入院していた先任二人を迎えて急遽執り行われた、帰還を祝しての歓迎会という名目の宴会が終わり、冥夜は疲れた体を引きずって自室へと戻った。
 ただでさえ久々のシミュレーター訓練で疲れていたところへのどんちゃん騒ぎ、いつの間にか誰かが混ぜていた酒も少々入り、流石の冥夜も疲労困憊と言った風体だった。
 しかし、辛かったと言うわけではない。
 ああいう場では何かと張り切る武に、今日はさらに勢いに溢れた咲も加わり、いささか賑やか過ぎる嫌いはあったが、間違いなく楽しかった。
 楽しかったからこそ疲れたのだ。
 しかし、こういう疲れは中々良いものかも知れないと冥夜は思う。
 毎日は流石に勘弁願いたいが、めでたい時くらいはいい。
 こういうのを、本当の「気持ちの良い疲れ」というのか。
 さて、今日のところはさっさと寝てしまうか。とも考えたが冥夜だが、いや酒も入っていることだしもう一度シャワーくらいは浴びて、匂いなど残らないように……と思い直したところで再び先ほどの己の痴態を思い出してしまった。
 顔に血が集まるのが解かる。
 せっかくドタバタ騒ぎに興じて忘れていたと言うのに、これからしばらくはシャワーを浴びようとする度に思い出しそうだ、と溜息をついてしまう。
 まぁ、今後ずっと浴びないわけにもいかないのだし、耐えるしかないだろう。
 そうして冥夜は、再びジャケットを、ズボンを、シャツ、ショーツをベッドの上に脱ぎ捨てると、浴室へと入った。

 「ふぅ……」

 酒で火照った体にシャワーの暖かさが染み渡る。
 だが日本人の習性か、こんな時はゆっくり湯船に浸かりたいものだとも思う。
 個人部屋に備え付けられているのはユニットバスなため、あまりそれには向かないのだ。
 一応、大浴場施設も基地内にはあり、そちらへ行けば広い湯船に足を伸ばして入れるのだが、己の事情の事もあり、これまで一度も使った事は無かった。
 一度行ってみるのも良いか、と今なら思える。
 しかしまぁ、とりあえず今は叶わぬ願いだ。じっくりと体を流し、二の腕や太腿、脹脛などを軽くマッサージしてあがる。
 バスタオルを身体に巻き――別段誰が見ているわけでも無いが、一応乙女の慎みである――浴室から出てもう一つのタオルで頭を拭き、髪の水気を取る。
 その時――――

 「冥夜っ!!」

 バンっと、突然勢いよく部屋のドアが開かれた。
 いきなりの事で驚いて頭を拭いた姿勢で固まる冥夜と、目の前に立つ冥夜の姿に扉を開けた姿勢のまま固まる唐突なエトランゼ、武。
 しかし、恋愛原子核のなせる技はさらにもう一歩先へと進む。

 はらり……と、冥夜の体を包むバスタオルが落ちた。








 「うっきゃー――――――――――っ!!!!」








 廊下にまで響き渡ったその悲鳴は、果たして冥夜のものだったのか武のものだったのか……。






















 ■ALTERNATIVE NEXT ―例えばこんな結末から始まる物語― ■

 第五話 「帝都物語」



















 「……すみませんごめんなさい」

 白銀武は冥夜の部屋で床に正座し頭を垂れていた。
 当然だが冥夜は既に服を着ている。
 あの後、「ばかものー!」とばかりに繰り出された冥夜の蹴り上げが武の……いや、男の急所にクリティカルヒット。
 悶絶している武を見て「あ、ああ……す、すまぬ、つい! 大丈夫かタケル!?」と心配して裸のまま駆け寄る冥夜に「いいからなんか着て」と、息も絶え絶えに言いながら廊下へ文字通り転がり出て、急いで服を着た冥夜に再び部屋に入れられて今に至る。

 「い、いや、良いのだ。いいからもう頭を上げてくれタケル。私の方こそその、あのような所を思い切り……すまない……」

 武のあまりの苦しみ様に冥夜も、ノックもせずに飛び込んできた武の所業を責める事も出来なかった。
 武としては、結局悪いのは自分なので平謝りするしかない。でも、いっそ殺して欲しいと思うほどの痛みでチャラにして欲しいところではある。

 「いいんだ、悪いのは俺なんだから、それで納得しておいてくれるとありがたい。ほんと、ごめんって事で」

 「う、うむ。そなたがそう言うなら……して、大丈夫か? その……そこは……」

 ちらちらと武の下半身に目をやりながら聞いてくる冥夜。
 まだ少し腹の下あたりに重い感覚がある武ではあるが、まぁ潰れてしまったわけでは無いだろうと、冥夜が気を使わないようにする。

 「ああ、大丈夫。別に使いものならなくなったりはしないだろ……」

 「そうか……それなら安心だ」

 なぜかそこにほっと胸をなでおろす冥夜だ。

 「それで、なんだったのだタケル? 何か用があって来たのであろう?」

 入って来た時のタケルの慌て様を思い出し、冥夜は話を戻す。
 そう言われて武は、肝心な事がぶっ飛んでいた事に気づき、「そうだった!」と帝都への召喚状をポケットから取りだし冥夜へと渡した。

 「今日夕呼先生から渡された帝都への召喚状だ、最後の方を読んでくれ」

 冥夜は全体を流し読みしながら、言われたように後半の部分に目を通す。
 そして、武が何を慌てていたのか理解できた。

 「なるほどな……そういうことか」

 読み終えると冥夜は、書状を武へと返して頷く。
 あまり動揺したそぶりが見えない冥夜に、武は疑問を持った。

 「なんか、あんまり驚かないんだな」

 「ふむ……そうだな、予想していなかったわけではないのでな。それほど意外な話ではない」

 そう、あの時月詠が武御雷の貸与を口にした時から、こういったことになるかもしれないことは予想できたのだ。
 その冥夜の言葉につい、それならば何であの時黙って見過ごしたのか、と武は頭に血が上りかける。
 だが、この二人はそんな事は最初から承知で、それを飲み込んででもあの時は武御雷を渡してもらわざるを得なかったのだということに思い至り、頭を冷やす。

 「そうか……でも、これはあんまりじゃないか? 月詠中尉達が武御雷を貸してくれなかったら、桜花作戦の成功なんて殆どありえなかったって言うのに……」

 結果的には最高の機体で挑む事になった桜花作戦だが、最初は間に合わせの撃震やイーグルで出撃するはずだった。
 そのまま出撃していた時の作戦成功率は、今からすれば肝が冷えるなどと言うものではない。

 「タケル。帝国軍、斯衛軍にとって武御雷と言う機体は軽い存在ではない。ただの兵器ではないのだ。あの機体は忠誠を誓う日本という国への、将軍殿下への、そしてそこに生きる自分たちへの誇りなのだ。ましてや私が借り受けたのは将軍殿下専用機。そのようなモノを独断で譲渡してしまったのだ、罪に問われるのは当然のこと……そして月詠中尉はそれを覚悟であの時あの決断をしたのだ」

 それは武にも理解できる。
 しかし、理解はできるが納得はできないと言うのが武の正直なところだった。
 もし桜花作戦が成功していなかったなら、人類の未来は当に潰えていたのである。
 それを、少しでも可能性を上げる為にしたことが、なぜ罪に問われなければいけない。むしろ罪に問われるべきはそれを大破させてしまった自分達ではないのか。
 結局そこには、体面や体裁を取り繕う為の嫌な思惑しか見て取れなかった。
 しかし、おそらくそれを冥夜に言ったところで、それは12.5事件の時の口論の二の舞、解かってはもらえないだろう。
 こればかりは、生まれ育った環境……世界の違いからくる溝なのだ、そう簡単に埋められるものではない。

 「それじゃあ……お前はこれでいいって言うのか? 武御雷がそれ程の物なのなら、下手すれば銃殺刑とかだって本当にありうるんじゃないのか?」

 『これでもし貴様達が任務に失敗すれば、私は銃殺刑モノだな』
 月詠はあの時そう言っていた。
 冗談めかして言っていたことではあるが、全くありえないことだったならそもそも思いついたりしないだろう。

 「それこそまさかだ、タケル。私とて座して見ているつもりは無い。我々にできる事などたかが知れているが、それでも出来る限りの事をしよう」

 その言葉を聞いて武は安心した。
 やはり冥夜は冥夜だと。
 確かに言うとおり、月詠への裁判において自分たちにできる事なんて殆ど無いのだろう。
 だが、それでもあの時の月詠の判断に間違いは無かった事を、それがなければ人類の未来は無かったかもしれない事を証言すれば、情状酌量くらいの余地は稼げるかもしれないのだ。

 「そうか……ありがとう冥夜」

 「何を言う、礼を言うのは私の方だ。そなたの月詠中尉への心遣い、心より感謝する」

 そう言って頭を下げる冥夜。
 言われてみれば、月詠は冥夜の言わば身内。自分などよりも冥夜のほうが遥かに心配していたであろう事は当然だった。
 まるで自分が月詠の姉弟家族でもあるかのごとく思ってしまっていた武は、その浅はかな思いが何となく恥かしく感じてしまった。

 「い、いいんだよ、当然のことだって。それじゃあ明日にでもみんなで、いつ向こうへ行くか決めちゃった方が良いな。できるだけ早い方がいいだろうし……ああ、でも月詠中尉の事で関係があるのって俺と冥夜だけか。みんなには話さない方がいいのかな?」

 咲や芳乃、茜がどれほど月詠と面識があるのかはわからないが、まぁ間違いなく武や冥夜ほどの繋がりは無いだろう。
 それに、事が武御雷の譲渡なら、当事者と言えるのは自分と冥夜だけだ。

 「いや、隠しておく意味もあるまい。話しておけば、何か力になってもらえることもあるかも知れぬしな」

 「それもそうか、隠しておいて変に拗れたりしてもやだしな。それじゃ明日、みんなには説明するって事で」

 了解した、と冥夜。
 焦っていた心がどっと楽になって、肩の力を抜く武。冥夜が傍で支えてくれると言うのが、本当に頼もしく感じた。
 だからと言ってここでそのことに礼を言ったところで、「当然のことだ」と素直には受け取ってはもらえないだろうが。
 まぁそれは、おいおい別のことで感謝を表していけばいい。

 「さてそれじゃ、疲れてるところ悪かったな」

 「いやなに、これも私の役目だ、どうということは無い」

 「じゃあ、お休み」と自室へ戻る武を見送って、冥夜は溜息をついた。

 「そうか、月詠が……」

 予想していた事が現実になった。
 武には大丈夫なような事を言ったが、冥夜は事が事なだけに実際にはそう簡単に済む話ではないと思っている。
 しかし、さっき自分でも口にしたとおり、だからと言ってできる事などあまりにも限られている。
 今の自分は一介の衛士……それも国連軍に所属する身だ。帝国軍に介入する術などありはしない。
 疲れた身体にさらに憂鬱な気分が重なって、なんだかベッドに横になることすら億劫に感じてしまう。
 こんな時にこそ、愛する人に傍にいて欲しいと思ってしまうのは甘えだろうか……。



















 「しかし何やな。帝国軍っちゅーのは、相も変わらず堅っ苦しくていけ好かんなぁ」

 あれから三日。膳は急げと言う事で早急に決まった帝国行き。
 A-01を乗せた兵員輸送トラックの中で咲がぼやいた。
 すでに、桜花作戦の時にいなかった咲や芳乃にも、あの時の事のあらましは説明してある。
 関わりあう事はほぼなかったようだが、国連基地に帝国斯衛兵などが常駐していれば嫌でも目立つ。詳しい事情などは知らなかったが、二人とも月詠の事自体は知っていたようだった。
 そして、現在その月詠がどうなっているかの話を聞いての台詞が、今の咲のぼやきである。

