12月07日 17:05 国連軍横浜基地 榊千鶴自室


「……ふう」

 5分に一度ため息をついてるなんて、どうかしてるわ。
目の前にある『207訓練分隊欠員報告書』は、ちっともまとまらない……
時計は5時をまわったところ。報告書を神宮司軍曹に提出する期限まであと2時間しかない。
PXで遅い昼食(この時、帰還してから皆とはじめて会った)を摂った後、その場の空気に耐えられなくなって自室に戻ってから数時間。

 鎧衣は普段と変わらずに元気に振舞っていた。目に隈が出来ていたこと以外は。
珠瀬は帰還して24時間以上経っているにも拘らずまだ泣いていて、京塚曹長が背中をさすってあげていた。
彩峰は鎧衣の問い掛けにも応じず、結局一言も喋らなかった。
――御剣の顔は、見ていない。社が食事を持っていくと言っていた。

 机に突っ伏して、書きかけの紙を指でつまんでヒラヒラと遊ばせる。……なかなか『欠員者』の欄に『白銀武』と書き込めない。
いつもと同じはずの部屋の明かりは、何故か今はひどく寒々しく、無機質なものに見える。

「……白銀、あなた……期待できるんじゃなかったの……?」

 机に飾っておいた写真立てから、207全員で撮った集合写真を手に取る。……たった数週間前のことなのに、何年も昔のよう。
屈託無く笑う白銀の顔は、もう見れないのね……
 クーデター未遂事件(12,5事件と呼称されるようになったらしい)が事を治め、06日夕方に横浜基地に帰還した後、私たちはすぐに神宮司軍曹に呼び出され、全員がMPから簡単な取調べを受けた。
多くはあの時私たちが白銀と交わした会話について。白銀の言動、行動に何か不審な点や、異常と見られる状況が無かったかどうか。
 ……御剣だけは任務の特性上か、司令や香月博士同席の上での『聴取』が行われた。
私も証言の真偽の確認のため、幾人かの専門医と共に借り出され、その場に同席した。

 ――あんな御剣、はじめて見た。




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■ マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜 

           第二話『鎮魂頌歌』

        From "MUVLUV ALTERNATIVE"
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12月06日 21:30 国連軍横浜基地医務室


 部屋の中央に手術台のような明かりが置かれ、その光をもろに受ける位置に仰々しい拘束具つきの椅子が置かれている。
その椅子に先ほどから御剣は座り、軍警の尋問官の質問に答えていた。
軍警のすぐ隣にはラダビノッド司令、香月博士、神宮司軍曹が並び、すぐ後ろでもう一人の軍警が記録を取っている。
その更に後ろに私は立ち、そこには私のほかにも白衣を着た男たちが立っていた。
調査は出撃前の他愛の無い会話から沙霧大尉への説得にまで及び、質問の内容が進んでいくにつれて御剣の口は重くなっていく……

「では貴様は、白銀訓練兵と沙霧大尉の戦闘中に外に放り出された、ということか」

「……はい、戦闘の衝撃で吹雪のコクピットハッチが外れ、その拍子に外に投げ出されました。
 その後気がついて二人を見つけた時……既に戦闘は終わっておりました」

「……香月博士、ボイスレコーダーはどうなっておりますか?」

 尋問を扱うMPが香月博士に顔を向けると、博士は長いファックス用紙のような紙(……きっと、戦術機に積まれたレコードを印刷したものだ)を彼に手渡す。
それをMPは見つめ、ひとしきり頷く。……そして、聴取は続く。

「確かに、途中から貴様の声は吹雪のボイスレコーダーに入っていないようだ。……話を続けよう。
 その後貴様が、吹雪と不知火の爆発現場に居合わせたのは何故だ?」

 職業柄仕方の無いこととはいえ、一言一言に疑いをかけるような口調。――あまり、好きじゃない。
 ……沙霧大尉の戦闘中止命令によって決起軍が投降し、あたし達が白銀達の様子を見に行った時。
吹雪と不知火の残骸が散乱し、爆発による火が燃え盛る中で、御剣は一人泣いていた。
あの時あたし達が御剣を回収しようとしても御剣はパニックを引き起こしていて手が出せず、ウォーケン少佐の指示で鎮静剤を投与して事なきを得た。
……白銀の生存が絶望的なのは、あの時御剣が抱いていたものを見ればわかるけれど。
――だからって、そうですかと諦めたくはなかった。

 ――少しの沈黙の後、御剣は口を開く。

「――私は外に投げ出された後、比較的時間をかけることなく覚醒することが出来ました。移動にも支障が無かったため、自分の足で仲間と合流しようと散策を始めたのです。
 あの場に居合わせたのは、偶然……でありました」

 気のせいか……御剣の指が、先程からかたかたと震えている気がする。
あまり踏み込んだところまで話したら……また何かパニックになったりしないだろうか。

「――つまり貴様は爆発の後に辿り着いたのか。……香月博士、白銀訓練兵の体は他に?」

「……、御剣訓練兵が抱えていたもの以外は」

「――ここまでの聴取と記録の整合性から推測して、御剣訓練兵の発言内容は一貫性、真実味ともに正当であると思われます。こうなると白銀訓練兵の処遇ですが……いかがいたしましょう、基地司令」

そう言って尋問官は振り向く。……まるで、次に司令が発する言葉を知っているかのような表情で。

後ろにいた司令が一度天を仰ぎ、あたしを含め部屋にいる全ての人間に目を合わせた後……結論を出した。

「御剣訓練兵のみが無傷で回収された理由が判明した今、彼の生存を確する根拠は無い。
 よって本日21:48を以って白銀武訓練兵をKIAと認定、榊部隊長には欠員報告書の作成を命ずる。なお神宮司軍曹は補充人員の是非について論じるので22:30に司令室に出頭したまえ」
 ――ッ!? KIA……ですって!?
質問されない限り喋るな、と事前に言われていたけれど……こんなの耐え切れない!

