地上を照らす心地の良い陽射し。冬の最中にふと訪れた、今日はとても暖かい日だ。
 凄惨な傷痕を残すこの横浜の地にも、太陽は遍くその恵みをもたらし、年が明けてから降り積もった雪も、程なく溶けて消えてしまいそうな気さえする。
 そんな陽気に誘われてか、涼宮茜の歩を進める足取りも、無意識に軽くなっていく。

 「ふんふふ〜ん ふんふ〜ん♪」

 ついつい鼻歌など歌ってしまいながら今茜が向かっているのは、基地の裏手にある小高い丘。
 そこはよく彼が、頂上近くに生える一本の木に身を寄せて、今は廃墟でしかない横浜の街並みを眺めている場所。
 彼がそこで何を思っているのかは茜にはまだわからないが、そこでの逢瀬は今や日常の事となっていた。

 「たける〜っ」

 視界に入って来た目当ての木の根元、案の定そこに座り街の方を見ている少年、白銀武の姿を確認すると、茜は呼びかけて小走りに走り出した。

 「おう、茜」

 自分を呼ぶ声に振り向いた武は、手を振りながら駆け寄ってくる茜に気づき、此方も片手を上げて笑顔で応える。
 茜は少し走る速度を上げて武の元まで辿り着くと。

 「えいっ」

 「おおっと!」

 そのまま武の胸に飛び込むかのように滑り込んだ。
 武はそれをしっかりと抱き止め、呆れたような、それでも優しく愛しげな声で注意する。

 「おいおい、何もそんなに慌てなくたって……怪我でもしたらどうするんだよ」

 「平気平気。だって武がちゃんと受け止めてくれるもん」

 そんな武の注意にも、茜は悪びれもせずに平然と応える。
 その表情は、想い人の懐に包まれ幸せいっぱいといった様子である。

 「まったく……まぁ、いいけどさ」

 必ず受け止めてやるから。と、武は茜の背に腕を回し支えてやる。

 「へへ。武はそう言ってくれるから好きだよ」

 「ふ、なに言ってやがる」

 なんだかんだ言いつつも、武はこんな自分を受け入れてくれる。それが何よりも嬉しい。
 茜はそんな武の胸に顔をうずめて、眼を閉じる。
 武の温もりが伝わる。武の鼓動が聞こえる。武の力強さを感じる。
 体から力が抜けて、心安らいで行くのがわかる。
 この安らぎを護る為なら、自分はなんだってできると思う。
 ふと目を開けて武の顔を仰いでみると、武は茜を抱きしめたまま、また眼下の廃墟へと目を向けていた。

 「ねぇ、いつもここから街を見てるけど、武はあそこに何を見てるの? なにを想ってるの?」

 なんとなく、今まで抱いていた疑問をぶつけてみた。
 どちらかと言えば、街を見ている時の武の目はあまり好きではないのだ。
 その目はどこか寂しさのようなモノを湛えて、少し辛そうに見えるから。

 「ん? そうだな……別に、何か考えてるわけじゃないんだけど……ただ、あそこは俺が生まれ育った街だからなんとなく……かな」

 武は頬を掻きながら、漠然とした心情を説明してみる。

 「もう、よくないよ? 昔ばっかり思い返してるなんて……それに、今はそれよりも、もっと見てあげなくちゃいけないモノがあるでしょ」

 「うん? なんだ、それ?」

 「あー、もう!」

 「おわ!」

 何の事かわからないという風な武の言葉に、茜はがばっと起き上がり、大地に武を押し倒した。
 大の字に寝転んだ武の上に茜が圧し掛かる体勢になる。

 「ほら! 可愛い恋人がすぐ近くにいるんだから、そっちをちゃんと見てあげなくちゃダメでしょって言ってるの!」

 あんな目は武には似合わない。それなら、無理やりにでもこっちを向かせて、あんな目をする暇をなくさせてやればいい。
 武の顔を両手で抑え、茜は武と視線を合わせる。
 
 「おまえ……恥かしくないか、その台詞……」

 「う……」

 しかし、武に真顔で突っ込まれた。
 茜としては真剣な気持ちで言った言葉であるが、振り返れば些かこっぱずかしいのは確かである。

 「はは……でも、そうだな。こんな可愛い恋人が出来たんだから、大事にしなくちゃいけないよな」

 茜の頭をなでながら、そんな事を言う武。
 優しげな笑顔でそんな事を言われれば、茜の思考回路はさらにヒートアップだ。
 武の目を見ていられず視線を下げると、ふと武の唇が目に止まる。そして沸いて出た欲求に、茜は素直に従う事にした。

 「そ、そうだぞ。大事にしないと、どうなっても知らないんだから……」

 ゆっくりと瞳を閉じながら、茜は武のそれへと、自分の唇を下ろしていく。

 「ああ、気をつけるよ」

 そして武も、瞳を閉じて茜を受け入れていった。
 やがて、お互いの手はお互いの体をまさぐり始め――――――













 目が開いても、しばしの時間、呆けてしまった。
 目が覚めた事により、なにかものすごい喪失感が胸のうちに沸いていた。
 ぱちぱちと目を瞬かせて周囲を見渡す。
 地下施設であるこの部屋には窓が無い為、時間の程はわからないが……自分の部屋である。
 勿論、寝ている自分以外は誰もいない。
 そして茜は我に帰った。

 「ちょっ……夢っ!? 寄りにも寄ってなんてー――――っ!?」

 そうして茜は、ベッドの上で悶え転がることになった。
 なんという夢だ。なんだ? 何か自分は欲求不満でも溜まっているのか? しかもアイツとなんて…!
 ひとしきりベッドの上を転がりまわり、毛布とシーツを巻き込んで蓑虫状態となった時に、ふと、自らの体の状態に気がつく。
 恐る恐るにそこへと手を伸ばしてみると……
 
 「うわちゃぁ……」

 下半身の惨状に、茜はまた別の羞恥心に苛まれた。
 それでふと思い出す。妙にリアルな夢だった気がする。
 これまで夢なんて、どこかぼやけて曖昧で適当なものだったが、今見た夢は映像としてはっきりと記憶に残っている。それこそ触り触られた感触までしっかりと……。
 そのせいで目が覚めた時に、なんというか、現実に帰ってくるまでに妙な時間を要したのだ。
 だがまぁ取りあえずは……

 すごすごと今しがた自分が作り上げた蓑から抜け出し、自らの発したモノでねっとりと湿った下着をそそくさと脱ぎ去る。

 「うわ……すご……」

 手にとってみて、改めて羞恥に赤面してしまう。自分の体の事とはいえたまらない。
 はぁ……と一つ溜息をつき、流石にこれはシャワーを浴びた方が良いか、と下着を持ったまま浴室へと入った。



















 ■ALTERNATIVE NEXT ―例えばこんな結末から始まる物語― ■

 第六話 「涼宮茜の憂鬱」





















 「はぁ……なぁんであんな夢見るかなぁ……」

 朝食を取ろうとトボトボとPXへ向かいながら茜は、まだ早朝といっていい時間であるにもかかわらず、今日既に何度目かわからない溜息を吐いた。
 憂鬱な気分の為か、後ろ髪の跳ねも跳ねきれていない気がする。
 大体、夢の内容はともかく、なんで相手が白銀なのか。
 そりゃまぁ、自分の周囲にいる男性なんて言うのはさほど多くは無い。主に一緒に活動する部隊のメンバーは白銀以外全員女性だし、上司だって女性だ。それ以外となると整備班の幾人かくらいしか思い浮ばない上に、それらはさほど親しい付き合いなわけでも無い。
 そこまで考えて茜は、自分の周囲の男っ気の無さに「あれ? もしかして私って結構厳しい状況だったりする?」と、自分の未来に少々の危機感を感じてしまった。男性の数が極端に減ってしまった現在、厳しいのは茜だけの話ではないのだが。
 でもそれならそれで、こう、もっと理想の相手とか、そんなのが出てきてくれても良いのではないか?
 よりにもよって……いや、まぁ別に、白銀がダメ……という訳でも無くはないのだけど……。
 普段は何かとちゃらんぽらんでいながら、こと大事な場面ではしっかり場を決めるし、些か危なっかしい面もまだあるものの、その技量は確かなものだ。
 人柄も柔らかく、周りの皆が白銀に懐いているのも理解はできる。(傍から見れば既に自分もその中の一人になっていることには気づいていない)
 でも……だからといって……。