 「うん? 濱矢中尉、帝国軍嫌いなんですか? 日本人なのに」

 咲の隣に座っていた武が――実際は武の隣に咲が座ったのだが――咲のその言葉に「おや?」と思って聞いた。
 総じて日本人は反米感情が高い。そして米軍はもとより、その影響力の強い国連軍にさえもあまり好意的ではなく、その分自国の雄でもある帝国軍には皆並々ならぬ思い入れがあると思っていたからだ。

 「嫌いっちゅうわけやないけどなぁ……まぁ、日本人全員が諸手あげて帝国軍に賛同してるわけでもないやろ。せやなければそもそもクーデターなんて起こらへんわ。ウチはあの堅っ苦しさが性にあわんで国連に志願したったんやけどね。そう言う隊長はんも、その言い方やとあんまり帝国軍を良くは思っとらんみたいやけど?」

 「え? ああ、まぁ……」

 咲と同じく嫌いという程ではないが、正直、色々と引っかかるところはある武である。
 しかし、直接武にどうこうというわけではないが、これまで何かと世話になった事もあるし、あまり悪くも言えない。

 「ふふ。タケルの思考は米国寄り……と、彼の月詠中尉にも言われましたゆえな」

 武が口篭もったのを見て、武の左隣、咲の反対側に座る冥夜が口を挟んできた。
 そういえばそんな事もあったなぁ、と武は思い出す。
 あの時は何故、『人類が生き残る為には一丸となってBETAを駆逐しなくてはいけない』などという簡単なことが理解してもらえないのか散々悩まされた。
 今もまだ、その答えが見つかったわけではないが。

 「なんやて! 隊長はんはアメ公なんか! ほな、ウチの敵っちゅうわけやな! よっしゃ、相手になったるで!」

 「わ、ちょ、ちょっと濱矢中尉!」

 冥夜の言葉を聞いた咲が、嬉々として横から武にヘッドロックをかけて来る。
 もちろん、そんな事をされれば咲の豊満な双丘が顔に押し付けられるわけで、武としてはたまったものではない。

 「うりゃうりゃうりゃ。参ったと言わんかいアメ公め〜」

 むにむに、むにむに、顔を包むやわらかさが暴れまわる。

 「うわ、わ、わ、ギブ! ギブですって! 大体、俺たちの敵は米国人じゃなくてBETAでしょう!!」

 「む、確かにそれは一理あるなぁ」

 言われて何かに気づいたように、咲はパッと手を離す。
 武は天国への拷問から開放され、「一理じゃなくて、真理だと思うんですけどね……」と、ほうっと一息つく。
 ふと前に目をやると、対面席に座る茜のジト目と目があってしまい、慌てて目をそらせばそこには茜の横に座っている、自分の胸に両手の平をかぶせてなにか思い詰めた感じの霞がいた。
 ちなみに、霞はまだA-01のメンバーではないが、桜花作戦実行部隊の参加者として同行する事となった。 
 正規兵ではないので、一人だけ訓練兵用の白い制服姿だ。
 普段からずっと黒い服を着ていただけに、真逆の白い服というのは中々新鮮な気がする武である。

 「ふーむ……ところで、『ぎぶ』ってなんや? 隊長はん」

 「え? ああ、えと」

 きょとんと聞いてくる咲に、武は「またやっちまった」と頭を掻いた。
 一々説明するのも面倒くさいと、こちらの言葉遣いに出来るだけあわせるようにしているのだが、やはり咄嗟の時にはついつい体に染み付いた元の世界の言葉が出てしまう。

 「ふむ、久しぶりに新しい白銀語が出たようだな」

 「白銀語?」

 冥夜の呟きに茜が聞いてきた。

 「うむ。時々だが、タケルが口にするおかしな言葉をそう呼んでいるのだ。そなたも『マジ』など幾つかは聞いた事があろう」

 その説明に茜は、「ああ、ああいうのの事ね」と納得する。
 これまであえて聞く事はしなかったが、武との会話に稀に、よく意味のわからない言葉があるのは気になっていたのだ。

 「大体は複数の言葉を繋げて省略したようなものが多い傾向があるな。ただ、日本語とそれ以外の言語が混じる事もあるので中々に難しい。『土壇場でキャンセル』という意味で『ドタキャン』などと言う」

 少し得意気に白銀語の解説をする冥夜。
 武の観察、研究には一日の長があるのだ。

 「へぇ……英語も混じるって、やっぱり白銀は米国にいたことがあるの?」

 「え? ああ……まぁ、そんな感じかな」

 茜が聞いてくるが、外国というか他の世界なんだけどな、とは流石に言えない。しかし、あながち的外れとも言えないのだし、それでいいかと適当に相槌を打っておく。

 「でも、『ぎぶ』は短すぎて複数の単語の省略系という感じじゃないですね……さしずめ、英語の『ギブアップ』の意……ですか?」

 芳乃までが白銀語談義に参加して来た。
 それを聞いて咲と茜が「ああ、なるほど」と納得して頷く。
 武は「これだから気をつけてたのになぁ……」と、項垂れた。

 国連軍兵士が運転してくれている武達が乗るトラックが帝都に入ったのは、そんな時だった。












 帝都内にある帝国軍本部へと到着すると、待っていた帝国軍仕官がこれから数日滞在する事になる武達を、宿泊する施設へと案内してくれた。
 部屋内の仕様等を一通り説明した後、将軍殿下との謁見は明日の10:00となる事、それまでは帝都の街へ出るなどは許可さえ取ってもらえれば自由にして構わないことなどを告げ、その仕官は去っていった。
 さて、与えられた部屋は3つ。使う人間は武・冥夜・茜・咲・芳乃・霞の6人。

 「………………」
 
 「………………」

 「………………」

 そこに誰からともなく、内3人による無言の牽制合戦が始まった。
 何を言うでもなく、チラチラとお互いの様子を確認しあうその姿は、些か挙動不審な感じだ。
 咲はあえてそれには参加せず、なにやら面白そうに傍観している。
 芳乃は特に何も気にしていないようだ。

 「さて、じゃあどうやって部屋割りするか……。俺が一部屋貰うことになるかな……」

 「ややや、まちぃな隊長はん。部屋は全部二人部屋や。それやと一組は二人部屋に三人で入る事になるやろ。ちとばかし窮屈んなってまうんちゃう?」 

 武の言葉に咲が、面白そうな事は逃がすまい、とすかさず反論する。

 「え? でも、それじゃどうやって……」

 「どうやってもなにも、難しいことなんかあれへんやろ。二人づつ分ければいいことですわ」

 『え"』と武は詰まってしまう。
 確かに軍人としては、性別がどうとかは言い訳には出来ない。
 しかし、だからと言って今の状況がそれに当てはまるかといえば、そんな事は無いだろうと思う。
 部屋だって、ベッドは確かに二つしかないが、広さ的には三人入っても問題はなさそうだし、霞辺りなら一つのベッドに二人で寝てもさほど窮屈にはならないだろう。

 「そ、それは流石に不味いですって!」

 主に俺の精神的に! と、武は心中で叫ぶ。

 「タ、タケル、何を気にする事がある。我々は仲間だ。寝食を共にするくらいはどうということも無いではないか?」

 「私は、以前にも白銀さんと一緒に生活していますから……」

 「えっ、そうなの!? 社」

 平静を装って言う冥夜と、いらん事を暴露する霞。そしてその事実に驚く茜。   
 なにやら喧々轟々として来た状況に、武は一喝して吼える。

 「だー! とにかくっ 部屋割りは俺が決めます! 俺が一部屋使わせてもらうから、冥夜と濱矢中尉で一部屋! 後の三人でもう一部屋! これで決定です!」

 比較的大柄な冥夜と咲の二人で一部屋使えば、後の三人は小柄だから二人部屋に三人でも問題ないと判断する。
 咲が「一人で悠々自適なんて横暴やー。 隊長はんのヘタレー」などと喚くが、「隊長命令です!」と強権発動で黙らせる。
 霞の目が「よわむし」と蔑んでるように見えるが気のせいだ。純夏の事を知ってる霞がそんな事を思うはずが無いのだ。いや、それを言えば冥夜も茜も知ってはいるはずなのだが。
 とにかく、それぞれを部屋に押し込んで、武も早々に自室とした部屋に引っ込んだ。

 「あはは、純な人やねぇ」

 冥夜と共に部屋に押し込まれた咲は、荷物を置きながらそんな事を呟いた。

 「ふふ、そうですね。そして、誰にでも優しい……。まぁ、優しすぎるのがタマにキズではあるのですが……」

 そう答える冥夜の表情は、とても優しく、そしてとても寂しげだった。
 それを見た咲は、これは相当本気やなぁと思う。
 だが、そうすると少々解せない事もある。

 「隊長はんは、不思議な人やね」

 「は?」

 いきなりで、何の話だかわからなかった冥夜は、気の抜けた声で聞き返してしまった。

 「なんて言うんやろな……あれだけ周りの人間に心許させる人徳は貴重や思う。そのせいで人は集ってくるけど、自分からは一定の距離を詰めようとも離そうともせえへんよね。でも、寄って来たモンに対してはとんでもない包容力を持っとるから、一度輪に入ると中々抜け出せそうにあれへん。こういうんは……優しい……て言うんやろか」

 冥夜は驚愕した。
 咲が言ってることは確実に的を射ていたから。
 武の人柄を話すのに、その説明はまったく正しいと思えた。
 武達と咲達が出会ってまだ数日。それでそこまで見抜く咲の人を見る目に、素直に感服した。

 「でも、なんやろな。何か……何かを無性に恐がっとる……気がする。自分から近づいて来ようとせぇへんのは、多分そのせいや。……なぁ御剣はん……隊長はんって……誰か好いた人がおれへんか?」

 その言葉に、冥夜は背中が冷えるのを感じた。
 恐らく、誰も咲達には純夏の事などあえて語ったりはしていないのだろう。
 そしてそれは、安易に触れて良い場所ではない。

 「その話は……お許し願えませんか。それについては私などがここで軽々しく話して良いものとは思えません故……。いずれ、タケルの口から聞く事もできると思います」

 答えられないとは言っているが、それは既に武には想い人がいると認めているようなものであった。
 そしてそうなると、人に言うには憚られる何かが、武とその良い人には『あった』、もしくは現在進行形で『ある』ということか、と咲は推測する。
 今の世にありがちな『死別』などという結果なら、これほど口を噤みはしないだろう。という事は後者……現在進行形である可能性が高い。
 流石の咲でも、それを根掘り葉掘り確かめるほど恥知らずではない。冥夜の言うとおり、いずれ知る事もあるだろうと今は置いておく。
 だがそれならば、この一途に武を想う少女の気持ちはどこに行くのか……。咲にもその先を予測する事はできなかった。