「司令、それは――」

「……タケル……タケルぅうう!!」

 私が、時期尚早ではありませんか、と言おうとする前に――
座っていた御剣が暴れだした。……やっぱり、あの時のフラッシュバックなんだ!

「すまぬ、すまぬタケルゥ! 私のせいで、そなたは、うわああああ!
 タケルの、タケルの腕はどこへ行った!? 私はあれを――、あれをタケルに届けてやらねば――!」

「迂闊だった、症状はまだ安定していなかったか! 衛生兵、鎮静剤を!」

 後ろの方で控えていた衛生兵が3人、すっと前に出る。2人が御剣を押さえ込み、緑髪の女性が慣れた手つきで御剣の二の腕に注射針を添える。
そのまま、その女性はあやすような口調でそのまま御剣をなだめ始める。

「大丈夫です御剣さん、落ち着いて……」

 注射のあとも御剣は白銀への謝罪の言葉を呟きながら大粒の涙を流し、薬が効き始めるまで衛生兵の方に慰められていた。
――結局、私は何もすることが出来ないまま聴取は終了し、司令や軍曹は取調室を後にした。
二人が出て行った後も、香月博士は白衣の男性数人と何かを話していた。会話は漏れ聞こえてくるけれど……
専門用語ばかりで、内容をうかがい知ることは出来なかった。
 その後博士も部屋を後にしようとする。――香月博士は、博士はどう思っているんだろう?
無意味であることも、越権行為であることもわかっていた。でも、聞かずにはいられなかった。――白銀の事を。

「香月博士!」

 廊下を追いかけ、香月博士の後姿に声をかける。

「何? あたしは今最高に忙しいのよ」

 博士は本当に面倒くさそうに、首だけこちらに向けた。言わんとすることはわかっている、無駄だから時間をとらせるな――
そんな言葉が、博士の瞳に宿っていた。

「これでよかったのですか!? 博士や白銀が進めていた極秘任務は――!」
「……あのねぇ榊、あたし達は手持ちのコマでやっていくしかないの。それはわかるわね? これからどうするかはこれから考えるの。
 大破した吹雪から白銀は発見されなかった。それだけが事実よ。……それよりあんたは報告書を書きなさいな」

 御剣に処置を施すからと部屋は閉じられ、私は一人廊下で佇むしかなかった。

ドアが閉まる直前に垣間見た御剣の眼は……少し濁っているようだった。












12月07日 17:55 国連軍横浜基地 榊千鶴自室


 ――気がつけばもう6時。……都合1時間は物思いに耽っていたらしい。
御剣があれだけ取り乱していたのは恐らく、御剣は――白銀のことが好きだったに違いない。戦友としてではなく……男女として。
白銀にも、あの状況下で御剣の護送をかって出た以上……それに似た想いがあったんだろうと思う。
思い出せば思い出すほど、陰鬱な気持ちになる。

「思えば……貴方が来てくれたから、あたし達は評価演習をクリアできたのよね」

 提出期限まで1時間。部隊長として、軍曹から預かった『隊員の肉体及び精神的な健康状態』のチェックを怠るわけにはいかない。
あたしも含めて皆が滅入っている。でも、隊長としてこんな時こそ、無理しなくちゃ……提出する前に一度、御剣の様子を見ないと……

(委員長、あまり無理するなよ? ……その、仲間がいるんだからさ)

 ……そう言ってくれた貴方が、一番最初だなんて、ね……。
震える指で『欠員者』に白銀武と書き込み、報告書をケースに入れて部屋を出る。
――ドアを開けたとたんに鉢合わせ、なんてこともあったわね……
 ――白銀の部屋のドアは開いている。既に私物は片付けられ、『これから来るかもしれない誰か』のために清掃が行われていた。
身辺整理などは香月博士が行った、と神宮司軍曹から聞いた。
彼は極秘任務に就いていた上、遺品を送る相手もいなかったらしいから……あたし達が許可無く入ることは許されなかった。
 そのまま御剣の部屋に行き、ドアの前に立ったところで――すすり泣く声が聞こえてきた。

「……う、ひっく……タケル、タケル……」

 ――。
白銀が来て、そしていなくなった。この変化が、207全員に何かしらの変化をもたらしたのは間違いない。
あたしや彩峰も、白銀のおかげでかなり丸くなったと思う。
 ――でも、一番変わったのは、御剣だったんだ。
出生が特殊――あたし達よりも遥かに――だから、つい距離を置く人々が多かった中で、白銀は御剣に何の屈託も無く接していた。
もともと変な男だと思っていたけれど、今思えば……御剣は嬉しかったに違いない。
精神的な距離は、先に御剣と出会っていたあたし達よりも、白銀の方がずっと近いものになっていたのね……

「……御剣? 聞こえる?」

「はっ、なんだ、榊。……っく、私に何か、用か」

「聴取、ご苦労様……。月並みなことしか言えないけど、その、あたし達もいるから。
 ……抱え切れなかったら、遠慮なく言って欲しいの」

「……すまぬ、食事にも顔を出さずに……っく、ただ、今だけは、一人にしてはくれまいか……。今、私は……皆に合わせる顔ではない」

「ええ、わかってるわ……。ただ、明日の夕食、京塚曹長から呼び出されているから、それには出席して。
 ……あたし達には、暫定休暇が降りているから……しばらく休むといいわ」