 「オッス、涼宮」

 「おはよう涼宮。今日はいつもより早いのだな」

 思考がぐるぐる回りはじめたところで、背後から声をかけられた。
 茜は背後を振り返り、そこで初めて気がついた。既に自分がPXについて、更にはいつもの席に座り、目の前には朝食のセットも持って来ている事に。毎日の行動とはいえ、無意識恐るべし。
 
 「ん? どうかしたか?」

 「あ、ううん、なんでもないよ。ちょっとボーっとしちゃってただけ。おはよう白銀、御剣」

 なにやらキョトキョトと周囲を見渡す茜を不思議に思い、武が聞いてみるが、茜はパタパタ手を振りながらなんでもないと挨拶を返す。
 しかし内心、茜はドキドキだった。
 対面の席に座った武の顔を見た途端、今朝の夢の事がぶり返したのだ。
 視線は無意識に武の唇へと下がり、そこに自分の唇を合わせてしまったことを思い出す。そして更にはその先へと……。
 ちなみに自分はまだ清い体……どころか、接吻さえ未経験である。なのになんであれほど、あれやこれやの行為の実感までリアルに感じられたのだろうか……。
 今でもその感触まで思い出すことが出来る。十八年余り生きてきて、こんな感覚は初めてだった。
 血液が顔面へと逆流していく音が聞こえるかのように、頬が急激に熱くなっていくのがわかる。
 これは不味いと慌てて視線をそらすと、武の隣に座る冥夜にふと気づいた。

 ――そういえば、白銀と一緒に来たのか。

 チクリ、と何かが胸を刺したような気がした。
 帝都での一悶着から1週間と少し経つが、あれから御剣はなにかと白銀と一緒にいる時間が増えた……と思う。それまでも色々と白銀のフォローには懸命だった御剣だが、最近は甲斐甲斐しくと言って良いくらい、白銀の世話を焼くようになった気がする。
 明らかに、あの時の出来事が二人の距離を詰めたのは確かだろう。
 正直、女として御剣を少し羨ましくは感じてしまう。己が好意を寄せる相手が、自分の為に一国の頂点に立つ人間とやり合ってまで、自分を必要としてくれたのだ。これほど嬉しい事はそうは無いだろう。……まぁ、その辺りの人間関係が手放しで喜べる事だけではないのが厳しいところではあるが。

 「ん、なんだ? 涼宮。私がどうかしたか?」

 茜の視線に気が付いた冥夜が問い掛けた。

 「ううん、別に……。ただ、最近御剣と白銀は仲が良いなぁって思っただけ」

 「う、そ、そうか? まぁ、なんと言うか、その……」

 予想外の方向へ突っ込まれて、冥夜は赤くなってどもる。ここで勢い立って否定出来ない素直さが、彼女の可愛らしいところなのかもしれない、と茜は思う。普段が凛々しさ溢れるだけにそのギャップといったらもう……と言った感じだろうか?
 自分だったら、それこそムキになって否定している姿が目に浮かぶようだ。
 さて、ターゲットになっているもう片割れはといえば、素知らぬ顔で我関せずを決め込んでいた。話が聞こえているのは、少し赤味が差した顔で丸わかりであるが。
 こういうところは何と言うか、子供だなぁと思う。茜がもう少し歳を経て色々な経験を積めば、微笑ましくも受け止められるところであろうが、だが今の茜ではそこまでの懐は望めなかった。

 ――あれだけの事しでかしたんだから、とっととハッキリすればいいのに、この甲斐性なしめ。

 茜は、武の事情もわからないではないが、いつまでも引きずるべきではないのではないかとも思っている。
 今の御時世、人の幸と不幸を比べれば、残念ながら不幸の方が遥かに多いのだ。小さくとも、幸せをつかめるのであれば、掴んでおいた方がいいのではないかと。
 しかしまぁ、自分が口を出すべきことでも無いと捨て置いているのだが。
 ふぅ〜、と茜はひとつ大きく息を吐いて、気持ちを切り替えるべく目の前の朝食へと向かった。
 しばらく前に目の腫れも引き、体は全快したのだ。体力を取り戻す為にも、訓練を乗り切るためにも、これからの戦いの為にも、食事は大事な活力源である。しっかりと食べておかねばならないのだ。








 「じゃあ、午前の授業はこれくらいにしとこうか」

 茜は開いていた教本を閉じて、他数冊の教本とまとめながら言った。

 「はい、ありがとうございました」

 茜の対面に座っていた霞が、それを受けて返礼する。
 午前中、茜は霞の為の座学講習担当だったのだ。
 茜達は専任の教官職という訳ではなく、自分達の為の訓練などもある為、講師役は各員の持ち回りで受け持つようになっていた。
 武達としては、これも自分達に与えられた責務のひとつとして受け入れていたが(勿論任務で仕方なく、と言うわけではない)、霞としては大事な戦力である武達の訓練時間などを削らせてしまっている事に抵抗も感じていた。
 ゆえに、、出来るだけの感謝をこめて敬礼する。 

 「じゃあ、PX行こうか。お昼食べたら午後の訓練は……あ〜……白銀にでも聞いてね」

 「はい」

 神宮司軍曹ならここで午後の指示まで出しているところであっただろうが、考えて見れば茜は午後の霞の訓練予定は聞いていなかった。
 まぁ、霞も少しづつ体力はついてきてるとはいえ、まだまだである。基礎訓練から出る事も無いだろうが、いい加減な事をいう訳にもいかない。
 とりあえず武に丸投げしておいて、二人並んで教室を後にした。



 「お、来た来た。待ってたで〜二人とも」

 PXに着くと、既に他のメンバーは集まっていた。逸早く此方に気づいた咲が手を振ってくる。

 「待っててくれたんですか? 先に食べてて貰って良かったのに」

 「いやぁ、やっぱ食事は皆で食べた方が楽しいし美味いからなぁ」

 「ふふ、ありがとうございます」

 「ありがとうございます」

 咲のその言葉に、茜と霞は感謝しながら取って置かれていた席につく。
 そして何の気なしに武へと目をやると、武は何か書類の束と格闘していた。

 「何読んでるの? 白銀」

 「ん? ああ……さっき夕呼先生に呼ばれてさ、渡されたんだけど……」

 なんだろう、何か機密書類のような類なのだろうか。と考えてから、いくら常識ハズレの武とはいえ、そんなものをPXなんかで読むはずがないかと思い直す。
 いや、武だけにまさかという気もしないでは無いが、『流石にそれなら御剣が止めているだろう』と、武ではなく冥夜を信じた茜だった。

 「ほら、帝都に行った時にさ、貰える事になっただろう? 俺たちの新しい機体」

 ああ、それは覚えている……と言うか、あの時の出来事は総じて忘れる事など出来はしないであろう程のインパクトの塊であったし。いい加減、実機訓練もしたいものだとも思っていたし。早く来ないかなぁなんて思ってもいたのだ。

