勝利のために走りつづけて来たのだ。少しくらい休んだところで誰にも文句は言わせない。
 そう思うと冥夜は、痛む体に鞭打って武をベッドの上に引き上げる。流石に鍛え上げた男の体は重い。
 そのままベッドに横にならせると、涙の跡を拭いてやり、自分は隣のベッドにでも移るかと立ち上がろうとして、なにかに引っかかった。
 見ると武が自分の患者衣を掴んでいる。元々患者衣は、診察する時などに脱ぎやすいように出来ているため、あまり引っ張られるとその……脱げてしまう。
 無為に手を離させるのも忍びなく、しばし悩んだ末、仕方なく冥夜もそのまま同じベッドに横になる。仕方なくである。仕方なく。
 しばらくタケルの寝顔を眺めていた冥夜だったが、やはり冥夜もまだ本調子ではなく、やがてあっさりと眠りに落ちていった。


ALTERNATIVE NEXT 第一話「IF」 END