 しかしまぁ、武を少なからず想っているのは冥夜一人ではないようだし、それはそれで面白いのでいいか。と、咲は天性の楽観主義性を発揮してぶん投げた。

 同じ頃、隣の部屋では。

 「ねぇ、社? さっきの話って本当?」

 「?」

 「ホラ、さっき言ってたでしょ。白銀と一緒に生活してたって。あれ。」

 「本当です。白銀さんがまだ訓練兵だった時、香月博士の特殊任務に関する事で必要になったので、少しの間ですが白銀さんの部屋で一緒に生活しました」

 「うわぁ、そうなんだ。それでそれで?」

 「…………」

 きゃらきゃらと霞に話を聞く茜と、手元の本に目をやりつつも聞き耳を立てている芳乃。
 軍人とはいえ年頃の娘さんは、やはりその手の話には興味津々なようだ。 















 
 「こちらでお待ちください、大尉殿」

 武と冥夜は、二つの部屋をガラス板で仕切ったような一室に案内された。
 そこは帝国軍警察留置施設の面会室である。

 あの後武と冥夜は、月詠真那と会う事ができないかを、武達の世話係になっている帝国軍下士官に尋ねてみた。
 しかし返ってきたのは「今は投獄中である」と言う答えだった。
 投獄されているという事実自体が、月詠が如何に重い罪に問われているかを二人に否が応でも理解させる。
 しかし、どうやら投獄されているのは月詠一人で、他三人の少尉は謹慎処分中ということが、ほんの少しだけ救われる思いだった。
 それならばと月詠との面会を申し出てみたのだが、さもすれば許可はされないかとも思っていたその面会希望が、とりあえずは受け入れてもらえて今に至る。
 月詠と特に深い面識の無い、武と冥夜以外の面子は帝都の街へと繰り出していった。
 月詠の事さえなければ、今回の帝都訪問は嬉しいものになったに違いないと、武は残念でならない。
 武は、仕切りガラスの前にある椅子を引いて冥夜を座らせると、自分はその斜め後ろに立って待つことにした。こと月詠相手の話なら、中心になるべきは冥夜だと思ったから。
 待つこと数刻。すると、ガラスの向こう側の部屋にある扉が開かれ、見張りの看守と一緒に白い簡素なシャツとパンツ姿の月詠が入室してきた。
 月詠の様子は、化粧っ気こそないが特に乱れた様子は見えない。多少髪がほつれ、頬がやつれたような印象は受けるが、とりあえずは元気なようで武は安心した。
 冥夜が立ち上がり武とそろって敬礼すると、月詠もそれに敬礼で返す。

 「月詠中尉……」

 「まずは、昇進おめでとうございます。白銀大尉、御剣中尉」

 気張って面会に来はしたものの、いざ本人を前にすると何を言っていいかわからない武に、月詠の方から言葉をかけてきた。

 「うわ、もう知ってたんですか。ほんの三日前のことなのに」

 「ふふ。ええ、何かとそういうことを教えにくる、お節介な者がいるのですよ」

 獄中だというのに耳の早い月詠に素直に感心する武に、別段頼んだわけでも無いのに困ったものです。と、少し呆れ気味に言う月詠。
 内心、いいのかそれは、と思わないでも無い武だったが、こういう場所のことなぞ全く知らないだけに判断のしようもなかった。

 「もう一つ、白銀大尉、御剣中尉。桜花作戦の完遂、おめでとうございます」

 続いて月詠は、作戦終了後に早々にこちらへ召還された為に言うことが出来なかった言葉を二人に伝える。
 
 「そして白銀大尉」

 「え?」

 そして月詠は、武に顔を向けると、深く頭を下げた。

 「約束を守っていただけた事、心より感謝します」

 約束。
 恐らくそれは、あの丘で冥夜のことをよろしく頼まれた事を言っているのだろうと、武は思った。
 あの時月詠は、冥夜が生きるか死ぬかはたいした問題ではないと言った。如何に生きたかが大事なのだと。
 それはある意味正しいと武も思う。しかし、だからと言って死んで構わないというわけではないのだ。
 自分が想う相手が生きて帰って、喜ばない者はいない。
 でもそれは、武自信が成し得た事ではない。
 勿論、月詠がそれ以外の散っていった仲間たちを蔑ろにしているわけではない事は解かっている。
 だから、武が返す言葉は一つだ。

 「その言葉は、俺だけで受けるわけには行きません。俺が代表して受け取っておきますから、それは俺たちを支えてくれた皆に送ってください」

 そう、今はもういない、かけがえの無い仲間たちにこそ、その感謝の心は送られるべきなのだ。

 「そうですか……それでは、お願いします。よろしくお伝えください」

 傍で聞いている冥夜には要領を得ない会話ではあるが、だからと言って横から口を挟むほど無粋ではない。
 二人の間には何かの約束事があって、武はそれを果して見せた。そういうことなのだろうと言うだけで十分だ。  

 「それで、月詠中尉。今回の事は……」

 前置きが一段落したところで、話を本題に戻そうと口を開く武だが、やはり何を言えばいいのかわからず、途中で言葉が止まってしまう。
 その様子に月詠は、何も負う所のないようなさっぱりとした表情で言った。

 「なに、全ては自業自得。己の不徳の致す所。お二人が気に病む事などありません」

 その言葉と表情に、やはりこの人は最初から解かっていて、全てを自分だけで背負うつもりなのだと、武は確信した。
 帝都へ向かう日取りを決定した後、武は夕呼から聞いたのだ。月詠の処分に関わる話を。
 そう、夕呼も一応は月詠の身の上を気にかけて、手を尽くそうとはしていたのである。本人曰く『借りを作るのは面白くない』からだそうだが。
 具体的には、あの時武にもポツリと漏らしていたように、武御雷の譲渡をオルタネイティヴ4権限でこちらが徴収したとする事である。そうすれば、月詠にかかる罪状は大分軽くできるはずだから。
 あの時は夕呼もかなりテンパっていたため、月詠が武御雷の譲渡を申し出た事を武から聞くまで、全く意識に上っていなかった。
 それゆえに事後の事になってしまったが、月詠にその話自体は持ちかけていたのだ。
 しかし、月詠はそれを突っ撥ねたのだという。
 その理由は夕呼には教えてもらえなかったが、その後月詠の性格なども踏まえて色々考えていた時、その前夜にした冥夜との会話がヒントとなって朧気にだが見えた気がした。
 おそらく月詠は、この件で横浜基地と帝国軍の折り合いが悪くなる可能性を避けたのではないかと。
 武御雷が冥夜が言うほどの存在なのならば、いくら日本主導のオルタネイティブ4権限とはいえ、将軍専用機まで借り受けたのだ。全ての帝国軍人を納得させる事は難しいだろう。どうしてもそこにはしこりが残る。
 12.5事件の時に知った帝国の内情を考えれば、これ幸いと騒ぎ立てる輩も出ないとも限らない。
 そうなれば、せっかく武達の活躍で国連軍への日本帝国民の理解が少しは上がったというのに、元の木阿弥となる。
 さらには、それによってオルタネイティヴ4に影響が出れば、直轄部隊に所属する冥夜にまで余計な負担がかかる事になりかねないのだ。
 この予想が正しいのかどうかはわからない。
 しかし、今の月詠を見て、それ程間違ってはいないだろうと思う。
 だがそれでは、月詠を助けるには今のままで全てを丸く収めなくてはいけない事になり……それは不可能に近いと、武には思えた。
 
 「月詠中尉。御家の方とは……どうなっておられますか?」

 武がそんな事を考えていると、それまで黙っていた冥夜が月詠に問い掛けた。
 それを聞いて月詠は口元を綻ばせる。

 「ふふ、流石に御剣中尉にはお見通しか。なに、既に家長には勘当を言い渡されているのでな。それ以降どうなっているのかは私にもわからん」

 「……っ!!」

 それを聞いて今度は冥夜が月詠の覚悟に驚かされた。いや、解かっていたつもりだったが、さらにその上を行っていたと言うべきか。
 月詠家の家督は、一年位前に月詠真那の父君が亡くなられて長兄の月詠芭空へと受け継がれたと聞く。
 そしてその長兄は妹達を相当大事にしていた人物らしく、そんな人がそう簡単に妹を切り捨てるとは考えにくい。
 だとすれば恐らく、月詠自らがそう望んで、早い段階で兄に手を打って貰ったと考えるべきだろう。御家への影響をできるだけ抑える為に。

 「そうですか……私からは、それだけです……お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。我々はこれで失礼します」

 「え、冥夜?」

 早々に話を切り上げ、再び敬礼をして席を立とうとする冥夜に、武は戸惑った。

 「良いのだ、タケル。行こう」

 「あ、ああ。すみません、それでは失礼します」

 冥夜に腕を引かれ、慌てながらも月詠に敬礼をして後に続く武。

 冥夜は理解した。
 既に月詠は、自分に差し伸べられそうな救いの手を全て、自ら断ってしまっている。
 救いの手を取れば、それを差し伸べた相手に火の粉が降りかかるから。
 そして、救いの道があれば、冥夜達がそれに手を伸ばしてしまいかねないから。
 そして武は思い知らされた。
 自分が主と認めたものの為に、己の全てをもって主の進む道を拓く。これが忠義と言うものなのかと。

 結局正味5分程度で面会を切り上げ、面会室を後にする。
 何を話すでもなく宿泊所へと向かって歩く道中、武がポツリと漏らした。

 「仕方ない……のかな……」

 「そうだな……。仕方ない、などという言葉で片付けるのも無念だが……そうなのであろうな……」
 
 「割り切るしかないんだな」

 「うん」

 そう思っても、二人の足取りは重くならざるを得なかった。
















 明けて翌日。
 月詠の事は、とりあえず出来る事を、今の場合はありのままの事実を証言するくらいしかないと、冥夜と共に話した。
 それでどれだけの影響を及ぼせるかは殆ど期待できないが、口惜しいがそれが今の自分たちの限界だと。
 そして今、A-01一同は征夷大将軍煌武院悠陽殿下と謁見すべく、謁見の間へと帝都城を進んでいた。
 白服を着た斯衛軍士官に案内されて歩くその廊下は、武からすればまるで修学旅行で訪れた京都の仏閣のような雰囲気に感じた。

 「うわ〜、どうしよう。私、手が震えてきた〜」

 武の前を歩いていた茜が、自分の手を握ったり開いたりしながら、ポツリと漏らした。

 「ななんや茜ちゃん。ここの程度で緊張してどどないすんねや」

 そういう咲も舌が回っていなかった。
 その様子を見て武は、つい微笑ましくて笑ってしまう。

 「はは、別に取って喰われる訳じゃないんだから、そんなに緊張する事ないだろ涼宮。BETAと正面切って戦うよりはよっぽど気楽じゃないか」

 「うー、ある意味BETAと戦ってる方が気楽かも〜」

 ぽんぽんと茜の頭に手を乗せながら言う武に、肩を落として泣き言を言う茜。

 「流石……と言っていいんでしょうか、白銀大尉は随分と余裕に見えますね」

 武の後ろに、霞と並んで歩く芳乃が感心する様に呟いた。
 かくいう芳乃も、珍しく緊張しているような面持ちだ。

 「ふんだ。白銀は神経大雑把なだけですよ、鐘夷少尉。鈍感っていうのも、こういう時は便利かもしれませんね〜」

 芳乃の言葉に、茜が拗ねたような顔でそんな事を突っ込んできた。
 
 「ひでぇなおい、八つ当たりかよ。それ言ったら冥夜だって、お前みたいに緊張してないだろう」

 おいおいと心の中で突っ込みながら、隣を歩く冥夜へと話を振った。

 「ん? いやなに、私はこのような場は何度か経験しているのでな。多少慣れているというだけのことだ」

 冥夜のその返答に「ああ、なるほど」と、なぜか納得できる一同だった。

 「まぁ、そう言う意味じゃ俺があんまり緊張しないのも、前に殿下とは色々話したことがあるからかもなぁ」

 「へぇ、そうなんか。将軍殿下と面識があるやなんて、やっぱ隊長はんは只者やないんやなぁ」

 軍人とはいえ所詮は一衛士に過ぎない。
 それが実質一国の頂点に立つ人間と面識があるなど、おいそれとあることではないだろうと、咲は素直に感心した。

 「偶然ですよ、偶然。クーデターの時、帝都から脱出してきた殿下と俺が偶々鉢合わせたから、殿下が俺の吹雪に一緒に乗る事になっただけで」

 「ほほ〜う」

 それを聞いて、咲の目が光ったような気がして、武はなにか早まったかと思ったが――――時は既に遅かった。

 「吹雪に二人乗りでっか」

 「な、なんですか」

 顎に手を当てて、むふふ笑いで武ににじり寄ってくる咲。 
 
 「吹雪のコクピットにシートはひとつしかありませんわなぁ。そこに二人乗り……さて、どうやって殿下に乗ってもろたんですやろか」

 「う」

 一瞬でそこまで思考がめぐる咲に、恐ろしいほどのネタへの執念を感じつつ、それでも平静を装って。

 「ま、まぁ乗ってもらったのは確かに、ハーネスで固定して俺の膝の上でしたけど……でも、あの時は殿下の命もかかった非常時でしたからね。余計な事考えてる余裕なんかありませんでしたよ」