 「で、これが貰える事になった新型の仕様書ってわけ」

 「へぇ、そうなんだ。どんな感じなの?」

 「ん〜……と、聞かれてもなぁ」

 習うより慣れろで乗りこなしてきた武には、数字の上で性能を見せられてもいまいちピンとこないのだ……と、仕様書をテーブルに置こうとして、武はその視線に気がついた。

 (じ〜〜〜)

 ……見られている。それはもう、じっと見られている。

 (じ〜〜〜)

 何かに期待を寄せるようなその視線と姿はどこか、犬が耳をぺたっと伏せ、尻尾を振って飼い主の気を引こうとしている姿を幻視させた。
 ひょいっと、持っている書類を右へ動かすと、その視線もそれを追いかける。またひょいっと左へ動かすと、やはりじっとそれを視線で追いかける。
 …………まぁ、別に隊員には事前知識として見せておいても構わないよな……と、ひとつ息を吐いて、武はそれを差し出した。

 「見ますか? 鐘夷少尉」

 「いいんですかっ?」

 いや、あれだけ期待に満ち満ちた熱烈な視線を送っておいて、いいんですかも何も無いだろうに。と、武は内心で突っ込む。
 尻尾が本当にあったなら、きっと今はもう、ぶんぶんと千切れんばかりに振り回していることだろう。

 「まぁ、俺達が乗る事になる機体ですしね。それに、こうやって文章で書かれても、どうも俺にはピンと来なくて……その辺りは鐘夷少尉の方が色々と理解できるでしょうから」
 
 「ありがとうございますっ。任せてください!」

 仕様書を受け取って、心底嬉しそうだ。笑顔が輝いてるようにさえ見える。というか、こんなに明るい雰囲気の芳乃を見たのは初めてな気がする。本当に戦術機が好きなんだなぁと感じる。

 「と、言うわけで、適材適所だ。詳しい事は鐘夷少尉に聞いてくれ」

 「……まぁいいけどさ……」

 茜は、――先ほど自分も、判らなかった霞の予定を武に丸投げしたことは心の棚に上げておいて――芳乃に丸投げした武をジト目で見てやる。

 「不知火弐型……であったか?」

 「ああ。なんでも不知火をベースに日米で共同開発した機体らしいけど、どうにもまだ試験機の域を出てないみたいだな」

 「そうですね……これを見ると、1号機のロールアウトが去年の8月です。現在3号機までの機体完熟が終わっている様ですが、流石に正式採用に至るには早すぎると思います」

 「大丈夫なんでしょうか? そんなので」

 仕様書を見ながらの芳乃の解説に、茜は少し不安に思った。
 兵器の信頼性というのは、現場で乗る方にとってはそれこそ死活問題なのだから当然の事ではある。
 極端な話、どんなにすごい機体だったとしても、エンジン吹かすと常に爆発の危険があるようでは、オチオチBETAなんかと戦ってもいられないのは誰にでもわかる話だ。

 「まぁ言ってみれば、俺たちに試験運用しろって事じゃないかね。今はどこの国も戦力の建て直しに注力してるし、まだしばらくは任務らしい任務も無いだろうからなぁ」

 咥えた箸をピコピコと振りながら武。こら、咥え箸などするでない、と諌める冥夜。どこの鴛鴦夫婦だ、と内心の茜。
 勿論、オリジナルハイヴを潰したとはいえ、まだ地上には数多くのハイヴが残っているのだ。今も前線での局所的な防衛戦などは起こっている。
 しかし、ハイヴ攻略のような大規模作戦を起こすには、未だどの勢力も桜花作戦で疲弊した戦力を立て直しきれていないのが現状だ。
 米国でさえ自国の80%の戦力を出して、ほぼ壊滅の憂き目にあっているのだ。まだ桜花作戦から2ヶ月程度しか経っていないのだから、それもまた当然の事であるだろう。
 更には、日本は佐渡島ハイヴを潰した事で当面の脅威からは脱しているため、大慌てで行動をする必要が無い。とはいえ、まだ近場に「甲20号目標・鉄源ハイヴ」も存在してる為、あまり悠長な事も言っていられないのも事実ではあるが。

 「ウチ等にテストパイロットになれって言うんか?」

 「短的に言えば、そういうことですかね」

 わからない話でも無いのだ。
 自分たちを、遊ばせておくよりは有効な使い道であるだろうし、今まで不知火を使ってきた事もあって、機体の比較なども出しやすくはあるだろう。A-01が極秘部隊と言うのも――今では頭に「一応」の文字が必要かもしれないが――試験運用には都合がいいかもしれない。そして、オリジナルハイヴを潰した部隊として、腕前にも信頼は置ける。

 「噂程度には聞いた事がありましたけど……確かに、完全に仕上がったらすごい機体かもしれませんね、これは」

 「そうなんですか?」

 「ええ、簡単に言えば不知火……接近戦を主軸とする日本の戦術機の鋭さを活かしたまま、米国戦術機の遠距離戦能力を両立させて、出力のアップと機体の追従性向上、更には稼働時間の延長をも成し得ています」

 ペラペラとページをめくりながら活々と解説する芳乃。気のせいか、眼鏡が光ってません?

 「それだけ聞くと、ものすごい機体に感じるな。それこそ武御雷並なんじゃないですか?」

 「ある意味武御雷を超えているんじゃないでしょうか。武御雷はあまり生産性やコストは考慮されていませんから。比べて此方は、米戦術機の汎用部品を主に使うことで、生産性はもとよりメンテナンスやカスタマイズなどの面でも扱いやすくなっているようです」

 単純な性能では及ばないまでも、それ以外の部分とのプラスマイナスで武御雷をも上回るかも知れない。
 その言葉は、一同に口を開かせるのに十分な力を持っていた。

 「でも、悔しいですね」

 「悔しい?」

 不思議な芳乃の言葉に、武は反射的に聞き返していた。

 「ええ。吹雪や不知火、それに武御雷は、日本の技術者達が国産の最高の戦術機を目指して作り上げたものです。とはいえ、それらも基本が米国機のF-4とF-15ですから、完全な純国産機とは言えませんが……。それでも技術者たちは完全な純国産機を目指して努力を重ねているんです。それが、米軍機とのあいのこに簡単に追いつかれてしまっては……」

 実際はさらに、開発に参加した富嶽・光菱・河崎の日本3大企業と米国ボーニング社との間での不知火のブラックボックに関わる話など、更に芳乃を悔しがらせるような出来事もあるのだが、まぁそんな話が遠く日本にいる無関係の衛士ごときの耳に入ってくるはずも無い。

 「まぁ、気持ちはわからないではないですけどね……。でも、それだけの機体、問題点とかはないんですか?」

 「それも、既に3号機まで完熟が済んでる以上、大きな点は無さそうですね。私たちがやるのは本当に、『部隊としての運用試験』ということかも知れません」

 なるほど、と全員で頷く。
 いきなり爆発したりするような物騒な物で無いなら、まぁ多少は安心である。

 「そうなると、明後日の搬入が待ち遠しくもなってくるなぁ」

 擦れても男の子。やはり『新型』という言葉には心踊るものがある。

 「え? 明後日に入ってくるの?」

 「あれ? そうだけど……言わなかったっけ?」

 「聞いておらん」

 そっか、ごめんごめん。と、お気楽な武に冥夜は嘆息する。自分は香月博士のいるエリアには入れないのだから、伝達事項はしっかりしてもらわねば困ると。

 「ごほんっ、じゃあ改めて。明後日の13:00に、開発に携わった技術チームや関係者と一緒に新型機がやってくる予定だ。その時には改めて召集もかかると思うけど、よろしく」