「……わかった、榊も辛いところを……重ね重ね、すまぬ……」

 部屋には立ち入らず、そのままあたしは神宮司軍曹のところへ向かう。
今のあたし達が顔を合わせても……きっと事はこじれていくだけだろうから。













12月07日 教官室 19:00


「すまなかったな榊、夕食の事まで気が回らず……こんな時間にしてしまって」

 部屋に訪れたあたしを、神宮司軍曹は優しく迎え入れてくれた。
軍曹が座っている椅子と、向かい合う形でパイプ椅子が用意されている。促されるままに私は席についた。

「まずは……報告書を出せ。それから……お茶でも飲んで一息入れろ」

 私が報告書の入ったファイルを渡すと、軍曹は席を立ち、あたしのためにお茶を入れてくれた。
渡された紙コップは暖かく、口元に持っていくと湯気で眼鏡が少し曇り、表情が隠れる。今のあたしにはありがたかった。……きっと今はひどい顔をしているから。

「白銀の件は……本当に残念としか言いようがない。沙霧大尉を説き伏せたところでの爆発……あれは正真正銘の事故だからな」

「はい……」

 こういった状況は何度も体験してきただろう、軍曹の口も重い。
白銀は特別な、人類の行く末を変えられるかもしれない男だったから……きっと、神宮司軍曹の期待も大きかったんだわ。

「任官前だったとはいえ、白銀も軍属。本来ならば軍葬を執り行うべきなのだが……香月博士の任務の都合上、それも許されん。
 貴様達の気持ちは察するに余りあるが……我々は後ろばかり見ているわけにもいかん。既に次の任務も動き始めた」

「次の、ですか……?」
「詳しいことは、明日207部隊全員を集めてミーティングを行うからその時だ。その茶を飲んだら……食事を摂って寝ろ。
 時間については私が京塚曹長にお願いしておいた。ゆっくり食べるといい。
 今の貴様達に必要なのは、滋養と栄養と休養だ。……そんな顔をしていては、何も出来んぞ」

 そう言って軍曹は、書類に目を通し始めた。
息を吹きかけて少し冷まし、お茶をすする。温かい液体が喉を通り、胃まで染み渡るのが知覚できる。
特別、口調や態度に変化があったわけではないけれど……なんだかいつもより軍曹は優しかった。こんなに落ち着いた気分になったのは、随分と久しぶりだった。
そのままPXで京塚曹長がとっておいてくださった夕食を摂り、部屋に戻った後はすぐに寝た。眠気どころではないと思っていたけれど、体も心もまだまだ疲弊していたらしい。













12月08日 12:55 ブリーフィングルーム


 昼食を摂っていた時に社が来て、伝言を伝えてくれた。
神宮司軍曹と香月博士から話があるので、13:00までに207全員でブリーフィングルームに来るように、と。
気乗りしない御剣や憔悴しきった珠瀬を励まし、なんとか皆そろって5分前に到着することが出来た。

「軍曹だけじゃなくて、香月博士まで来るの? 何かあったのかなぁ……」

 部隊の中で最も早く立ち直りを見せたのは鎧衣だった。……もっとも、それが表面上のことであるのは間違いないだろうけれど。
……とはいえ、表面だけでも立ち直れている以上、あたし達の誰よりもタフなんだわ。

「白銀が受け持ってた、極秘任務のことかも」

 もともと口数も少なく、他人のとっつき辛いところがあった彩峰は、今は更にその傾向を強めている。
あたしと言い争いにならないのは……きっとどちらもそんな気力が無いから。

 ――。
会話はそれから途切れ、カチカチと時計の針の音しか聞こえない。
今まであたし達がそろった時に、騒がしくならないことがいったいどれだけあっただろう?
いつもあたしは、『静かにしなさいよ!』と言っていたのに。

「……全員そろっているな、貴様達のことだから誰かが来ていないかと思ったぞ」

 ……そう言って、神宮司軍曹、香月博士、――そして社が入ってきた。
香月博士は普段通りの表情をしているけれど……社の表情は、私たちと同じで、暗い。

「207訓練分隊、整列!」

 軍曹が指示を飛ばす。慌てて横一列に整列するあたし達。
香月博士は相変わらず格式ばったことは興味がないみたいで、特に変化はなかった。
博士は手をぱんぱんと叩き、まるでお使いでもさせるかのように気楽にしゃべり始めた。

「じゃーちゃっちゃと必要な説明を終わらせちゃいましょ。まず皆気になってるだろうから白銀の処遇ね。……彼はKIA認定を受けたわ。
 よって今後の捜索なんかは一切行わない。ついでに207に補充人員もなし。5人でやっていってもらうわ」

 ……あたしは一昨日の御剣の聴取で聞いていたから、取り乱すことは無かった。もちろん聞いて耳心地がひどく悪いのは当然だけれど。
――ただ、珠瀬には、耐えられなかったみたいで。

「……そん、そんな……」

 ――へなへな、とくずおれる珠瀬。慌てて鎧衣が支えに入る。彩峰は目を見開いている。御剣の表情は虚ろなまま。
香月博士は大げさにやれやれ、と肩をすくめてから言葉を続ける。

「……あんた達ほんっとこういうのに弱いわねぇ。白銀もそうだったけど。で、ここからが本題。
 あんた達はこれから先予定されてた訓練や実習はすっ飛ばして任官、そのまま全員あたしの下についてもらうから。……要は白銀と同じね。
 ……ま、早めに立ち直って頂戴。あんたたちがそんなんじゃ白銀が気の毒よ。じゃあまりも、あとよろしく〜」

 ……一人で言うべきことを言って、香月博士はあっという間に出て行ってしまった。社もそれに続く。

「あー、夕……香月博士も今は本当に忙しい。あれでも博士なりに心配しているんだぞ? ……たぶん」

 軍曹は微笑みながらあたし達を見ている。

「はぁ……」

「ふん、まぁいい。さて……こちらの話に移るが……。案の定、と言うのは些か不謹慎かも知れないが、やはり貴様らには今回のことは厳しすぎたようだな」

 ――やっぱり、いつまでもふさぎ込んでいる事にお咎めが来るんだろうか?