 武はそう言って、華麗にスルーを決めた……つもりだった。

 「ふむ、まぁそやろね。それは当然のことやと思う……しかしや、問題なんはそこやない」

 そこで拳をぎゅっと握って、真剣な顔で黙り込む咲。
 作られた溜めに、次に出る台詞を待って他の皆も息を飲む。

 「問題なんは『殿下が隊長はんの膝の上に座った』という事実なんや!」

 「なんでやねん!」

 武はまたしてもツッコんでしまった。
 しかし、意を唱えたのは武だけだったようだ。

 「ふぅん、なるほど……」

 「え?」

 「確かに、濱矢中尉の言われることも一理ある……」

 「な、チョットマテ冥夜!?」

 「由々しき事実ですね」

 「鐘夷少尉まで!?」

 「白銀さん……」

 「霞……お前もか……」

 全員が意を合わせる現実に、トホホ〜っと肩を落とす武。 

 「そうゆうわけや、隊長はん。で、どやった? 殿下のお尻に敷かれた感想は? やわこかったか?」

 我が意を得たりとばかりに、咲がうりうりと突付いてくる。
 ネタの為なら将軍殿下でさえも餌にする辺り、関西人の魂百までも、とでも言った感じか。
 というか、すぐ目の前に案内してくれている斯衛兵がいる訳なのだが、大声だしてるわけじゃないとはいえ、こんなこと話してて大丈夫なのかと思わないでもない武だった。

 「だから、あの時はそんな事意識してる余裕なんかありませんでしたって! おい、大体冥夜! あの時俺の膝に乗ったのはお前もじゃないか!」

 「え? あ!」

 不意に話を振られて、武の言っている事に思い当たりハッとする冥夜。
 そう、あの時殿下の身代わりとなる事になった冥夜も、同じく武の吹雪に同乗していたのだった。
 またしても、咲の目がキラリと光る。
 
 「ほほ〜う? これはまた、捨て置けない事実でありますなぁ、御剣はん?」

 「きゅ、宮中でこのような話は些か不謹慎でありましょう、濱矢中尉。さぁ、先を急がねば殿下をお待たせしてしまいますぞ」

 ターゲットを武から切り替えた咲に詰め寄られ、冥夜は慌てて誤魔化した。
 そそくさと先頭にたって歩きはじめる。

 「御剣はん、逃げよった」

 「逃げましたね」

 「うん、逃げた」

 後ろから咲、武、茜のツッコミが入るが、知らない、聞こえないと無視を決め込む。

 「まぁまぁ、濱矢中尉。もう気分をほぐすのは十分でしょう。ほら、もう会場も見えてきたみたいですし、その辺にしときましょう」

 横から入った芳乃のその言葉に、茜は「え?」と思い咲を見ると、咲はなんともバツの悪そうな顔をしていた。
 それを見て茜は、咲は皆の緊張をほぐす為にこんな話題を出したのかと理解した。

 「ちぇ、鐘やんには適わんなぁ。ごめんなぁ隊長はん、御剣はん。ダシに使ってもうて」

 「いえ、いいですけどね、別に……こういう扱いは嫌って程慣らされてますから……」

 なにやら背中に哀愁を漂わせて黄昏る武である。















 謁見の間に入ると、その荘厳な雰囲気に一同息を飲んだ。
 様式は純和風ではあるのだが、その絢爛な装飾はそれこそ過去に他の国で見られた城や寺院を髣髴とさせる。
 こういった部分は国の威信にも関わってくるところなだけに力を入れているのだろう。
 武達は会場の中央辺りへと案内され、隊長の武と副隊長の冥夜を一歩前に、その後ろに横並びで他4人が整列した。
 ざっと見渡しても場内に来ている人がさほど多くない気がするのは、A-01の存在を知っている者に限られていたりする為だろうか。
 警備と思われる斯衛兵も殆どが佐官クラスのようだし、それ以外の武官や、見るからに政治屋といった感じの官僚も極少数だ。

 「征夷大将軍、煌武院悠陽殿下。御出座ー」

 脇に控える文官から声があがる。
 いよいよの将軍殿下との御対面に、茜や咲は背筋がグッと伸びてしまう。
 そして、武達の正面に位置する演壇の戸が左右に開かれると、そこには煌びやかな衣装に身を包んだ煌武院悠陽がたたずんでいた。
 武が会った時の洋服姿とは違い、その凛とした佇まいは、正に人を導く者としての威厳に溢れていると感じた。
 悠陽が静々と壇上の卓まで進むと、冥夜が即座に号令をかける。

 「A-01総員、煌武院悠陽殿下に対し、敬礼!」

 ザッと、6人の敬礼が揃う。
 それを受けて悠陽は、マイクを通しているわけでも無いのにこの広い会場の隅々まで響き渡るような、繊細でありながら力強い声で言葉を紡いだ。

 「この度は私のわがままを聞き入れて遥々帝都までお越し頂き、A-01の皆様には心よりの感謝を送ります」

 そう言って悠陽は、武達に目礼する。
 それから悠陽は、これまでのオルタネイティヴ第四計画におけるA-01、並びに横浜基地の総員の貢献に対する賛辞を綴った。
 結果的には少々残念な結果を出してしまったが、日本帝国最大の脅威であった甲21号目標の殲滅をなし得、全世界の悲願だったオリジナルハイヴを沈黙させる事が出来た事は、比するものが無いほどの功績であると。
 そして反面、BETAによる横浜基地襲撃の際には、満足な支援もできず心苦しいとの謝辞を。
 それを聞いて武は、本当に心苦しく思ってくれているなら、最大の支援をしてくれた月詠を何故罪に問うのかと問いたかった。一刻も早く開放してくれと申し立てたかった。
 しかし、武も悠陽の人柄はそれなりに理解している。
 もしそれが出来るのなら、悠陽ならば迷うことなくそうしているだろう。そうしていないという事は、出来ない理由があるという事だ。だが、流石に武にはその辺りの内情まではわからない。

 やがて悠陽の話はこれからの日本、そして帝国軍と国連軍の関係、全てのBETAを退けるその日までの戦いを約束して締められた。
 その言葉に対しA-01を代表して武が、変わらぬ関係とBETAを駆逐する為の一層の努力を誓い、謁見は終わりとなった。
 そしてこの後は別室にて、ささやかながら宴の準備がしてあると言うことで、そちらの会場へと移る事になった。










 「なんか、やっぱり私たちが一緒にいるのって、ちょっと場違いな気がしちゃいますね」

 立食パーティ形式での祝勝会が始まりしばらくしたところで、茜が咲にポツリと漏らした。

 「せやなぁ。ウチらはおまけみたいなもんやもんねぇ」

 「涼宮少尉や濱矢中尉は、12.5事件には出動しているのでまだいいですよ。私はどちらにも関わってませんから尚更です」

 意見を同じにし、うんうんと頷く茜と咲の二人へ、芳乃が口を挟んできた。
 全体としては桜花作戦成功への祝勝会となっているのだが、武達に声をかけて来てくれる人にはやはり、12.5事件での事を称えて来る人も多かったのだ。
 どちらにしても一番関わっているのは武と冥夜の二人なのだが、それでもあの時の出撃に参加してるのとしてないとの差は大きい。
 今も帝国軍のお偉いさんと思われる青服の人物に声をかけられ、色々と話している武と冥夜の二人を見やり、咲は「やっぱり、英雄さんなんよねぇ」と改めて実感する。
 そして、自分たちの傍らにいる霞に目をやると。

 「霞ちゃんも隊長はん達んところ行った方がええんとちゃうん? 霞ちゃんかて、桜花作戦の戦功者なんやし」 

 もきゅもきゅと料理を平らげていた霞は、その言葉に咲へと振り向くと、口の中の物を飲み込んで首を振った。

 「いいんです、私は何もしていません。白銀さんの後ろで見ていただけですから。それに……」

 次々と声をかけてくる人々に、冥夜と共に愛想笑いで受け答えする武の背中を眺めながら、霞は言う。

 「私には向いていませんから、ああいうのは……」

 「そっか」

 その答えに、まぁそれはそれでかまわんか、と咲は納得する。
 いや、あれが武に向いているかどうかは甚だ疑問でもあるが、それはまた別の問題だろう。

 「そいじゃま、おまけはおまけ同士、とりあえず食えるだけ食っとくとしますか。こんな大層な料理、早々ありつけるもんやないさかいな!」

 「あはは、さんせー」

 「ですね」

 「はい」

 4人で開き直って、さぁいざ行かん千の料理の海へ! と意気込んで喰らいつこうとした時、後ろからざわめきが聞こえた。
 何事かとそちらを見れば、武と冥夜の元へやって来ていたのはなんと、煌武院悠陽その人であった。

 「久しいですね、白銀。改めて、私個人として貴方にはお礼を言わせてください。ありがとう」

 お供の侍従を一人従えて武の前に立つ悠陽は、先ほどの儀礼服とは違う、和服に着替えていて大分印象が柔らかくなっていた。
 どちらにしても、初めて会った時の洋服姿しか知らなかった武には新鮮だったが。

 「ありがとうございます。ですが正直な話、あの時悠陽殿下に教えて頂いた事がなければ、どうなっていたか解かりません。本当に悠陽殿下には感謝しております」

 「白銀、以前にも言いましたが、無理に言葉を繕わずとも構いませんよ。でも、そうですか。それは私としても嬉しいですね」

 武の言葉に、ころころと嬉しそうに笑う悠陽。

 「あはは、それでも未だに自分の中で答えが見つかった訳ではないのが、情けない限りなんですけどね」

 「それは仕方なき事でありましょう、容易い問題ではありませんから。それについては私もまだその境地には至っておりません。でも、白銀ならば……あるいは答えに辿り着けるやも知れませんね」

 それは流石に買被りすぎだと思う武だが、期待して貰っているのだとしたら、それに応える為に努力する事も悪い事ではないと、あえて否定したりはしないでいた。
 そんなやり取りを少し離れたところで見ていたオマケ団は。