 『了解!』

 武の伝達に、全員が声を合わせて略式で敬礼する。
 そして食事を終えた面々は、午後の予定へと繰り出していった。

















 「やーっ」

 「ほっと、そうそう! 今のは中々いい感じだったぞ霞!」

 訓練グラウンドの傍らで、武以下A-01隊員は模擬刀による近接戦闘訓練に勤しんでいた。
 こればかりは一人では出来ないので、霞も武達に混ざって相手をしてもらっている。
 とはいえ、どうにか基本的な刀の振り方をやっと身に付け始めた程度。まだまだ真剣な打ち合い訓練とまではいかないのだが。
 しかしまぁ、朱に交われば赤くなるというのか……まさか霞がこんな武器を構えて戦う姿など、ついぞ想像したことすら無かったよなぁなどと、感慨深いものを感じたりする武である。
 ふと気になって横を見やれば、少し離れたところでは冥夜と咲が刀を合わせている。
 この組み合わせ、直接的な近接戦闘の技量では冥夜に軍配が上がるのだが……咲はなんと言うか、虚実を織り交ぜてつかみ所が無い、飄々とした戦い方をするのだ。
 武自信も、咲は相手にして妙にやりづらいと感じるのだが、どうやら冥夜もその辺りは同じようで、いまいち攻めあぐねていると言う感じだ。

 「ほっほっと……どした副隊長はん。こないんならコッチから行かせて貰うでぇっ」

 「ふっ! せぇい!」

 左下段からの咲の斬り上げを自らの刀でさばいて、その勢いのまま冥夜の刀が上段から咲に襲い掛かる。
 咲はそれを、ギリギリのところの体捌きでかわし、振りぬいた姿勢の冥夜の奥襟を取ると、そのまま片手で背負い投げの様に投げ飛ばそうとする。
 しかし、決まりきっていない為、冥夜も咲の背中を転がるようにしてそこから抜け出す。そしてまた、お互い睨み合いの体制になった。
 武は内心で、冥夜の太刀筋をかわした咲に賞賛を送った。最近は武でさえ、冥夜の刀捌きには冷や汗を流す事が多い。もはやここで207に入ったばかりの頃の用に、片手間であしらうような真似は出来なくなっていた。
 先ほどの上段斬りも、かわす事自体は武でも難しくは無い。だが、大きくかわせば冥夜の方の次の一手が間に合ってしまう。冥夜も、それを狙っての一撃だっただろう。ギリギリで見切ったからこそ、咲は次の攻防を己のものとしたのだ。
 しかしまぁ、見切りがもう少し甘かったらその胸は輪切りになっていたかもしれない紙一重のかわし方に、こういう時はあの大きさは邪魔そうだなぁ……等と余計な感想も武は抱いたりした。
 そして武は、今自分が何をしているのかを失念していた。まぁ、二人の刹那の攻防に気を取られた事は、ある意味仕方がないのかも知れないが。

 「やーっ」

 「がふっ!」

 武の気がそれている事に気づかず、拙いながらも一心に打ち込んで来た霞の一撃が、武の胸突を襲った。

 「な、ナイスだ霞……ただ、突きはもうちょ〜っと基礎をしっかりしてからにしような……」

 「……はい……」

 武は胸を押さえながらうずくまり、脂汗を流しながらも笑顔で霞に指導した。










 茜は、何をするでもなくそんな光景を眺めていた。
 少しでも早く負傷期間の遅れを取り戻さなければならないのはわかっているし、事実先ほどまでは鍛錬に励んでいた。
 ただその途中で、霞の剣を受ける武の姿が目に入ったとき、今朝の夢の事が再び浮き上がってきてしまったのだ。
 強気な性格から男勝りな行動や言動が多い茜であるが、彼女も年頃の娘である事に変わりは無い。恋愛に対して夢も希望も、そして興味もあるのだ。あれほどの強烈な体験をすれば、スパッと忘れろと言う方が難しいだろう。
 夢は己の願望を表す事が多いと聞くが、だとすれば、自分は白銀とそう言う関係になりたいのだろうか……そんな疑問が湧いてくる。
 そう言う行為に興味がないといえば嘘になるだけに、もしかしたらそういうことを経験してみたいと言う願望に、ただ身近にいる異性が当てはまっただけなのかもしれないが、それはそれで自分が淫猥な人間に見えてきて認め難い。
 かと言って白銀のことが好きかと言えば……嫌いなわけではないが、恋愛の対象としてなど考えた事もなかったというのが正直なところだ。まぁそれ以前に、理想の相手だなんだと言ったところで所詮は妄想。現実的、具体的な「彼氏」「恋人」の姿など浮かんだ事もない。そしてそれは、誰しもが同じ事だろう。そんなものは、好きな相手が出来て初めて出てくるものだ。
 変なところで素直になれない自分の性格は理解している。ただ、夢に元々の性格が反映されるものなのかはわからないが、夢の中で白銀と絡み合っている自分は、それを喜んでいて…… 

 「涼宮、何ボーっとしてんだ?」

 「っひゃあぁぁっ!?」

 思考に、それも口に出すのは少々憚られるような内容の思考にのめりこんでいた為か、完全に不意を突かれ、飛び上がって驚いてしまった。

 「どうかしたか? 隙だらけだったぞ?」

 「し、しし、白銀!?」

 振り向けばそこにいるのは、霞の相手をしていたはずの武だった。
 なんでこっちに白銀が? と思い、先ほど霞と打ち合っていたほうを見ると、今は芳乃が霞の相手をしていた。

 「ど、どうしたの? 社の相手してたんじゃあ……」

 「ん? ああ……ちょっと休憩がてら、水飲みにな」

 あと、予想外のダメージの回復。口には出さずに武はそう付け加える。

 「そう……えと、どうなの? 社の具合って」

 茜は、いろいろとあまり突っ込まれたくないので、会話の主導権を渡さないように無理矢理に話を振る。
 茜や芳乃が座学関連の持ち回りに入っている代わりに、体術訓練などは主に武や冥夜が中心になって教えている。ゆえにお互いがあまり関わっていない方の進み具合は体感できていないのだ。

 「おう、がんばってるぞ〜。それでもまぁ、ようやく人並みからちょっと超えた位だけどな。」

 「そっか……」

 拙い剣技で懸命に打ってかかる霞をもう一度視界に収め、その姿にどこかまぶしいものを感じる茜だった。

 「座学の方は案の定殆ど問題ないから、ネックはコッチ方面だったしね。それも上手く行ってるなら……まぁ、よかったかな」

 どこで学んでいたのか知らないが、戦略・戦術関係の知識まで霞はある程度備えていた。とはいえ完璧なわけでもなく、どちらかと言えば教える事よりも、何を知らないのかを探す事の方が大変だったりする。例えるなら、一から十の知識を覚えなければならない中で、三と五と八が抜けている、というような感じなのだ。
 まぁ、一々探してそこだけ教える、なんて言うのも非効率的なので、復習がてらにざっと順繰りに教えていきながら、穴があったらそこを重点的に埋めていくという形を取っているが。

 「まぁな……。如何せん体力面のスタート地点は低かったからなぁ……途中で根を上げたりするかとも思ったけど、霞の決意も本物ってことかな」

 正直、霞の訓練開始時の体力は、武が初めてこっちの世界に飛ばされてきたときよりも数段低かった。神宮司軍曹の様にスパルタで叩き込んだりはしていないが、それでもどれほどきつかったであろうかは武には容易に想像できる。