「……………」

「さっさと忘れろとは言わない。忘れられるわけが無いしな。まぁ、貴様らはまだ訓練兵……軍人であって軍人で無いようなものだ。故に少しくらい泣き言を言ったところで咎めはしない。
 しかし、だからと言っていつまでもウジウジしているようではこの先……遠からず白銀と同じ道をたどることになるぞ?
 ――まぁ、お前達の気持ちはわかる。私も……同じ経験はあるからな」

「え……教官がですか……?」

 ――心底意外です、といった様子で鎧衣がつぶやく。

「なんだ? 私だってそれなりの長い時間衛士をやっていたんだ。おかしなことではないだろう?
 ――というより、今のお前達の気持ちがわからない衛士なんていないと言っていい。今の時代、誰だって多かれ少なかれ何か背負っている。
 まさか、自分達だけが不幸だなどと甘ったれた考えをしてるんじゃあるまいな?」

「いえ……そういうわけでは……」

「特に私はお前達と似ている。……私も、初陣で仲間を……部下を全員失ったからな」

「え……!?」

 ――仲間が、全滅?

「私はこれでも、昔から割と優秀でな。任官して早々、中隊長に任命されたんだ。あの頃は今と違って衛士の数も多かったからな、いきなり中隊長というのは大出世といって差し支えなかった」

「…………」

「……とはいえ、いくら優秀だろうと新米は新米。ちょっとした不手際から混乱した挙句部隊を纏められず、結果私を除いて部隊は全滅。
 中隊長を任された私のミスだった。あの頃は自責の念に押しつぶされそうで……一時期は自殺すら考えたものだ」

「部隊、全員が……」

 軍曹は悲しいはずの過去を淡々と話している。……こんな風に語れるようになるまでに、どれくらいの月日や覚悟があったんだろう?
――私たちも……そういう風に、なれるのかしら?

「――そう、全員だ。……今でもたまに夢に見る。彼らに詫びたくて仕方なかった。謝りたくて仕方なかった。……しかし墓前の彼らは何も語りはしない。 
 ――そんな戦友たちに報いるにはどうしたらいいか。最初はBETAを自分の手で屠り続けることだと思っていた。
 色々な地でがむしゃらに戦って、その功績が認められて教導隊に配属されたりもした。……でも、何かが違う気がしていた。
 ――色々あって、私が導き出した最後の答えは、これから戦地に立つ衛士を一人でも多く生き残らせること。
 そこで、教導隊を辞してここに来た。もっとも、香月博士の手引きがあったらしいが……
 実はな、私はもともと教師になりたかったんだ。そう思えば夢がかなったとも言えるのかも知れないな。……皮肉なことではあるが」

 ――神宮司軍曹に、そんな過去があったなんて。
鬼軍曹と呼ばれる所以が、こんな悲しい決意から来ていたなんて……想像もつかなかった。

「まぁこれは私なりの自分の答えだ。貴様らは貴様らの答えを見つければいい。先輩の意見程度に耳に留めておくのも良かろう。
 ――だが、一つだけ言える事がある。それは人にとって……衛士にとっての本当の死。先ほど私は、『忘れろとは言わない、忘れられるわけが無い』と言ったが、これは逆なんだ」

――逆……?

「忘れてはいけないんだ。そうだな……もし、もしお前達が白銀のように一足早く九段へ行ったとする。その時お前達が、全ての人々に自分の存在を忘れられたとしたら?
 誰も自分のことを覚えていてくれず、盆にも彼岸にも墓参りにすら来てもらえないとしたら? 彩峰、どうだ?」

 急に話を振られた彩峰は、びっくりした様子を見せ……一呼吸おいて、軍曹に答えた。

「……それは…………とても、悲しいことです……」

「そう。死、と呼ばれる事象に於いて、何より悲しいのは人々に忘れ去られることだ。
 だから戦友は、戦友の死を、その意味を、何のために剣を取り、何のために戦い、何のために散ったのか……誇らしく後世に語り継いでいかなければならない。
 それが、『衛士の流儀』なんだ。
 ――そして、果たしてお前達は、白銀の事を語り継いでいけるのか。――どうだ、鎧衣」

「あ……えっと……」

「どうだ?」

「……今のボク達では、駄目……だと思います」

「……そこまでわかっているなら上々だ。貴様達には立ち直ってもらわねばならないからな。
 実は10日に、白銀が設計していた新型OSの完成品、通称『XM3』のトライアルが行われる。貴様達にはそれに参加し、勝利を飾ってもらわねばならん。
 相手は旧式のOSを信頼するベテラン兵だ。当然、新しいものなど舐めてかかってくる。白銀の努力を埋もれさせてもいいのか?
 白銀の功績を鼻で笑われてもいいのか? 貴様はどう思うんだ、榊?」

 いつになく饒舌な軍曹が、試すような目であたしを見ている。

「それは……、それは、嫌です」

「当然だ。白銀の功績を笑われてたまるものか。白銀の成果を蔑まれてたまるものか。
 ……白銀のOSを使い結果を出して、奴の名を後世に刻め。これからの衛士練成の教科書にでかでかと載るような活躍を見せろ。
 ――わかるか? これは、たとえ短い間だったとしても白銀と共にあったお前達にしかできないことだ。
 御剣、貴様がいつまでも白銀の死を自分のせいだと抱えていくのを、白銀は快く思うだろうか?」