 「は〜、流石やな、隊長はん。将軍殿下と普通に話しとるで」

 「ほんと。私だったら絶対頭真っ白になってなに言っていいかわからなくなっちゃいますよ」

 「さっきの戦術機内の話、事実のようですね」

 「白銀さんは、いろんな意味で大きい人ですから……」

 各々、もくもくと食事をぱくつきながらそんな感想を漏らしていた。
 そしてその後もしばし武と談笑を続けた後、悠陽は不意に武の隣で話を聞いていた冥夜へと向き、話し掛けた。
 それを見て武は、少し驚いた。
 なぜなら、この二人は12.5事件が解決した折にも、話すどころか目を合わせる事すらせずに別れたのだ。そしてそれは、二人の事情からすれば当然とも言える事であったから。
 そして冥夜も、まさか話し掛けられるとは思っていなかったのか、多少戸惑っているようだった。

 「御剣中尉。そなたにも、その節は大変迷惑をかけました。そなたの尽力に、心よりの感謝を」

 「い、いえ、もったいなきお言葉、恐悦であります。私の方こそ、差し出がましいまねをしてしまいまして申し訳ありませんでした」
 
 武と同じく、あの時は悠陽も追い詰められていた。そしてある意味暴走してしまっていた悠陽を諌めたのは、冥夜だった。
 もし、それがなく悠陽が暴走していたままだったら、果たして今はどうなっていたのか見当もつかない。

 「良いのです。あの時のそなたの言は、誠に正しいものだったのですから。そして御剣中尉、実はそなたに折り入って話があるのです」

 「話、ですか。この場でよろしいのでありましょうか?」

 「ええ、構いません。おそらく、そなたにとっても私にとっても、悪い話ではないと思うのですが……」

 なにやら重要そうな話に、武は自分などが聞いていていいのかちょっと不安になる。
 周囲の人達も、何が始まるのかと固唾を飲んでいる。










 「御剣中尉……そなた、煌武院に戻る気はありませんか?」

















 武はまるで、時間が止まったかのような錯覚を受けた。
 それほどその瞬間、周りの音が一斉に止まったのだ。
 言葉の意味を把握するのに、結構な時間を要した。
 それは、悠陽と冥夜が姉妹に戻るという事。
 それを理解した時、思わず声を上げそうになって、咄嗟に自らの手で口を塞いだ。
 冥夜も、その言葉の衝撃に目を見開いていた。

 「そ……それは、如何様な……」

 何とか搾り出した冥夜の言葉は、震えていた。

 「言葉のとおりです。これは、私の一存で持ちかけている話ではありません。摂家での協議の上での話です」

 その言葉を聞いて、武は少し冷静になれた。
 摂家。
 以前に月詠から教えてもらったことがある、将軍や帝を輩出する五つの家系。
 先ほど武と話していた、斉御司騎将(さいおんじきしょう)と名乗った青服の人物も、その名は確か五摂家のひとつだったと記憶している。
 双子は家を分けるという慣わしから悠陽と冥夜を離れさせたその摂家が、どうして今それを崩してまで冥夜を引き戻そうとする?
 それだけの無茶をするのに、善意だけで動いているとは、流石の武でも思わない。
 むしろ、月詠の現状なども含めて、家柄や地位に寄る人間の考える事には懐疑的になっている。
 おそらく、表向きには悠陽との姉妹の絆を再び取り戻すというお題目を掲げて、裏にも何かがあることは間違いないと思える。
 ……しかし、だからと言っても、二人が姉妹に戻れるのは、それはかけがえの無いことかも知れない。
 武だって二人の事実を知った時から、ずっとそんな日が来ればいいと願ってはいたのだから。

 「それは……その……」

 あまりのことに冥夜も思考が回っていないのか、しどろもどろになっている。

 「突然の話で驚かせてしまった事は詫びます。そして、今すぐに答える必要はありません……。とはいえ、それでもあまり猶予は与えてあげられませんが……そなた達がこの帝都に滞在している間に答えを出してもらえれば構いません」

 「そう、ですか……ご配慮、いたみいります……」 

 半分呆然としている冥夜は、悠陽に言われるがままに答えてしまう。
 それも仕方が無いと言えばその通りだろう。寝耳に水とは正にこのことであろうから。
 こんな展開、夢にも想像していなかっただろう。

 「出来るならば、いい返事を期待しております……では」

 そう言って悠陽は、武と冥夜に軽く眼を閉じると、いまだ騒然となる人の波の向こうへと去っていった。
 冥夜は、周囲から奇異の視線を浴びている事にすら気づいていない状態だった。
 それを見て武は、冥夜の腕を引き、咲たちのいる場所まで連れていく。

 「とりあえず、今はこれ以上ここに居るべきじゃない。宿舎へ引き上げましょう」

 「そうみたいやね。詳しい話はそっちで聞かせてもらうわ」

 こんな場であんな発言をすれば騒ぎになるのは目に見えていたはずなのに、悠陽は何を考えてここでの発言に至ったのか、武にはわからなかった。
 ただ、このままここに居るのが不味い事だけは確かだ。

 「ほら、行くぞ。大丈夫か冥夜?」

 「あ、ああ……わかった」

 冥夜はいまだショックから抜けきれていないが、それでも大分落ち着いて来てはいるようだった。
 ざわめきと注目の中、A-01一同は冥夜を守るようにして退室しようとする。

 「待ってくれるか、白銀大尉」

 しかし、扉を開けて部屋を出ようとしたところで、武を呼び止める声がした。
 振り返るとそこには、先ほど武とも話した青い斯衛服の人物。

 「斉御司、大佐?」

 「すまぬ、少しそなたに話しておきたいことがある。よいか?」

 このタイミングで話があるなどとは、それは恐らく今の悠陽の言葉に対するものなのだろう。
 それならば聞いておかないわけにはいかないと、武は冥夜のことを皆に頼んで、斉御司と向かい合った。
 
 「流石にここで話すようなことではないな。こっちだ、着いてきてくれ」

 「はい」

 言われるままに斉御司の後に続く武。
 自分たちが出ようとしたのとは別の扉から会場を後にし、廊下を少し進んだ先にあった部屋へと入ると、そこは小さな応接室のようだった。

 「ここで良いだろう。そちらへ掛けてくれ」

 斉御司は、重厚なテーブルを挟んで対面に接地されているソファーを指して、自分も反対側のソファーへと腰掛ける。
 示されたソファーに座ると、想像以上の柔らかさで腰が沈み込み、ちょっと驚いてしまった。
 大理石っぽいテーブルといい、流石にどれも高級っぽいものばかりだ。 

 「さて、先ほどの煌武院殿下の話、さぞや驚いたであろうな」

 「ええ、それはもう……。まだ自分は当事者では無いだけに、御剣中尉程ではないでしょうが……」

 武は過去に、あれほどの動揺を見せた冥夜を見たことは無かった。無理もないのはさっきも思ったとおりだが。

 「うむ。そなたも疑問に思ったかも知れぬが、本来あのような場で話すことではなかったのも確かだ」

 「え、それじゃあ、なんで態々あんな時に……」

 だとすると、悠陽はやはり、騒ぎになるであろう事も見越してあの場で発言したという事か。
 しかし、そんな事をする理由がわからない。
 まさか悠陽が冥夜を見世物にしようとするとは考えにくい。

 「あまり私が言うべき事ではないが……このような話が善意で出ると、そなたは思うか?」

 それはさっき、武自信も予想した事だった。

 「……すみません、失礼ですが……思えません……」

 「よい。そう思って当然、そしてそれが事実でもあるのだ。先ほどのことは、その善意の裏にある思惑への牽制……というところであろう」

 「なるほど……」

 裏の思惑や、その牽制が実際にどんな効果を持つのか、武にはまだ掴みきれないが、やはり悠陽に悪意が無い事だけは確かなようだった。

 「でも、良いんですか? 俺なんかにこんな話を聞かせてしまって」

 「うむ。私の一存ではあるが、そなたには知っておいて欲しいことでもあるのでな。そなたは知らぬだろうが、白銀大尉の名は宮中でもそれなりに知れ渡っている。短期間での数々の戦果、新型OSの開発……そして、これが一番大きいことでもあるが……煌武院殿下がそなたの事をお気に召しているのでな」

 「え?」

 なんだろうそれは。どういう意味だろうそれは。
 確かに悠陽には「面白い男ですね」などと評されもしたが……

 「ごほんっ。まぁ、栄誉なことではあると思うが、それはそなたが今さほど気にする事ではない。でだ、ここからが本題なのだが……月詠真那中尉の件は、もう知っているな?」

 「え? あ、はい。今回の召喚にはそちらの事も書かれていましたし、先日、実際に月詠中尉に会っても来ましたので」

 いきなり話があらぬほうへ飛んで焦る武。
 なぜここで月詠の話がでて来るのか。

 「そうか、ならば話は早いな。そなたは、月詠を救えるとしたら、救いたいと思うか?」

 「本当で……! っと、失礼しました。それは勿論、自分たちは今回、その為に出来る限りの事をしようと、こちらへ来たのですから」

 降って沸いたようなその話に、思わず立ち上がりそうになってしまったのを自制して座りなおし、自分たちの思いを伝える。

 「ふむ。ならば、その月詠を救う道が、先ほど煌武院殿下のもたらした話の中にあるとしたらどうだ?」

 「え……」

 冥夜が悠陽と姉妹に戻る事と、月詠を救う事がどうやって繋がるのか、武にはその繋がりを見出せない。

 「今現在、月詠のみが投獄されていて、部下の三人は謹慎処分で収まっている事は知っているな? なぜ、神代、巴、戎少尉たちはそれで済んでいると思うか?」

 考えてもみなかったが、確かに言われてみればそうだった。
 月詠が隊長として一番の責を負う事自体は不思議ではないが、それにしてもその処分の差が大きい気がする。

 「これは、煌武院殿下が尽力された結果だ。オリジナルハイヴ陥落による恩赦として可能な限り救い上げた故の事なのだ。月詠だけはどうしても軍法会議に問う事を回避できなかったが、せめてその三人だけでもというのは月詠自らの懇願でもあった故、そう処置されたのだ」

 そうだったのか、と武は思った。
 そして、悠陽がやはり月詠たちの為に動いていてくれた事に、嬉しくなった。

 「さて、ここで問題になるのは、月詠の一番の罪状だ。月詠を裁判にかける事を回避できなかったのは、偏に将軍殿下専用機の無断譲渡にある。己達の機体だけならまだしも、これは流石に過剰に過ぎる越権行為であるからな。だが、渡した相手が将軍殿下の妹君だったということになれば……どうだ? 全くの白紙にはならぬが、罪状を軽くできる余地は生まれるだろう」

 なるほど、と思う傍らで、武はふと疑問に思った。

 「少し、良いですか。煌武院殿下と御剣中尉は、極間近に一緒にいても視線すら交さなかったほど、仕来りに従順でした。例の事件で御剣中尉の立場が変わってしまったせいでご破算になったようですが、それからすると、そもそもあの武御雷をまだ訓練兵だった御剣中尉に送った事、送れた事自体が、不思議な気がするのですが」

 「ふむ、もっともな疑問だな。あまりはっきりと答える事は出来ぬが……そうだな。影武者とは大事な場面でこそ使われるべきであるという事と、煌武院殿下と御剣中尉の事実を知っている者の中で、御剣中尉のことを気にかけている者は少なくない……と言ったところか」