 「最近は、食べる量も増えてきたしな」

 体を動かせば腹も減る。最近の霞が一回に食べる量は、それ以前の倍近いものになっている。と言っても、これもまた訓練開始前の食事量が少なかっただけに、倍になっても茜や冥夜が一度に食べる量に届いていないのだが。
 しかし、この変はあまりつっつくとちょっと危険でもあるので深くは触れないでおく。

 「血色も良くなって来たよね。多少日に焼けてもいるのかな」

 もとが真っ白だっただけに良く目立つ。まぁ、霞が白かったのはロシアの血のせいもあるだろうが。

 「まぁ、健康的になるのはいいことだ……で?」

 「うん?」

 数瞬の間を置いて、武は茜に問い掛けた。
 霞の話で警戒を解いてしまった茜は何気なく聞き返してしまった。

 「いや、今朝もなんかボーっとしてたし、今もだろ? なんかあったのかと思って」

 「え、ああ、うん……」

 しまった、と思っても時既に遅し。
 しかし、だからと言って早々人に言える話ではない。ましてや白銀になど、まったくもって言語道断である。

 「べ、べつになんにもないよ? 私だってそりゃボーっとする時ぐらいあるよ」

 「ふむ……」

 あからさまに納得していない様子の武。まぁ、言っている茜本人でさえ今の台詞で誤魔化せるわけがないと判ってはいるのであるが。
 しかし、このようなやり取りで武に遅れをとるような茜でもない。

 「私の事よりも、何とかした方がいいのは白銀の方じゃないの〜?」

 「あん? 何の話だ?」

 いきなり話の矛先を向けられた武は、きょとんとした顔で問い返す。

 「まったく……御剣の事だよ。わかってるんでしょ? 御剣の気持ちは」

 オリジナルハイヴ内での細かい出来事など知らない茜であるが、どこかで二人の間に何かあったのではないかということくらいは感じ取れる。白銀からどうこうする事は考えにくいから、必然的に御剣からなにかしらのアプローチがあったのでは、というあたりまでは読んでいる。
 更には、何も無かったのであれば、帝都で煌武院殿下に言い放った白銀の言葉には、あまりにも自信がありすぎたと思う。裏づけの無い自信で国のトップに楯突けるほど、白銀も無謀ではないだろう。……いや、その辺はあまり保証もできないかもしれないが。
 そして、恐らく今の二人には、何か暗黙の了解のようなものがあって、現状維持が続いているのだろうと言うことも、何となく思っていた。思ってはいたが、余計な事に首を突っ込んできた意趣返しも含めて、あえてネタにさせてもらう。

 「目の前に餌ぶら下げておいて放置っていうのは、私としてはどうかなぁと思うんだけど?」

 ん? と両手を腰の後ろで組んで、少し前にかがみながらあえて上目使いで白銀を見上げる。
 帝都での件であんなことをやってしまっては、自分と冥夜のことはもはや周囲にバレバレなんだろうなと言う事は、流石の武も何となく感じている。
 ゆえにもはや誤魔化そうとも思わず、頭をわしわしと掻きながら、苦い顔で武は言う。

 「あ"〜、ん〜……自覚は、してるんだ。冥夜にもそう言ったんだぞ? でも、冥夜がそれでいいって、言うんでな……。全ては、あいつが起きてからだって……」

 「ふ〜ん…………」

 それを聞いて、茜は思った。
 御剣は現状に満足してるわけでも逃げてるわけでも無い。懸命にがんばっているんだと。
 白銀と鑑には「幼馴染」というかけがえの無い時間が存在する。その時間が築き上げた絆はかなりの強敵だ。だが、こう言ってはなんだが、鑑が眠りつづけている今はかなりのアドバンテージである。彼女が起きるまでにどれだけ白銀の心に喰い込めるかが勝負の分かれ目になるといっても過言ではないだろう。勿論、御剣が本当にそこまで意識しているのかは定かではないし、いつ鑑が目覚めるのか、それとも目覚めないのかは誰にもわからないと言う問題もあるが。
 そして白銀もそれを受け入れている……そう理解した時、茜はなぜかちょっとだけ、胸の引っ掛かりが取れたような、心が軽くなったような感じがした。
 
 「そっか……」

 「?」

 なぜか微笑顔になった茜の様子の変化に、武は頭を捻った。
 と、その時。

 「うわっちゃっちゃぁ!」

 「ぬあ!?」

 聞こえてきた叫び声? にそちらを振り向くと、もつれるように折り重なって地に伏す咲と冥夜の姿があった。

 「あたた……ごめんなぁ副隊長はん。思わずコケてもうた」

 「んっ……いえ、大丈夫ですから……」

 どうやら勝負がつく前にトラブル発生のようだ。
 咲の上にかぶさっていた冥夜がよいさっと立ち上がり、咲へと手を差し伸べる。

 「ん、おおきに」

 その手を取り咲も立ち上がる。
 すると、はらりと白いテープが落ちた。

 「おっとイカン、ほどけてもた」

 それは、咲が常に左腕に巻いているバンテージだった。
 最初の頃はまだ負傷の影響でも残っているのかと思っていたが、訓練中などもこれと言って左腕をかばうような事も無く、動かす事にも支障はなさそうだったので、これも咲流のファッションか何かかと思っていた武だったが、隠されていた左腕を見た今、少し息を飲んだ。

 「濱矢中尉……その腕は……」

 冥夜も、少々面食らったように咲に訪ねた。

 「なはは、あんまり見て気分のいいもんじゃ無いやろうから隠しとったんやけどね……火傷の皮膚移植が、あんまり上手くいかなくってなぁ……」

 咲の左腕は肘上辺りから先が、肌色の部分と紫がかった部分とで、斑模様になっていた。
 どうして、などと考えるまでも無い。トライアル時の負傷から残った疵であろう。
 やたらと医療技術が進んでいるこの世界だがそんな事もあるのか……と武は思う。だが、武には知る由も無いが、実際には咲が負った火傷は3度に近い重症だったのだ。それが一ヶ月あまりという短期間でこんな訓練をしても問題無いほどに回復しているだけでも、この世界の医療技術は驚嘆すべきものなのである。
 そして、そこで武はハッと気づいた。隣にいる茜を見る……と案の定、青ざめた顔で呆然としている。
 そう、咲が負傷する原因となった茜が、それを見て平気なわけが無いのだ。 
 無論茜だって、それがあまり易の無い感傷である事は理解しているはずだ。咲だってそんな物は望んでいないだろう。しかし、まだまだそう簡単に割り切れないのも仕方が無くはあるのだ。

 「あんまり考えすぎるなよ? 涼宮」

 「う、うん……大丈夫だよ。私は、平気」

 とはいえ、動揺してるのはまる分かりである。 
 そしてその茜の様子に咲も気がついて、にが虫を噛み潰した。
 左腕のテーピングを巻きなおしながら、此方へとやってくる。

 「あ〜、茜ちゃん、気にしたらあかんで? これかて、追々消していけるらしいしなぁ」

 左腕を軽く振りながら、咲は言う。

 「はい、大丈夫ですから……でも、ごめんなさい……」

 そう言うと茜は、武と咲の脇をすり抜け、隊舎の方へと小走りで去っていった。
 茜の姿が隊舎に消えて見えなくなると、武と咲は視線を合わせてから嘆息した。

 「こうなるやろうから、隠しとったんやけどねぇ……失敗や」

 「…………」

 武には何も言い様が思いつかない。

 「申し訳ありません、濱矢中尉。避けようと思えば避けられたはずなのですが、咄嗟の事で……」

 冥夜も、すまなそうな顔で武達の元へとやってくる。

 「いや、足滑らしてコケたのはウチやし、副隊長はんはそれに巻き込まれただけや、なんも責任あれへんで。まぁ、跡が消えるまで隠し通せはしないやろうとは思っとったけど……」