 ――御剣は神宮司軍曹の視線を受け止めているけれど、答えられない。……目尻には涙が。
御剣がうまく言葉に出来ずまごついている間に突然、ふっ、と神宮司軍曹の表情が緩んだ。

「…………なんて、肩肘張った事ばかりを言ってるだけじゃ駄目なのよね。――やれやれ……あたしもまだまだ甘い、って事なのかしら」

「――え……?」

 急に神宮司軍曹が、母親のように穏やかな口調になった。御剣もあたし達も、軍曹の変化にキョトンとしてしまう。

「あたしはあなた達の教官としてここに来た。でもね、もし……もし、あたしがあなた達と関係の無い教官だったとしても……
 あたしはあなた達に会いに、きっとここに来たと思うわ。……それは、あたしも同じ経験をしているから。
 ちょっと待ってなさい、ここに……よいしょ」
 軍曹は足元に置いてあったケース(アタッシュケースを頑丈にロックしたようなもの)を机の上に持ち上げる。
通常の鍵、電磁式ロック、おまけに指紋認証まで付いている堅牢なものだった。
――軍曹はよどみなく色々なロックを解除し始める。鍵を挿して、パスワードを入力して、指紋を認証。
ケースの隙間から煙がプシュー、と音を立てて出る。……ちょうど排熱のように。軍曹が蓋を開け……中から出てきたのは、人数分の、MO程度のサイズのディスクだった。

「こういう言い方はちょっと姑息かもしれないけれど……、あたしはあなた達の上官としてだけでなく、教師としてもトライアルに勝ってほしいと思ってるわ。
 このOSは、あたしの教え子の中でも最も優秀な生徒が作り上げた……そしてきっと多くの教え子を救うわ。
 ……色々思うこともあると思う。だけど前に進まないわけにはいかない。全員一枚ずつ持っていって。夕呼が格納庫で換装の準備をして待ってるから」

 そう言って、軍曹はディスクを全て手に取ると、あたし達に渡しはじめた。まずは一番奥にいた彩峰に。

「彩峰、これからはいざこざを乗り越え、部隊が更に密になって戦っていくのよ? はい、これ」

「……はい」

 次に鎧衣。

「鎧衣の存在は、こういう時こそ光を放つわ。辛いことがあっても明るく振舞えるのは、素晴らしいことよ。これからはあなたが部隊のムードメーカーね。頑張るのよ?」

「……はい!」

 三番目は珠瀬。

「まったく、こんなに目を腫らして……。その優しさがあなたの長所だけど……もう少し強くならないとね? お父上を安心させるためにも。
 ほら、これ。白銀の想いを糧に強くなりなさい、珠瀬」

「っく、ぐす……はい!」

 しばらく珠瀬の頭を撫でていた軍曹が、あたしの前に立つ。

「榊、隊長というものは……例え隊のメンバーに恨まれたとしても、冷静かつ合理的な判断を下さねばならないわ。きっと、これからあなた達には……
 今回のような、ひょっとしたら今回よりもずっと悲しい出来事が起こるかもしれない。
 その時は、あなたが皆を諌めるのよ。あなたが皆を纏めて、より良い結果、そしてより良い未来を探すのよ」

 ……ああ、きっと軍曹も、そうやって戦ってきたんだ。BETAとの戦いだけでなく、隊員のメンタルケアや、もっと複雑な何かと。
そう感じさせるのに十分な説得力と包容力が、軍曹の言葉を通じてあたしにしみこんできた。

「はい、隊長の名に恥じることのないよう、精一杯努力します!」

 
軍曹は私の返答に応じて力強く頷くと、……とうとう、御剣と相対した。

「……御剣、人と話す時は相手の眼を見なさい。これは軍規でも命令でもない、人としての礼儀よ。……あなたは、そういうことをとてもよくわかっている人でしょう?」

 軍曹の言葉に応じて、御剣はしぶしぶと顔を上げる。

「御剣、あなたが自分のせいで白銀を死なせてしまったと思うのは仕方が無いことなのかもしれない。……だけど、それは白銀にとても失礼なの。
 彼は最後の瞬間まで、あなたと殿下を信じていたわ。あなたと殿下を慮る白銀の言葉は……ボイスレコーダーにもしっかり残っていたのよ。
 でも今のあなたは……白銀の気持ちを裏切っている、としか言えないわ。それでこんな風に塞ぎ込んでいるようじゃ……夕呼じゃないけど、白銀が可哀想ね」

「……私は……」

「気持ちの整理は難しいわ。私も今まで何度も……そう、何度も戦友を失って、その度にふさぎ込んだ。あなたのようにね。
 けれどあたしは立ったわ。それが、戦友に報いるたった一つの方法だから。図々しい考えと言われるかもしれないけどね。
 ……戦友の死を悲しむのは当然よ。ただ、それを理由に立ち止まることは許されない。それは戦友への最大の侮辱になり得るの」

 御剣の眼からぼたぼたと涙がこぼれる。あたしも含め、隊の皆も気まずそうに軍曹と御剣を横目で見ている。
ディスクを取り出した軍曹は、御剣の手にそれを押し込みながら言葉を続けていく。

「結局のところ立ち直るのは自分でしか出来ないから、あたしがあなたにできることはこれを渡すことだけ。
 ただ……これを『御剣冥夜が』使って戦うことは、白銀に対する最高の手向けになる。それだけは断言できるわ」

「……はい、ありがとうございます、軍曹……」

 ――こうして、個々の気持ちはともかく……、全員にXM3が行き渡った。
ここで……あたしが空元気でも『さぁ、OSのインストールに向かうわよ!』と纏めれば、隊の皆は――まとまるかしら?
無意識のうちに、あたしは軍曹に目配せをしてしまっていた。