 素直に教えてもらえるとも思わなかったが、何となく解かるような解からないような、微妙な答えだった。
 まぁしかし、今はそれはいいだろう。

 「なるほど。とにかく、御剣中尉が煌武院殿下の申し出を飲むことで、月詠中尉を救える可能性がある、ということなんですね」

 「左様。特に此度の件は此方からの申し出である故な。御剣中尉が交換条件として申し出る事でも、さらに可能性は上がるだろう」

 大体の話は解かった。
 火の粉を落とさず月詠を救える道があるとわかっただけでも、大きな躍進だ。

 「しかし……何故自分に? 直接御剣中尉に伝えた方がよろしいのでは?」

 「うむ……虫のいい話かとは思うが……御剣中尉にはこの話、己の考えで判断して欲しいのでな。部外者からの余計な横知恵は入れたくなかった。そなたであれば、御剣中尉は本当の決意を決められるのではないかとな……」 

 悠陽といいこの人といい、どこか自分を買被りすぎている気がする武だ。
 だがまぁ、冥夜にキチンとした判断を下して欲しいというのは、武も同意である。

 「わかりました。ご期待に添えられるようにします。御剣中尉が心配でもありますので、これでよろしいでしょうか?」

 「うむ、態々済まなかった。よろしく頼む」

 では、と武は敬礼してその部屋を後にした。
 しかし、武はまだ気づいていなかった。
 冥夜が煌武院家に戻るという事が、自分にとってどういう事なのかということを……




















 「あ、お帰り白銀。今、御剣から色々と聞いてたところ」

 宿舎に帰ると、皆が武の部屋に集まっていた。
 どうやら冥夜も落ち着きを取り戻し、事情を説明していたようだ。

 「大体んところは解かったけどな。なんちゅうか、いかにも裏がありますって匂いがぷんぷんしとる話や」

 「そうですね……でも、御剣中尉の事情からすれば、これは悪い話ではないのではないでしょうか」

 胡散臭そうな顔でやれやれといった風情の咲と、裏を考慮してもプラスの方が大きいのではないかと言う芳乃。

 「でも、驚いた。まさか御剣が将軍殿下と双子の姉妹だったなんて……なにかあるのかなぁとは思ってたけど……」

 そんな感想を漏らす茜。
 もっとも、香月副司令や神宮司軍曹はともかく、恐らく伊隅大尉あたりも冥夜の素性は知っていただろう。
 まぁ、冥夜の顔を見ても何も勘ぐらないのは、日本広しといえども武くらいなものだ。

 「将軍殿下は、良かったんでしょうか。こんな重大な事をあんな公然の場で話してしまって……」

 「さっき教えてもらった話だと、その辺は色々あるみたいですよ。だから、いいんでしょう」

 事の大きさに、芳乃が不安げに出した疑問に、武は答える。

 「裏があるっていうけど、一体なんなんだろうね」

 茜が聞いてくるが、そこは武にもまだ良くわからないところだ。
 ただ、何かがあるのは間違いないのだが。

 「そうですね……簡単なところでは、体のいい宣伝材料といったところでしょうか」

 「宣伝材料?」

 「桜花作戦を成功させて人類の危機を救ったのは、幼い頃に引き離された将軍殿下の妹君だった……なんて、とびっきりの話題になると思いませんか? プロパガンダとしては最高の素材だと思います。勿論、そんな簡単な思惑だけではないのでしょうけど」

 芳乃の解説に「なるほど」と納得する武と茜。
 だが、事がそれ程軽い事だけならば悩みはしない。

 その時、黙っていた冥夜がすっと立ち上がった。

 「申し訳ありません。少々一人で考えたく思いますゆえ、席を外させていただきます……」

 そう言って部屋を出て行く冥夜。
 誰も引きとめる事もできず、後にはどこか気まずい雰囲気が残る。

 「はてさて、どうなってまうんやろね……」

 溜息混じりに咲が愚痴る。
 しかし、自分たちがどうこうする問題でも無いのだ。

 「まぁ、最後に決めるのは冥夜ですから……」

 「んなこと言って……ええの? 隊長はん」

 「え、なにがです?」

 咲の問いかけに素の疑問で返す武に、「鈍感とは聞いとったけど、ほんまもんやったか……」と、咲は頭を抱えた。

 「ちょと考えればわかるやろ。もし、御剣はんが将軍さまの話を受け入れたら、間違いなく御剣はんはもうウチらとはいられなくなるんやで」

 それを聞いて武は、ドクンと、心臓が跳ねたのを感じた……

 帝都に滞在している期間は、後二日である。
















 冥夜は、帝都の街を歩いていた。
 どのくらいの時間そうしていたのかわからないが、日もすっかり沈み時刻は既に夜。
 だが、今歩いているのは帝都のメインストリートにあたる繁華街で、酒場などもあり、夜とはいえ労働後の娯楽や酒宴に興じる人々で賑わっていた。
 別段目的があって歩いているわけではない。どちらかと言えば彷徨っていると言った方が正しいだろう。
 冥夜は自問する。
 なぜ今、自分はこうも悩んでいるのか。
 以前の自分だったら、恐らくここで葛藤するような事は無かったと思う。
 思えば、ここしばらくの自分は少しはしゃぎ過ぎていたのではないだろうか。
 多くの仲間の犠牲の上に立っている事も忘れ、桜花作戦の結果に自惚れ、武への想いに浮かれていたのではないか。
 ……なぜ、こんな風になってしまったのか。
 もしかしたら自分は、荷電粒子砲に焼かれたあの時、一度死んで壊れてしまったのだろうか。
 それとも、あ号標的の浸食を受けて、心までも弄られてしまったのだろうか。
 だがしかし、自覚できたのならまだ取り戻せるのかも知れない。以前の自分を。

 そして、冷たい風が一陣、その身を吹き抜けていった時。

 「こらーっ おっちゃん! そのツマミはウチんやで! なに横からかっさらっとんのや!」

 通りかかった店から聞こえてきた威勢のいい声に、冥夜はふと顔を上げた。

 「なんじゃぁ、譲ちゃん国連軍で羽振りええんじゃろ。少しくらい振舞ったってバチはあたりゃあせんぞ」

 「アホ抜かすなや。こちとら糞BETAにやられて入院してもうて素寒貧や。こっちがおごって欲しいくらいやで」

 聞き覚えのあるその声と口調に、声のする屋台を覗き込むとそこにいたのは。

 「濱矢中尉?」

 「あん? おお、御剣はんやないか。宿泊所に見当たらん思たら、こんなとこほっつき歩いとったんかいな」

 屋台のカウンターで酔っ払い相手に管を巻いている、濱矢咲その人であった。

 「ええ、まぁ、何となくですが。濱矢中尉こそ、何故このような所に? お一人ですか?」

 「せや。な〜んかムシャクシャしたもんでなぁ。ちょっと気晴らしに出てきたんや。どや、御剣はんも付きあわへんか?」

 手に持ったグラスを掲げて、咲は笑った。

 「…………そう、ですね。それでは少しだけ」

 少し考えてから、冥夜は付き合うことにした。

 「お、そうか? 話せるやないか御剣はん。ほな奥いこか。おばちゃ〜ん、奥のテーブル使うで〜」

 はいよ〜とカウンターの奥にいる女店主らしき人物から返事が返ってくると、咲はグラスを二つと一升瓶を持って奥へと入っていった。
 そこは、建物と建物の間に出来ている空間にテーブルを並べ、簡素な板屋根を張っただけの場所だった。
 他に使ってる者もいないので、咲は適当なテーブルについて座ると、向かいの席に冥夜を座らせた。

 「ほな、駆けつけ一杯ってなぁ」

 冥夜の前にグラスを置き、一升瓶を傾けていく。
 合成品とはいえ、強いアルコール臭が漂ってくる。

 「それじゃ、偶然の遭遇に乾杯やな」

 「はい、いただきます」

 言うや否や、くーっとグラスをあおる冥夜。
 夕食を食べていないため胃が空いているせいか、腹の中がかぁっと熱くなっていくのを感じる。

 「ちょいちょい、ペース考えなあかんで? そんな呑み方したら悪酔いしてまう」

 冥夜のグラスに二杯目を注ぎながら、咲は一応嗜めておく。
 まぁ、気持ちはわからないでも無いのだが。

 「は、申し訳ありません」

 冥夜は言われた通り、二杯目はちびちびと口をつけていく。
 冥夜の気持ちが落ち着いたところで、咲は話を切り出した。

 「どや? 考えはまとまったか?」

 不意に振られ、冥夜は口元に持ってきていたグラスを下ろし、それを見つめたまま答える。

 「はい……まだ全てを決断できたわけではありませんが、おおよそは……」

 「そか」

 そこで会話は止まり、冥夜は再びグラスに口をつける。
 視線はテーブルを向いたまま、どこかに思いを馳せる。

 「隊長はんに、引き止めて欲しいと思っとる?」 

 ピクっ、と冥夜の動きが止まる。

 「………………いえ。今回の事は、タケルには関わりのないこと。そんな事で、タケルに縋る訳にはいきません……自分の問題くらい、自分で……」

 「人は、一人では生きていけへんよ? ここまで戦ってきたあんさんならわかっとる思うけど」

 それは冥夜も重々承知している。
 何しろ今の自分自信が既に何人もの仲間の礎の上に立っていることを、ついさっき思い返したばかりだ。

 「人ってのは不思議なもんでな、一人では生きられへんくせに、集まりすぎてもうまくいかへんのや。適当な人数……てのが、一番安定するんやな。けど、安定を感じる人数もまた、人それぞれ違うから難しい。でも、最終的にはきっと、二人が一番安定するのやないかと思う。それが……男と女なんやないかなと」

 「………………」

 「御剣はんは、人を好きになる事を恥かしいと思うか?」

 「…………いえ」

 「ほな、好きな人と一緒にいたいと思うことが、おかしいと思うか?」

 「…………いえ」

 「うん、ほんならまぁ、大丈夫やな。まぁ、ウチも人に説教できるほど人生経験あれへんからな、何が言いたいのか自分でもよう解からん。にゃはは」

 「…………いえ、そのような事はありません。ありがとうございます」

 確かに要領を得ない話ではあったが、なんとなく、言わんとする事はわかった気がする。
 好きな気持ちに嘘をつく必要は無い。そして、どんな時でも好きでいることをやめる必要は無い。
 何の事は無い、自分は武と離れる事を恐がって悩んでいたのだ。
 そして、それに嘘をつく必要は無く、やめる必要も無い。
 それがわかれば、答えは簡単だった。
 冥夜はグラスを置くと席を立ち、咲へと頭を下げた。

 「申し訳ありません。始めたばかりで恐縮ですが、これで失礼させていただきます」

 「そか、がんばってな」

 「ありがとうございます。では」

 もう一度頭を下げると冥夜は、早足でその場を後にした。
 それを見送った後、咲はあっと我に返った。

 「ああ、あかん。ウチ持ち合わせ少ないのに……」























 「タケル? 起きているか?」

 早々にベッドに入ったタケルだが、寝るに寝付けずぐずぐずしているところへ、ノックの音と共に冥夜の声が聞こえた。
 そそくさとドアまで行き、冥夜を招き入れる。と、日本酒の匂いが漂ってきた。

 「なんだ? 冥夜、呑んでるのか?」

 「ん? ああ、濱矢中尉に付き合って少しだけ、な」

 武は冥夜をベッドに座らせる。

 「濱矢中尉と一緒だったのか。どうする? なんか飲むか?」

 「ああすまない、茶をもらえるだろうか」

 「あいよ」

 備えられているポットから湯のみ二つにお湯を入れ、ティパックを放り込む。
 湯の中でしばしパックを躍らせ、適度な濃さになったところでそれを破棄。湯飲みを冥夜へと渡す。