 バレるの早かったなぁ、と咲は苦笑いする。そして、頭を掻きながら「ふむ……」と頷き、武の肩をぽんと叩いた。

 「まぁ、後はよろしくお願いしますわ、隊長はん? あんじょうフォローしたってや」

 「え?」

 突然自分に話を投げてよこされ、ギョッとする武。

 「……まぁそう……だな。部下のメンタルケアも……隊長の責務ではあるしな……些か嫌な予感はするが……」

 冥夜は、どこか自分を押さえるように言いながら、咲の意見に同意する。

 「うぅ」

 正論である。武だってみちるにはメンタル部分でも大いにお世話になった身だ。否定はできない。
 しかし、自分に他人の相談にのるようなことが果たして出来るのか……自分のこととはいえ、いや、自分のことだけに甚だ疑問である。
 ちなみに、副隊長にだってその役目は当てはまる――場合によっては立場が上過ぎる隊長などよりも、隊員に近い副隊長のほうがなお良い場合もある――と言う事には気づいていない。
 冥夜としては、以前の武との事で、自分が他人にあまり優しくないことを自覚しているので自重しているのだが。
 冥夜とて、彼女なりの人への思いやりは持ってはいるが、その生い立ちからかどうしても、他人にも強くあれと求めてしまう。結果として武を相当なところまで追い込んでしまったのは、冥夜のちょっとしたトラウマになっている。

 「まぁ、今はまだ少し時間をおいた方がええやろけどな……。少しは一人で整理させてやった方がええ」

 「ですか……。まぁ、やれるだけやってみます……」 

 どれだけ出来るか自信は無いが、茜が心配なのも確かではあるし、役に立てるなら立ちたいとも思う。不安はあるが、武は頷いた。

 しかしその後、茜は夕食にも姿を現さなかった。













 茜は、部屋の前に立っていた。勿論自分の部屋ではない。
 時刻はもう就寝時間を過ぎている。正規兵になって多少は融通が利くようになったとはいっても、あまり誉められた行為ではない。
 だが、そうまでしてここに来たはいいが、扉をノックする踏ん切りがつかない。
 自分はなぜ、ここに来たのだろうと自問する。そう、一人で思い詰めるのが良くない事は理解しているので、誰かと話したいと思ったのだ。
 普段ならそういう相手は濱矢中尉になるのだろうが、今回に限ってはそれは選びにくい選択肢だった。だからと言って鐘夷少尉はそういうのに向いているタイプではないし、社は流石にないだろう。御剣は……なんだろう、なぜか回避したかった。
 そして、残ったのがここだったのだ。そう、残ったのが……。
 そんな思考を回しながら、扉を叩こうと腕を上げ、そしてまた下げるのを繰り返していた時、背後から声がかかった。

 「涼宮……? どうしたんだ? こんな時間に……」

 「え……白銀……?」

 宿舎の廊下をやってきたのは、武だった。
 部屋にいるものとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。なんか、ドアを叩けず葛藤していた自分が少し馬鹿みたいに思えた。

 「白銀こそ、就寝時間過ぎてるのにどこ行ってたのよ」

 なので、ちょっと言葉に棘が出てしまった。出歩いてるのは、同じ穴の狢なのだが。

 「ん、ちょっと飲み物が欲しくてな。買いに行ってた」

 そう言う武の手には、パックドリンクが幾つか。

 「で? どうした? ここに立ってるって事は、俺になんか用なんだろ?」

 PXから帰ってきたら、自分の部屋の前に立ちつくしてる人影がある。最初は冥夜でも来てるのかと思ったが――最近、夜の自由時間に冥夜が尋ねてきて、軽く打ち合わせを兼ねたお茶会の様になることがままある――正体が見えてみれば、どうしたもんかと頭を悩ませていた相手だったのだ。
 意外に思う反面、自分から姿を現してくれた事が少し嬉しく、少し安心した。

 「う……うん、その……なんて言うか……」

 茜は、胸の前で両手の指を合わせながらモジモジと話しづらそうにする。

 「まぁ、とりあえず入れよ。丁度飲み物は幾つか買って来てるし、俺で良いなら愚痴位ならいくらでも聞くからさ」

 「…………うん……」

 武は、自分の部屋のドアを開いて茜を招き入れる。
 考えて見れば男子の部屋に入った経験など無かった茜は、ちょっと心拍数があがるのを意識しながら、おずおずと武の部屋へお邪魔した。
 さり気なく部屋を見渡し、当たり前だが自分の部屋と殆ど変わらない様子に、こんなもんかとちょっと意外に思った。私物の多い濱矢中尉の部屋などとは比ぶるべくも無いが、男の子の部屋ならもう少し散らかっているかとも思ったのだが。
 実際、少し前までならその予想は当たっていた事だろう。単に、冥夜がこの部屋に訪れるようになって、彼女がちょこちょこと片付けているに過ぎないのだから。
 武は茜をベッドに座らせ、自分は机のイスに腰掛けると、ふぅ、と一息吐いた。

 「ほい。ま、これでも飲んでくれ」

 「ん……ありがと……」

 武からドリンクを受け取り、ストローを刺すと少しだけ喉へ通す。 

 「それで? 気持ちの整理はついたのか?」

 茜が落ち着くのを見て、武は切り出した。

 「ん……整理って言うか……濱矢中尉の腕の事自体は、申し訳ない気持ちは勿論あるけど……はじめからそれなりに割り切れてはいたんだけどね……」

 「んん? そうなのか?」

 じゃあ何をあんなに青い顔して思い詰めていたのか。武には想像がつかなかった。
 茜はまた一口、ドリンクを啜った。どういう風に話したものかと話の順序でも纏めているのか。
 まぁ、ゆっくりとでも、話しやすいように話してくれればいいと、武はのんびり待つ。

 「ん……あれを見たとき、色々と思い出しちゃって……ねぇ、白銀?」

 「ん?」

 「私って、ひどい人間なのかな」

 「あん? なんだそりゃ?」

 茜は、ぽつぽつと話し始める。
 最近自分が、あまりみんなの事を思い出さなくなっていた、と。離れたところで逝ってしまった千鶴達や速瀬中尉達は元より、実の姉や、明らかに自分が不甲斐なかったせいで命を落とした築地多恵のことでさえ。
 先んじて逝ってしまった者達を尊び、誇り、語り継ぎ、そして後ろを振り返らずに前へと進む事が衛士の流儀だと言う事は理解している。現実にそうしようと努力もしていたつもりだ。だが、それが歪んで、忘却に繋がりかけていたのではないか。
 そう思ったとき、自分が酷く薄情な人間に思えた。そしてその時、本当に皆が自分の周りからいなくなっている事を実感してしまった。そう……今の自分の気持ちを話せる相手が、いなかったのだ……。
 以前であれば姉の遙や、尊敬する先輩だった速瀬水月、相棒役だった柏木晴子に親友の榊千鶴……ちょっと気はひけるけれど隊長の伊隅みちるにだって、話せていた。それが誰も、いなくなっていた。
 別にそれまでが、皆の死を現実として受け入れられていなかったとか、そう言うわけではないと思う。ただ、何かこう、漠然としていたような気もする。あれだけショックを受けて、あれだけ一人で泣いたのに。