(大丈夫だ、自信を持ってやれ)

と、軍曹は言ってくれている。少なくともあたしはそう感じた。
……少し間をおいてから、大きく息を吸い込む。次の一声で、あたしは断ち切ってしまおう。
父さんのこと、白銀のこと……悲しくないわけがない。ただ、それでもあたしは207訓練分隊の隊長なんだ。
あたしがここで塞いでいたら、珠瀬や御剣が潰れてしまう。――そんなことになってはいけない。

「……さぁ、いつまでもボサっとしてないで! 全員で吹雪にXM3を入れに行くわよ! ほら御剣も!
 博士や軍曹があんなに厳重なロックのかかったものをわざわざあたし達に渡してインストールさせる理由を考えて?
 これはあたし達への激励、ひいては確認なのよ! あたし達にまだ見込みがあるのかどうかの!
 ここでいつまでも腐ってちゃBETAになんて勝てない! そうでしょう鎧衣!?」

 鎧衣、同調して……、と半ば願いに似た感情を込めながら話を鎧衣に振る。果たして鎧衣は、今までと同じ、……いや、いままでよりも明るく答えてくれた。

「榊さんの言うとおりだね! ボク達……辛いことがあっても立ち止まってはいられないんだ!
 あんなに必死に世界を救いたがっていたタケルだもん、ボク達がこうやって立ち止まってるのを見たらきっと凄く怒るよ!」

「……そうだね、あたしも……行く」

「ミ、ミキも行きます! たけるさんのことを語り継いでいくのはミキたちですから!」

 鎧衣に続いて、彩峰、珠瀬も立ってくれた。……御剣は……?

「……行こう、博士や技師の方々に手間をかけさせるわけにはいかぬゆえな」

 ……いまひとつ、煮え切らないようだった。














12月08日 20:00 PX


「……タケル……」

 ……とうに夕食の時間は過ぎ、PXには人の姿は無い。なにゆえ私が今ここにいるかと言えば……
京塚曹長が、我々207訓練分隊のために特別に食事を用意してくれるというからだ。
……聞くところによると、戦死者の出た部隊に、死んだ者が好んでいた食事を振舞うのだそうだ。
集合まではもう少し時間がある。彩峰は部屋で休み、榊、珠瀬、鎧衣はシャワーを浴びているらしい。
 自分で茶を入れた湯のみを、何を考えるでもなく眺める。……自分でも見たことが無いほどにやつれた、私の顔が映っていた。
……知らず、私にあのOSを駆る資格などあるのだろうか? と自問する。
――確かに神宮司軍曹に励まされた後、隊の皆は奮起した。心境はどうあれ……タケルの正しさを証明するべく。
その足で吹雪にタケルの写し身を搭載し……夕食の時間まで、黙々と調整や鍛錬を行った。……当然、私も参加して。
 だが……やはり私には、軍曹や皆のように割り切ることは出来なかった。……例えそれが、上辺だけの物だったとしても。
もちろん私とて、心を動かされなかったわけではない。ただ、私はあの者を……

「……ふう」

 ……姉上は、タケルの訃報をお聞きになられただろうか? ……当然、知っていらっしゃるに相違ない。
決起軍が我々の返答を待っていた1時間、あの時タケルが言っていたことを鑑みれば、タケルと姉上は色々と話していたようだった。
あの戦いの結末をご覧になったのだから、錯乱した私よりも……タケルの最期を真摯にお受け止めになったはずだ。
会うことは叶わぬが、姉上も今はこの基地の医務施設……恐らくは香月博士の私室で、加速度病の治療や健康診断をお受けになっているものと思われる。

「姉上ならば……こんな時、雄々しく立たれるのでしょうか……?」

 知らず、私はPXの長机に突っ伏していた。普段の私ならば……人前で斯様な醜態を晒すことはあり得ぬ。
だが、今の私には……それを咎める信念の拠所も、それを律するべき理由も……霧散してしまっていた。
……御国と、民草、……そして姉上の為ならば、如何なる苦しみも乗り越えられるはずだった。またそのように教育されてきた。
 煌武院家に双子の妹として生まれ、御剣の姓を賜った者のさだめであると、自分に言い聞かせ……あの日までやってきた。

「それが……たった一人の男の死で、この有様。――ふふ、あの時タケルに食って掛かった自分が愚かしい」

「……めずらしいね、御剣が伏せってる」

 ……思考の泥沼に沈んでいた私に、突然声が降りかかってきた。……この声は、彩峰。
起き上がり、彩峰に向き合う。……あまり、仲間にこういった姿を見せるのはよくないだろう。気を……つけねばな。

「……すまぬ、許すがよい……未だ、心の整理がつかぬゆえ」

「……仕方ないこと。あたしもさっき……空っぽになった白銀の部屋を見たら、とても悲しい気持ちになった」

 彩峰は一度茶を取りに行き、その後いつもの席に座る。どちらも特に話題があるわけでもなく……
結局、シャワーを浴びに行っていた3人がやってくるまで、会話らしい会話は交わされなかった。

「あ、二人とも〜! もう来てたんだね、10分前行動だね! すごいやすごいや」

「……いいにほ〜い、今日は……鯖味噌ですね〜」

「京塚曹長があたし達のために振舞ってくれるそうよ。食べて一息ついたらまたフォーメーションの確認をするから、そのつもりでいて」

 鎧衣、珠瀬、榊の3人が入ってきた。当座の目的が生まれたとはいえ……そなた達はなぜ、こうも明るく……振舞えるのだ?
そう尋ねようと思った矢先、京塚曹長が厨房から出ていらっしゃった。先を制された格好になった私は、浮かせた腰をそのまま落ち着ける。