 「ほら、熱いからな」

 「ありがとう…………ふぅ、美味いな……」

 ティパックの合成茶に美味いも何もないような気もするが、まぁ、気分的なものだろう。
 武は、「そうか」と適当に相槌を打つ。
 ひと心地ついたところで、冥夜は湯飲みを枕もとのテーブルに置き、座ったまま姿勢を正した。

 「タケル……私は殿下の申し出を受けようと思う」

 その言葉に、タケルの心臓はまた跳ねた。

 「確かに、何か裏の思惑はあるのだろう。このような事が善意だけでまかり通るとは到底思えぬからな。しかし、もしかしたら、これによって月詠中尉を救う事が出来るやも知れぬ、と思うのだ」

 驚いた。
 予想していなかったわけではないが、冥夜は武がなにも言わなくとも、月詠の事へと話を結び付けていた。
 そして、そこへ行き着いてしまった以上、冥夜がその道を選ぶのは当然だと思った。

 「さらには、姉上……との絆も取り戻せるのだ。多少裏があろうとも、このような話を蹴ってしまっては罰があたるというものだろう」

 そして……冥夜がそう決めたなら、自分などがそこに何の口が挟めるだろう。

 武はいつの間にか、冥夜に背を向けていた。
 きつく目を瞑り、湯飲みを持つ手には力が入り微かに震えていた。

 武は思う。悠陽と冥夜が姉妹に戻れるのは絶対に悪い事ではないと。そして、月詠を救えるのも、嬉しいことだ。
 だが、その代わりに自分は、冥夜を失う……。

 「タケル……」

 冥夜は立ち上がり、背を向ける武へと歩み寄ると、その背中にそっと……体を預けた。

 冥夜は思う。これは、以前の自分なら自然に選んだ道。すなわち、悠陽と姉妹に戻れるという事、月詠を救えるという事。
 そしてその代わりに、武を失うという事……。
 だがしかし、それで武が消えてしまうというわけではない。好きでいる事をやめるつもりも無い。どんな状況になろうと、心の自由は渡さない。
 ならば……それで、いい。

 武の背中に耳を当て、武の鼓動を聞き、その温もりを忘れぬように、全身で武を包む。
 そして、冥夜は告げる。







 「さようなら、タケル」







 背中に確かに感じていた温もりが消えていることに武が気づいたのは、湯飲みがすっかり冷たくなった頃だった。















 「なんやて!?」

 翌日、咲の声が武の部屋に響いた。
 冥夜を除く全員が武の部屋に集まる中、武から昨夜の冥夜の話を聞いて、咲は自分の耳を疑った。

 「かーっ あんの小娘、ウチが諭した方向とは真逆に行きよった! 一体どういう考え方してんねん!」

 咲は頭を掻き毟るようにして地団駄を踏む。
 あれで諭したと言えるのかどうかは甚だ疑問ではあるが、他に見ていた人間はいないので誰もつっこみ様は無い。
 
 「それで、隊長はんは何も言わんかったんか!? それでええのんか!?」

 「………………」

 咲の怒声を浴びても、武には答える言葉が無い。
 武は結局、あれから一睡もしていなかった。
 本当にこれで良かったのか、こうするしかないのか、これが最良の選択なのか、何度も何度も自問したが、答えは出なかった。

 「なんや! もうちょっとやれる人や思とったけど、とんだ見込み違いやったみたいやね! 見損なったで!」

 「濱矢中尉」

 本来なら上官侮辱罪にもなりかねない咲の言動に、芳乃が嗜めた。
 しかし、芳乃が武に向ける目も、咲の言葉を否定はしていなかった。

 「白銀……」

 「白銀さん……」

 茜と霞が向ける目も、武には己を責めているように感じられる。
 やめてくれ……俺にどうしろって言うんだ……。自分を助けてくれる者は、誰もいない気がした。

 「ああー、もうウチは知らん! 勝手にすればええ!」

 そう言って咲が部屋から出ようとした時、丁度誰かがドアをノックした。

 「タケル? 殿下がお時間を作ってくれたそうだ。私は先に行かねばならぬが、タケルも皆をつれて昨日の会場まで来てくれるか」

 ドアの外から語りかけるその声に、全員が目を合わせた。
 そのまま数秒の時間が流れた後。

 「冥夜!」

 武が慌ててドアを開くが、既にそこに冥夜の姿はなかった。
 
 「…………」

 はぁ……、と肩を落とす武。
 部屋の中へ戻ると、重い口を開いた。

 「それじゃあ、行きましょうか……」















 

 昨日も訪れた会場に再び入ると、そこには先に来ていた冥夜と、既に悠陽も姿を見せていた。
 それ以外にも官僚や武官らしき人間も集まっているが、その人数は昨日よりも更に極少数だ。

 「遅くなってしまい、申し訳ありません」

 「いえ、構いませんよ、急な話でありました故。私も、このような簡素な姿で申し訳なく思います」

 そう言う悠陽は、昨日この会場で着ていた儀礼服ではなく、デザインは違うが祝勝会に現われた時と同じく和服姿だった。
 どうやら初めて会った時の洋服姿の方が例外で、悠陽の私服は和服がメインのようだ。
 そして今回は、悠陽も壇上ではなく皆と同じ場所に降り、冥夜と相対していた。その少し後ろには、5人ほどの護衛が立っている。
 武達は冥夜の後ろへ回ると、先日と同じように整列した。

 「では御剣中尉。お話を聞かせていただけますか」

 「はっ」

 始まってしまった。
 この会合が終われば、武は冥夜と離れ離れになる。
 昨夜から続けている自問自答は、未だに答えは出ていない。

 『さようなら、タケル』

 冥夜が最後に残した言葉が、何度も、何度も繰り返される。
 そして繰り返されるたびに、その言葉はなぜか武の心臓を握り潰すように締め付けてくる。
 なぜ、その一言がこれほど心を掻き乱すのかわからない。なにかが記憶の隅にこびりついているかの様だった。
 本当にこれでいいのか、こうするしかないのか、これが最良の選択なのか。
 何が答えなんだ。どうすれば答えに辿り着ける。俺は、何かを見誤っているのか……。
 わからない、わからない、わからない…………。
 それでも必死に、何かを掴もうと腕を伸ばす。しかし、心の中の闇には、何もつかめるものはない。無情に、腕は闇の中をすり抜ける。
 
 ――――その時、ひどく聞き覚えのある、そして、ずっと聞きたいと思っていた、声が聞こえた。







 「たけるちゃん! 自信を持っていいんだよ!」







 武は、いつの間にかきつく閉じていた眼を、カッと開いた。
 それは空耳だったのか……。自分の心が作り出した都合のいい幻想か……。でも、確かに心にその言葉は聞こえた。
 空耳でないのなら、そんな事ができる人間が一人だけいる、と背後の霞に振り向く武。だが、少し俯いて悠陽と冥夜の話を聞いている霞には、それらしい雰囲気は感じられなかった。
 一体なんだったのか……ハッキリは解からない。
 まさか、本当に彼女が自分に語りかけてくれたとは思えない。
 しかし、それに背中を押されるかの様に、もう武の心は決まっていた。
 自分に、誇れるところなど何一つあるとは思えない。だが、ひとつだけ解かっている事がある。

 ――――御剣冥夜は白銀武を愛している。――――

 それはあの時、決死の覚悟の中で告げられた、紛れも無い冥夜の本心だ。
 だが、その気持ちに応える術を武は持たなかった。心の中にはもう純夏がいたから。
 故に、冥夜が目覚めてからこれまで、出来る限りその事には触れないようにしていた。
 どうして良いのかわからなかった……と言うのは言い訳に過ぎないだろう。結局は突き放す度胸もなく、逃げていただけなのだ。

 ――だって、間違いなく、白銀武も御剣冥夜を想う気持ちを持っていたから。――

 自分のことを想ってその身体までを捧げようとしてくれた。自分のことを想って殴り飛ばしてくれた。自分のことを想ってその懐で泣かせてくれた。
 そんな彼女を、自分にとって「尊い人」だと思っていた。
 しかし、それは言ってみれば言葉を変えたに過ぎない。裏返せばそれは親愛の情を持っているということ。
 そしておそらく、それは冥夜だけに対してではなく、死んでいった207Bの仲間達全てに持っていた想いなのだろう。
 ハッキリと記憶が繋がってはいないが、繰り返した時間の中で彼女達と結ばれた記憶の断片も、確かにあったのだから。

 だから、そうだ。そこにだけは自信をもて。

 冥夜は絶対に自分と共にいたいはずだ。

 自分に厳しい彼女だ、月詠を犠牲にして己だけが良い思いをするような事を認められず、その心を押し殺して、それで良いと自分を無理矢理納得させているに過ぎない。
 自分にはその決心に口を出す権利はない? そんな事は関係ない!
 自分は彼女を失いたいとは思わない! なら、それだけで良い!
 純夏が冥夜を助けたのは、こんな事の為じゃないはずだ!
 月詠が忠義を示したのも、冥夜にこんな道を歩かせる為じゃないはずだ!
 委員長を、彩峰を、たまを、美琴を、神宮司軍曹を伊隅大尉を速瀬中尉を涼宮中尉を柏木を! みんなを失ってここまで来た。なのにこんなことで冥夜まで失っていいのか!
 自信をもて! 今は自分に自惚れろ! お前は…………「白銀武」だろう!

 「待ってください殿下!」

 武は一歩、前へと踏み出した。 
 








 「おさがりなさい! そなた、殿下のお言葉の最中に、無礼でありましょう!」

 突然、悠陽と冥夜のやり取りの最中に割り込んだ武へ、お傍控えの侍従からお咎めが入る。

 「構いません、おさがりなさい。……どうしましたか? 白銀」

 その侍従を制して下がらせ、悠陽は白銀に問うた。
 自分の横では、一体何がどうしたのかと不思議な目で冥夜も見ている。
 腹に気合を入れろ。これから自分の口にする事は一世一代の大勝負だ。
 
 「はっ。殿下には申し訳ありませんが、このお話、なかったことにしていただきたく思います! やはり、御剣中尉を渡す事は出来ません!」

 ざわ……と、場内がざわついた。
 当然の事だろう。武は今、一国の頂点に立つ人間に楯突いているのだから。
 
 「どういう、意味でしょう……」

 悠陽の深く、静かな声だけが場に響いた。
 それだけに、冷や汗がわいてくる迫力がある。
 これが、人の上に立つ者、と言うものか。

 「不躾ながら、殿下と御剣中尉の事情は自分も存じています!」

 それは、12.5事件の時に悠陽本人から語られた事実。
 本当ならそんなこと、一介の訓練兵風情に教えるようなことではなかっただろう。
 逆に訓練兵風情だからこそ、話したところでどうということも無いと思われたのかもしれないが。
 
 「自分も今までは常々、このような時が来ればいいと思っていました。ですが今は! どちらかしか選べないと言うなら、やはり御剣中尉は自分の傍にいるべきだと、そう判断します! 隊の事情もありますが、これからも続く戦いにおいて、御剣中尉の力は自分にとって必要不可欠なものと考えます!」

 「……私との絆を取り戻すよりも、そなたといる方が良いと、そう申すのですか」

 「少なくとも、自分は御剣中尉を失いたくはなく、御剣中尉もそう思ってくれていると確信しています! 今も言ったように、自分もお二人が元に戻れるのなら是非ともそうするべきだと思っておりました。後少し……せめて年が明ける前にこのお話が出ていたなら、自分も素直に賛成できたと思います。ですが、遅かった……。今の状況は、いろいろな面で、素直にお二人を祝福だけできる物ではなくなってしまいました……」