 「なんで……なんでなんだろうね……なんで、みんな居なくなっちゃったんだろう……なんで………………私だけ居るんだろう……」

 話しながら感情が高ぶってきたのか、茜は涙を溜めていた。
 武は、何となく茜の心境が理解できた。多くの仲間を失った桜花作戦から帰ってきて、純夏の現実を聞かされて、冥夜が昏睡から目覚めるまでの間、自分も似たような思いをしたから。
 恐らく茜は、理屈と感情が上手く合致せずに混乱状態のようなものなのだ。武の場合は、スパルタ的……といえば言葉はおかしいが、それこそ自殺まで考えたほどの、どん底の精神状態を経験していた事もあり、なんとか耐え抜くことができたし、目覚めた冥夜に助けられて心の整理をする事も出来た。しかし、茜にはそんな激しい経験は無く、更にはここまで押さえてきた心が揺れてしまったこの時に、親しく頼れる人は皆居なくなってしまっていて、どこにも寄り掛かることが出来なかった。そして寄り掛かる相手が居ない現実を感じる事で、理屈ではわかっている事と、感情と、なさねばならない流儀との間での折り合いがつかなくなってしまったのだろう。更に、自分しかいないと感じた孤独感がそれを煽り、どこか支離滅裂な今の感情になっているのだ。
 原因はわかった。そして自分が経験したのと同じような状態なのなら、恐らく、解決してやる方法も同じようなものだろう。寄りかからせてやればいい、泣かせてやればいい、一人じゃないとわからせてやればいい。
 しかし、それを自分などがやっていいのかどうかがわからない。自分と冥夜の場合は……まぁその、なんだ、ありがたくも彼女が自分に対して並々ならぬ想いを持っていてくれたおかげで助けられた。だが、茜と自分とでそれが成り立つとは思えない。今の面子で一番それに相応しそうなのは咲だが、しかし態々呼びに行って、来て貰うのもなんだし、今更咲のほうへ行けとも言えないし、明日会った時に……という訳にも行かない。結局は、今この場にいる自分が何とかするしかないのだ。
 まぁあれだ、辛い時は、誰であれ傍に人がいてくれるだけでも多少は心が軽くなるとも言うし……。
 そう自分に言い聞かせて武は立ち上がると、ベッドに座り俯いて、泣くのを堪えている茜の前へと進み出てしゃがむ。そして、その頭に手を乗せると、できるだけ優しくなでてやった。
 さて、冥夜は自分に何と言ってくれたんだったか……。

 「あ〜……えっとだな。涼宮の今のその気持ちはさ、多分、俺も経験したのと同じだから、よくわかるんだ」

 自分も同じ思いをした、という言葉に、茜は「えっ?」と言う風に顔を上げた。

 「でさ、多分涼宮は今、思いっきり泣いた方がいいんだと思う……誰かに寄りかかって。俺も……そうだったから、さ。で、まぁ、俺なんかじゃ分不相応とは思うんだが……そばに居るからさ、泣けるだけ泣くといいと……思うぞ?」

 柄にもないことを言っている、と少しそっぽを向きながらたどたどしく説明する武。
 それを聞いて、茜の目には、みるみる大粒の涙が溜まり始めた。

 「泣いて……いいのかな? 私、泣いて……いいの?」

 「ああ、いいんだ……」

 それを聞いて茜は、少し躊躇しながらも武の胸に頭を乗せて寄添った。

 「ふ……う、ぐす……ううううぅ、おねぇちゃぁん……ちづ、るぅ……みんなぁ……ふうぅぅ」

 そして、声を荒げこそしなかったが、茜はぐすぐすと洩らし始める。
 武は、さてどうするべきかと考えて、おそるおそる茜の背中へと左腕を回し、右手はそのまま、茜の頭をなでてやった。

 「涼宮……お前は一人じゃないぞ。まだ、居なくなってしまった人たちに比べれば全然頼りないとは思うけど、俺も、冥夜たちもいる。一緒に泣いて、笑って、たまには喧嘩もして、がんばって行こう。……大丈夫……お前は、一人じゃないんだ……」

 ゆっくりと、ゆっくりと、噛んで含めるように茜に諭していく。一人じゃないんだ、辛ければ頼ってもいいんだと。

 「ふえぇぇぇ、しろがねぇぇぇ」

 茜は、そのまま武の胸にすがり付いて、ひとしきり泣いた。












 静寂の中、コチ、コチ、と時計の刻む音だけが聞こえる。
 いや、もう二つほど、音が聞こえる。
 自分の心臓の奏でる鼓動と、彼の心臓が奏でる鼓動。

 ――うう……恥かしくて死ねるかも。

 茜は、泣くだけ泣いて我を取り戻していた。どのくらいの時間泣いていたのかはわからないが、間違いなくここ数年で一番泣いたと思う。
 そのおかげなのか、随分心が楽になったような気がする。白銀が言ってくれた一人じゃないという言葉が、伝わってくる温かさから実感できる。
 しかし、泣いて、喚いて、すがり付いて……自分の所業が恥かしい。
 こうして抱きついているのももはや非常に恥かしいのだが、離れて泣きはらした顔を見られるのも御免被りたい。更には、どんな顔して話せばいいというのか。
 白銀は未だに、自分の頭を優しく梳いてくれている。その感触が非常に心地よい。

 ――こんな風に人に甘えたのって、どのくらい前だったかな……。

 その心地よさに昔日を思い出す。父に、母に、そして姉に甘えていられた、家族の優しい日々。今は欠けてしまった、尊い時間。
 父が笑って、母が怒って、姉が呆れて……自分を抱きしめてくれた、暖かい過去。
 その懐かしさと、欠けてしまった事実に再び涙しそうになるが、髪を梳く手の感触と、伝わってくる自分のではない体温と鼓動の音に、耐える事が出来た。それと同時に、現状を思い出してまた恥かしさもこみ上げてくるのだが。

 ――でも、なんだろう……恥かしいけど、こうしてるとすごく安心できる……。

 包まれている感覚に、茜は安らぎを覚えていた。それはどこかで覚えのある……そう、幼い頃、父に抱っこしてもらった時のあの安心感かもしれない。
 なんで父親と同じものを、白銀から感じるのか。茜は疑問に思った。
 男の人だから……? だとすると、白銀以外の男の人にこうされても、同じ感じを受けるのだろうか。まぁ、見知らぬ他人にこんなことされたいとは流石に思わないが……。
 そこで茜はハタと気がついた。自分が今のこの状況を、恥かしいとは思っていても、嫌がってはいない事に。嫌ならば、口より先に手が出る事も多い自分のことだ、恥かしいだのなんだのの前に既に白銀をはっ倒している事だろう。いや……そもそも嫌に思う相手だったのなら、最初からこの部屋に足など向けていなかった……。

 ――でもそれは、他に適正な相手がいないと思ったから……。

 ――けどそれなら、相談役としては申し分なさそうな(ちょっと恐い気もするけど)上に、同性、同年齢であるだけに話しやすそうな御剣を、なんで避けた?

 ――じゃあ自分は、「白銀だから」ここに来た……? 

 ――つまり自分は白銀を……そこまで頼りにしている?

 ――いや、その言葉は微妙にしっくりと来ない…… 

 ――つまり、自分は、白銀のことが、え〜と……好……き……?