「おやあんたたち、揃ったね? それじゃあ晩飯にしようじゃないか。ちょいと運ぶのを手伝っとくれ。2人くらいでいいからねぇ」

 誰が言うでもなく、当然のように珠瀬と鎧衣が曹長についてゆく。
ほどなくして、盆に乗せられた鯖味噌定食が5つ……運ばれてきた。

「タケルが直接好きって言ってたわけじゃないけどねぇ……ほら、霞ちゃんとよく食べてたじゃないか? だからこれにしたんさねぇ」

 湯のみに入っていた茶を淹れなおしながら、曹長が少し寂しげな口調でつぶやく。
茶と定食が行き渡り、皆が席に着いたところで、曹長がパンパンと手を叩く。

「……よし、それじゃあ始めてもらおうかねぇ。あんた達、まりもちゃんから『衛士の流儀』の話は聞いたろ? あたしにゃああいうことは出来ないからねぇ。
 だからせめて、逝っちまった子の好物を……腹一杯になるまで食べて、この先の戦いを頑張ってもらおうと思ってねぇ。欠員が出た部隊にはこうやって食事を用意させてもらってるんだよ。」

「――ッ」

「いつもは食器片付けてもらってるけど、今日はいいからね。どんなにおかわりしてもいい。時間だって気にしなくていいさ。
 さ、冷める前にお食べよ。あたしは厨房で片づけしてるから、なんかあったら呼んどくれ」

 てきぱきと配膳を終えた曹長は厨房へ戻り、我々は鯖味噌を前にして少し静かになった。
皆、箸を手にとってはいるが……中々きっかけがなく、そのまま数分過ぎていく。

「……あ、じゃあ、頂きましょう」

 榊の一声を聞いて、珠瀬が待ってましたと言わんばかりに声をあげた。

「そうしましょー。いつまでも後ろばかり見てられないはずですから。きっとたけるさんもそう言ってくれます」

「そうだねー、ボクもそう思うよ。いただきます」

「……いただきます」

 鎧衣や彩峰も続き、私以外全員が鯖味噌定食に手を付け始めた。私も箸を取り、手を合わせ……
頂こうとした。――しかし、私の体が栄養を求めても……私の心はそれを拒絶した。

これを食べれば自らの責任を棄するようなものだ。
これを食べればタケルの死を認めるようなものだ。
これを食べればタケルの事を諦めるようなものだ。

 ――悪意にも似た、邪な囁きが胸をよぎり、箸が震える。いかん、この場でこんなことを思っても仕方がない。皆が立ち直りつつある中で私だけが……
私だけがこのように蹲ったままではいられぬ。一度震えを抑えねば……

「くっ……」

 一度箸を起き、考えを落ち着かせようと一気に茶をあおる。その姿に皆は多少、動揺したようだった。

「どしたの御剣さん、大丈夫? 鯖味噌食べな……」

「珠瀬っ!」
 珠瀬の発言を榊が急いで制した。……しかし、私の耳にはしっかりと届いていた。
お前は食べないのか、と。タケルの好きだった食物さえも拒絶するのか、と。

「……私には、そなたのように簡便にタケルのことを諦め……弔いの食事をすることなどできぬゆえ、な」

 普段の私であれば、こんな悪意の篭った解釈をするはずが無い。珠瀬がこんなことを言う人間でないことも重々承知している。
ただ今の私は……自分でも歯止めが効かぬほどに、暗く邪な方向へと思考が進んでいた。

 ――カシャン。

何かが落ちた音がした。まわりに眼をやると……珠瀬の箸が落ちている。

「あ……」

 珠瀬と眼が合う。珠瀬は何か一言二言喋ろうとして……結局何も言えず、しゃくりあげてしまった。

「ご、ごめん……なさ……」

 しまった、と思った時には既に遅く、私も謝罪の言葉がうまく出てこない。
どう謝するべきか、と考えているうちに、榊の言葉が飛んできた。

「ちょっと御剣! 気持ちはわかるけどそれは言いすぎよ!」

 ――気持ちが、わかる?
謝罪の言葉を捜していた私を叱する言葉がそれなのか、榊?
先ほどまで僅かに残っていた、『申し訳ない事をした』という気持ちは一瞬にして掻き消え、何故かタケルへの想いが榊への反発にすげ変わっていた。

「榊、そなた今……気持ちがわかる、と申したか?」

 そなたに何がわかるものか。

「御剣わかって! 今はあたし達が揉め事をしている場合じゃないのよ! あなたもそれ――」

「そんなことはわかっている!」

 榊が言葉を並べきる前に私はドン、と卓を叩き、立ち上がって激昂していた。
――わかってたまるものか。私の気持ちなど、私の立場など!

「そなたは……そなたはしたり顔で皆を纏め、それらしいことを言っていれば気も紛れよう! 使命感も湧くであろう!
 しかし私にはそのような術も立場も無い! それにそなたにわかるというのか、まだ温もりを残すタケルの腕を抱いた私の心が!?」

 怒りに任せて言い切った。……反論は返ってこない。
先ほどまでの連帯感は再び霧散し、不安げな皆の視線だけが私を捉えていた。

「――ッ!」

 その場にいられなくなった私は、踵を返してPXを飛び出した。

「御剣!? どこに行くのよ!?」

 途中机に引っかかり、椅子をひっくり返してガタガタと音を立ててしまったが……立ち止まる気にはなれなかった。
ただただ自分の情けなさが頭の中で噴き出して……私を突き動かしていた。