 「…………そのようなもの、時が経てばいずれはどうということもなくなるものでしょう」

 「人類にそんな悠長な時間が残されていないことは、殿下も理解しておられるはずです……! ……ふぅ……解かりました、じゃあ、言い方を変えましょう――――ごほんっ。」

 武は咳払いなどしてグッと背筋を伸ばす。
 後ろ手に腕を組んで、両足を肩幅に開き、腹から声を出すようにして言い放った。







 「……日本! ……いや、この世界は俺が救ってやる! その代わり冥夜をくれ!! そう言うことです!」







 シン……と静まり返り、物音ひとつ消え去る場内。
 これには場内一同、悠陽までもが呆気に取られてしまった。
 A-01の面々など、顔が埴輪のようだ。 

 「な……な……な」

 逸早く我に返り、武の言った言葉の意味を理解した冥夜が、顔を真っ赤に染めながら武に食って掛かった。

 「た、たた、タケル! そなたは殿下に向って何を口走っているかわかっているのか! 底抜けの阿呆か! そなたは!」

 「うるさいぞ御剣中尉! 俺は今将軍殿下と話をしている! 横から割り込むとは何事だ!」

 「う……」

 上官としての正論を出され、思わず詰まってしまう冥夜。
 つい今しがた、冥夜と悠陽の会話に割り込んだ事を棚に上げている事にすら気が付かない。
 冥夜の方を向かずに前を向いたままそう言うタケルの顔は、まぁ冥夜に負けず劣らず真っ赤ではあるのだが。 

 「ぷっ……」

 誰かの吹き出した声にそちらを見ると、顔をそらして着物の袖で口元を隠して振るえる悠陽の姿。

 「ふふ、ふふふふ……あはははは」

 やがて、耐え切れないと言うように声を上げて笑い始める悠陽。
 悠陽が声を上げて笑う姿など見たことがない武官・官僚達は、初めて見る悠陽のその姿に、己が目を疑った。
  
 「ふふふ、本当に、そなたはこれまでの私の人生の中でも、一番に面白い男ですね」

 悠陽は、うっすらと目に涙を湛えていた。それを優雅に指で拭いながら、武に語りかける。

 「暴言は深く謝罪します、本当にすみませんでした。俺を斬りたければ斬って貰って構いません。ですがどうか冥夜だけは……」

 深く頭を下げる武。
 言いたい放題を言った、暴言の責任は取らねばならない。

 「白銀。そなた、今自分が言っている事の矛盾がわかっていますか? 御剣中尉はそなたと共にあるべきと言いながら、それを置いてそなたは斬られて構わないと言うのですか。たわけが」

 「うぐぅ……」

 少し厳しい声でイタイ所を突いて来る悠陽。
 所詮全ては勢いで口にしたことである。そんな事まで考えている余裕はなかった。

 「ふふ。まぁ良いでしょう。わかりました、今回の話は取り下げる事とします。そしてそなたの命も、そなたと御剣中尉に預けておきます。その代わり、口にしたとおり見事この世を救って見せなさい」

 殿下の判断に再びざわつく場内。
 武までもが、その言葉に驚いて悠陽をマジマジと見つめてしまった。

 「ですが、良いですか白銀。あくまで預けるだけで、そなたの命は既にこの悠陽のもの。軽々しく死ぬことは許しません。そなたは何があろうとも生きて、生き抜いて、世界を救わねばならない責任があると言う事を努々忘れるでありませんよ。御剣中尉……いえ、冥夜をそなたに譲ると言う事がどれだけ責任重大な事かも、肝に銘じなさい」
 
 血を分けた双子の姉と、想いを寄せる男が自分を取り合う。
 その事実に冥夜は恥も外聞も捨ててのたうち回りたいような気持ちだった。
 というか、私の意志はどうなるのだ。と、突っ込みたかった。
 ふと後ろを見れば、A-01の仲間達がこちらをなにやらあったか〜い目で見つめている。
 いらない。そんなニヤニヤとしまらない薄笑いのような目はいらない。

 「それでは、此度の件はこれにて終わりとします。最後に白銀、これほどの無礼を働いたそなたに贈り物というのもおかしな話ですが、それとこれとは話も別。これは帝国軍から横浜基地へ、より一層の活躍を願っての物です。受け取ってください」

 そう言うと悠陽は、侍従が持ち寄った書状を受け取り、武へと手渡す。
 拝見の許可を貰って、武はその書状へと目を通す。
 その書状に認められていたのは、横浜基地・A-01部隊への、最新型戦術機「不知火弐型」13機他の、譲渡報告だった。

 「これは……! 殿下!?」

 「ふふ……そなたたちの活躍、期待していますよ」

 武の驚きを流して、悠陽はそう言って笑い、会場を去っていった。
 おそらく、今の武の暴言による結果に、これから悠陽は後処理などに奔走する事になるのだろう。
 申し訳なくは思うが、だからと言って譲れないものがあったのだ。
 去っていく悠陽の背中に、武はもう一度、深く頭を下げた。



 その後、武が仲間達にもみくちゃにされたのは言うまでも無い。












 「ふふ、やってくれたな、白銀大尉」

 盛り上がりに盛り上がっていたA-01の面々が、その勢いのまま今日はパーっとやろうと準備のために出て行ったあと、髪をボサボサにして残された武の元へ斉御司がやってきた。

 「さ、斉御司大佐! す、すみません! 色んな事台無しにしてしまって……!」

 慌てて武は頭を下げる。
 何を言われても仕方が無いと覚悟する。
 結果的に、斉御司が言っていた冥夜に好意的な人たちの思惑も、月詠を救う手立ても、全てを自分がぶち壊してしまったのだから。

 「よい。煌武院殿下も笑っておられただろう。そなたの信念、しかと見せてもらった。これからのそなたと御剣中尉の活躍、私も期待しているぞ」

 「は、あ、ありがとうございます! 絶対に、ご期待に添えて見せます!」

 「うむ、ではな。また会うこともあろう」

 そう言って、斉御司もその場を去っていった。
 武は嬉しかった。
 悠陽も、斉御司も、自分の思いを認めてくれた。「人に認められる」と言うことが嬉しかった。
 そして、それを導いたのがこれまでの自分の行いの結果なのかと思うと、きっとこれこそが「努力が実った」と言うことなのかもしれないと思った。

 「タケル……」

 そこへ、タイミングを見ていたのか、続いてやってきたのは、冥夜だった。

 「あれ、皆といっしょに行ったんじゃなかったのか?」

 「うん……そうだが、少し、な」

 冥夜は、何か話したそうな、話し出せないような、そんな面持ちで武の前にやってきた

 「冥夜……ごめん。お前の意志を無視して勝手な事しちまって……それに、あんな事言っておいて俺は、お前の気持ちに応える事が出来ない……ほんと、自分勝手だよな……そんな中途半端な所にいても、お前が辛いだけなのに……でも……」

 そう、懺悔を綴る武の口を人差し指で抑えて、冥夜は笑顔を浮かべた。

 「いや……そなたの心が少しでも私にも向いているとわかっただけで、私を必要としてくれていることがわかっただけで、私は嬉しい。それに元々、決着は鑑が目覚めてから正々堂々と、と思っていたからな。何も問題は無い」

 「そう、か……。それじゃあ、早く何とかして純夏を叩き起こさなくちゃな。あのネボスケを」

 「ああ、そうだな。ふふふ……」

 「ははは……」

 向かい合って笑う二人の心は、昨日からの暗雲が嘘の様に晴れていた。





















 それから武達は、急遽予定を延長して、もう三日ほど帝都に滞在した。
 月詠の裁判の結果が出たからだ。

 判決は、武達の証言も功を奏したのか、終身刑は免れたものの、軍籍剥奪の上無期限の帝都追放、立ち入りの禁止というものだった。

 それが良かったのか悪かったのかはわからない。しかし、それは武が覚悟の上で招いた結果でもある為、受け入れる以外になかった。
 そして今日、月詠は帝都を去る。
 城壁で囲まれた帝都の街の門で、武達は月詠を見送りに来ている。
 当然だが、月詠はもう赤の斯衛服は着ていない。今は、軍でも使われている野戦ズボンとライダージャケットに、荷物は小さなずた袋ひとつだった。
 隣に停めているバイクから、エンジン音が響いている。

 「真那様! 私たちも、私たちも御供します!」

 「そうです、一緒に連れて行って下さい!」

 武達と同じく見送りの場に来ていた神代少尉と巴少尉がそう月詠に詰め寄る。戎少尉も口にこそだしていないが、その目は二人と同じだった。

 「ならん。そなたたちはまだここで学ぶべき事も多い。これからは真耶の元で、より一層精進に励むのだ。よいな」 

 無碍なく三人を突き放す月詠だが、その目はとても優しい、慈愛に満ちたものだった。
 元々受け入れてもらえるとは思っていなかったのだろう、それ以上縋る事も無く、三人は俯いてしまった。

 「月詠中尉……」

 「ふふ、私はもう軍人ではありませんよ、白銀大尉。何も言っていただく必要はありません。むしろ、私は貴方にお礼が言いたいくらいです」

 晴れやかな顔で笑う月詠の顔は、武に元の世界の月詠の姿を強く思いださせた。
 そう、向こうの月詠は、いつもこうやって優しい笑顔を浮かべていた。

 「こうして見送りに来ていただけただけで、十分です。さて、それでは……」

 退去のタイムリミットは刻一刻と迫っている。それまでには帝都の街を出て行かねばならない。
 月詠は荷物を荷台に括り付け、バイクにまたがった。

 「白銀大尉、御剣中尉、そしてA-01の皆様方。これからも武運長久を心から祈っております。神代、巴、戎……三人とも、しっかりな」 

 「総員、元斯衛軍、月詠真那中尉に対し、敬礼!」

 冥夜の号令で、神代たちまで含めた全員が、月詠に力強く敬礼した。
 月詠も敬礼を返すと、エンジンを吹かし、その場から走り出した。
 みるみる遠ざかっていく月詠の背中。その背中が、殆ど見えなくなった時。

 「う……あ……、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 真那様ぁぁぁぁぁ!!」

 「う、うう……ふうぅぅぅ……!!」

 「ふぐ……うっくぅ……うう!!」

 神代たち三人は、声を上げて泣き出した。

 「うわぁぁぁぁぁ、ああぁぁ!」

 「えっく……ひっく……ふぐぅぅう」

 「ぐす……えぐ……うぅ」

 「そなた達……」

 泣きつづける三人に冥夜が声をかけると、三人は冥夜へとしがみついた。
 つられて冥夜も、涙が出そうになってくる。
 その時、キッと神代が武に鋭い目を向け、言い放った。 

 「白銀武! 私は、私はお前を恨む! お前が……お前がぁ!」

 「神代……!」

 冥夜がそれを嗜めようとするが、武はそれを止めた。

 「ああ、恨んでくれて構わない。それがお前達の譲れないものなんだろう? 俺も、これが俺の譲れないものの結果だったんだ。弁解するつもりは無い」

 「タケル……」

 冥夜が見た武の目は、揺らいでいなかった。
 その眼差しは、またひとつ重い物を背負ったのだと、理解できた。



 一月も終わりに近づいてきたが、地上に吹く風は、まだまだ冷たい。
 春は、いつやってくるのだろうか……