 そう思ったとき茜は、これまでの恥かしさとは別の恥かしさで、顔にものすごい量の血が集まるのを感じた。
 まだ「好き」と言う気持ちを上手く感じる事は出来ないのだが、そう考えるとここ最近の自分の事で、納得できるところがそこかしこに思いあたった。そして、なぜ今回の相手に御剣を避けたのかも、わかった気がする。
 そう、それはおそらく、嫉妬。
 しかし、頭に血が集まりすぎているのか、なんだかボーっとしてきて、それ以上の考えがまとまらなくなってきた。

 ――うわ〜……なんか、ふわふわするよぉ〜……

 ふわふわ、というか、クラクラと沸騰した頭を少しだけ上げ、何となく白銀の顔を覗き見た。心臓の音が、また一速シフトアップした気がする。
 何を考えているのかはわからないが、茜の背後の壁を見つめているその表情は、真剣だった。
 真剣に、自分のことを心配してくれてるのかな、と思うと、嬉しさもこみ上げてきた。その時。

 「涼宮? もしかして、寝ちまったか?」

 白銀がそう問いかけながらこっちを見た。
 真剣な顔から一転、優しげな顔で此方を覗き込んだ武の目と、目が合った。

 「あ、だめ」

 咄嗟に出たその言葉はどういうものだったのだろう。
 だが武のその澄んだ瞳を見た瞬間、茜は直感的に感じた。――"落ちた"――と。







 「あ、だめ」

 自分もそうだったから、もしかして寝てしまったのかと思い声をかけたところへ、茜から返って来たその言葉に、武は頭を捻った。
 しかし、まだ潤んだ瞳でこちらを見る茜の顔を見て、泣き顔を見られたくないのかと思い、視線をそらした。
 そして、とりあえず寝てはいないようだから、話を続けるか、と口を開く。

 「さっきも言ったけどさ、俺も同じだったから判るんだ。失った辛さと、耐えなきゃいけないっていう使命感で板ばさみになるんだよな……」

 「うん……」

 「でもそれは、衛士の流儀ってのを、俺たちが少し勘違いしてたんだと思うんだ」

 「うん……」

 「俺も最初は、決して涙を見せないで、笑って仲間の想いを背負って、前に進むべきなんだと思ってた。でも、多分それはちょっと間違ってる」

 「うん……」

 「本当は、背負う為に、前に進む為に必要なのなら、泣くべきなんだと思うんだ。一人が辛ければ、誰かに頼っていいんだと思うんだ。少なくとも、今はまだ」

 「うん……」

 そこまで話して、単一的な返事しか返してこない茜に気づき、どうしたのかと思って声をかけた。

 「涼宮?」

 「ねぇ、白銀……?」

 「うん?」

 こちらの呼びかけに対して返って来た茜の呼びかけに、無警戒に返事してしまった武を、責める事は出来ないだろう。
 おまけに、泣き顔を見ないようにと視線をそらしていたせいで、茜の武を見つめる瞳に、ひどく熱がこもっていた事に気づかなかったのも、責められはしないだろう。
 誰だってまさか、こんな時にそんな罠が待ち受けているなどとは思わない。

 「ごめんね……」

 そう呟いて茜は、武の頬に両手を伸ばし、その唇に自らの唇を重ねた。 

 「ん……」

 「!!!???!?!!」

 武は混乱した。一体何が起こっている! 何でこんなことになっている! コード991はどうした!
 閉じられている自分の唇を、茜の舌がチロチロと舐めているのを感じる。流石に強引に侵入してくるほどのつもりはないようだが。

 「ん……はふ……」

 艶やかな溜息を吐いて、茜がその身を離した。
 武は呆然として動けない。
 茜は、顔はまだ赤いものの、晴れやかな笑顔で言った。

 「ごめんね、白銀。私も、白銀が好きになっちゃったみたい。ううん、好きだったみたい……かな?」

 歯に噛むような笑顔で衝撃の告白!
 白銀武の体は完全に麻痺してしまった!
 ずっと茜のターン!

 「鑑と御剣には悪いとは思うけど、我慢できなくなっちゃったから……。あ、白銀も悪いんだよ? 無節操に誰にでも優しくするから……。だから、二人には悪いけど、私もがんばることにする」

 ついでに、千鶴達にも謝っておく。
 これまでは、もしかしたら無意識に、白銀を好きでいながら逝ってしまった皆に遠慮していたところがあったかもしれないが、もうヤメにすると。
 あとは御剣への宣戦布告だが……それはまたいい機会を考えよう。

 「それじゃ、色々ありがとね、白銀。私はもう大丈夫だから。あと……ごちそうさま♪ 一応、私の初めてなんだからね。ありがたく思いなさいよ?」

 そう言って、憑き物が落ちたような顔で、茜は武の部屋を後にした。
 後には、硬直したままの男が一人、残される。
 ドサッと、武がその姿勢のまま後ろへ倒れた音だけが、部屋に響いた。




 茜は部屋に戻った後、己の行動の大胆さに、再びベッドの上で蓑虫となった。
























 エピローグ

 一夜明けた次の早朝、ようやく硬直からも脱せた武は、そのまま夕呼に呼び出されて執務室に来ていた。
 勿論、昨夜の衝撃から立直れてなどいない。

 「なに? 別にそんなに忙しい事も無いでしょうに、随分疲れた顔ね」

 「まぁ、こっちはこっちでいろいろあるんですよ……」

 結局一睡もしていないのだから、疲れた顔も当然だ。

 「で、こんな朝っぱらから何ですか? なにか任務でも?」

 ゆえに、さっさと用件を済まして部屋に戻りたかったので、とっとと話を進めて貰う事にする。

 「いいえ、まだ貴方達にやってもらうような事はないから大丈夫よ。ちょっと報告までにね」

 「なんです?」

 昨日は戦術機搬入の報告を受けたが、続けてまた何かあるのか。
 まぁ、大分再建の見通しは立ってきたとはいえ、横浜基地はまだまだ大変な時期だ。毎日再建工事の音は鳴り響いているし、人も右往左往している。何かあっても当然かと納得する。

 「社にも関係する事だけど、やっぱりあの子の訓練に付き合うのも結構負担になってるでしょ」

 「はぁ……まぁ、なってないといえば嘘になりますかね」

 自分たちの訓練時間を割いて事に当たっている為、それなりに弊害はある。
 だが、人に教える事で、自分に対しての基本の再確認が出来るなどのメリットも無くは無い。

 「ま、今はあんた達は暇だからそれでもいいんだけど、いざ何か動いてもらうようになった時に上手くないってのもあるわけ。いつ、どこで、何が必要になるか判らないしね」

 「ええ、まぁ」

 「更に、まだオルタネイティヴ計画は当面引き続く事になった。そうなると、やっぱり今のままのA-01じゃ、戦力が足りないわけよ」

 それも確かに、もっともな話だ。
 元々は連隊規模で運営されていたというA-01が、今ではたったの5人。負傷者の復帰を視野に入れても7人しかいないのだから。

 「で、A-01の戦力増強の一環として、訓練部隊の再編が決定されたわ」

 「!?」

 驚いた……が、A-01の戦力を整えようとすると、それは出てきて当然の話でもある。

 「時期は少しこんがらがるけど、社も改めてそこに入って貰う事になるわね」

 そうか……自分たちの元から離れていくのは少し寂しさと不安もあるが、正規の教育を受けられるなら……と、そこで武は気がついた。
 元々、教える人間がいないから自分たちが教えていたのだ。その辺はどうなるのだろう。

 「入隊候補者の選別は現在行っている最中だけど、これも今までと同じ、オルタネイティヴ計画に関わる選別である事は変わらないわ」

 より良い未来を選び取る力、か。と、武は少し重い気持ちを抱く。
 過去の隊員達に、それによって不本意な末路をたどった者がいるのも確かなのだ。

 「で、新しく訓練部隊を受け持つ事になった教官さんを紹介するわ。どうぞ?」

 夕呼の呼びかけに応じて、執務室の奥にある扉が開いた。
 そこから現われた人物を見て、武は声も出ないほどに仰天した。

 「月詠真那軍曹です。白銀大尉、これからよろしくお願いいたします」

 国連軍制服に身を包み、薄い笑顔もクールに、恐ろしいほど綺麗な敬礼を決めて自己紹介するその人は、見紛うはずも無い、元帝国斯衛軍中尉、月詠真那その人だった……。