12月08日 22:00 横浜基地正門


「――いったい、私は何をやっているのだ……」

 行く当ても無くPXを飛び出し、部屋に行こうかと思ったがやめた。部屋にいればきっと皆が来るだろう。今は誰とも会いたくなかった。
……こうして外に出ると、12月、すなわち冬であることを強く意識させられる。箱根の時は強化装備とジャケットを着用していたため、顔以外は暖かかったからな……
冬の寒さは私の頭を急速に冷やし、勢いに任せただけの根拠の無い怒りは霧散した。後に残ったのは後悔と、自責。
私ともあろう者が珠瀬を泣かし……榊を侮辱して、あまつさえ逃げ出すなど……

「タケル……私は、私はどうしたらいい……?
 教えてくれタケル、そなたが現れ、そなたがいなくなってから……っく、私はこんなにも弱く、小さくなってしまった」

 ――寒空を見上げていると涙が溢れてくる。人目の付かぬところで少し泣こう、と思った矢先……

「……冥夜様、無様にも限度と言うものが存在いたします」

 ――背後から、月詠の声がした。

「つ、月詠か……、すまぬが一人にしてくれぬか、今の私は人に会わせる顔でない」

「……いえ、そうは参りませぬ。お顔をこちらへお向け下さい」

 月詠の語気が荒い。――腹を立てている……?
私が振り返りも近寄りもせずに佇んでいると、月詠はすたすたと近づいてきた。

「人と接する時は常に相手のまなこを見る。――お忘れなさいましたか」

 私の目の前に、月詠は立った。
月詠は私を真っ直ぐ見つめている。……未だかつて、この者にこれほど強く見据えられたことがあっただろうか?

「……月詠、私は今」

 ――ぱん!

一人になりたいから席を外してくれ、という前に……月詠の平手が、私の頬を強烈に打った。

「な……」

「いったい何をなさっているのですか冥夜様! ……いつまでもそのような態度でいられると思っていただいては困ります!
 PXでの一件、鎮静剤投与後の不安定さを差し引いても許される所業ではございませぬ! 戦友の言葉尻を取り上げ、あまつさえ侮辱するなどと……
 もしあの方がお聞きになられたら、どれほどお心を痛めなさることか!」

「月詠……」

「今の冥夜様は、白銀武の死を理由にしてあらゆることから眼を背けておられます。……臣下として、幼少の砌よりお使え申上げてきた者として。
 不肖、この月詠真那。主の醜態をこれ以上見とうありません。……どうか冥夜様、お眼を覚まして頂きとう存じます」

 ――月詠は、先ほどのPXでの件を見ていたのか。それで私の態度を律するために、ここへ。
……当然だ。当事者である私ですら無様であると思っていたのだ。月詠の立場を慮れば……耐え難い屈辱であったに違いない。

「……すまぬ、そなたにも恥をかかせた」

「……なっ」

 ――ぱん!!
再び、平手が飛んできた。此度は先程よりも強く。

「見下しなさいまするな! 私めが申し上げたのはそのようなことではございません! 我々斯衛が蔑まれることなど大いに結構!
 私は、ただ冥夜様が一刻も早くお立ち直りになることを願っているのです! あなた様はここでお腐りなさいますか!? 立ち上がりなさいますか!?」

 月詠は諸手で私の胸倉を掴み上げ、激しく揺さぶった。私は振りほどこうとはせず、月詠の言葉に耳を傾ける。

「私とて……立たねばならぬことはわかっている。それが選ぶべき選択であることも。それが私に課せられた使命であることも」

「では何故、そのようにいつまでも塞ぎ込んでいらっしゃるのです!?」

「……わからんか月詠? これから先いくら私が功を上げ、世に貢献し……世界を救おうとも、
 私を私として扱ってくれた……白銀武の笑顔はもう手に入らぬ」

 涙で視界の半分が遮られているが、私も月詠を見据えて話す。月詠は私の言葉にかぶりを振って、反論してきた。

「……冥夜様、事に於いて対価などというものを求めるものではありません。冥夜様もそれはご存知のはず。
 ……それに、このまま冥夜様が立つことも無く朽ちていくとすれば……白銀訓練兵の悲しみはいかばかりか。
 例え九段に奉られようとも、その御霊が安寧を得ること適いません。」

「……それは、そうだが……タケルの死は、私が……」

「……では白銀訓練兵の死は冥夜様のせいということに致しましょう。ところで何故白銀訓練兵は冥夜様がご転落なさった後も戦っていたのでしょうか?
 それは私めがそう命じたからです。白銀に沙霧大尉と戦って時間を稼げといった私にも責がございます。では何故私めはあの場に居合わせたのでしょう?
 それはあの方が私に冥夜様の護衛に付けとおっしゃったからです。憚られる物言いですが……あの方にも責がございます」

「月詠! そなたそのような――」

「おわかりになられませんか!? 先ほどから冥夜様がおっしゃっているのはこういうことなのです!
 戦場にて衛士が死するのは当然、その責が人ひとりにかかるなどと……おこがましいにも程があります!
 そういった面からも、冥夜様がここでお立ちになられぬなど……たとえ基地司令や香月博士がお認めになろうと、この月詠真那は認められません!
 もしこの場で立ち上がれぬような腑抜けが決起軍の説得に当たっていたとなれば、私めも――沙霧大尉をはじめとした烈士達に申し訳が立ちませぬ故、腹を斬って詫びに参る所存です!
 ……再び私は冥夜様に問わせていただきます。お答え下さい!」

 月詠は手を離し、私と真っ直ぐに見つめあう。
解放された私は呼吸と姿勢を整えて、月詠の眼を見つめる。
――タケル、わたしはもう一度立てるのだろうか……? そなたはこんな時、なんと申すのだろうな……?

「少なくとも白銀訓練兵であれば、このような場所で投げ出すことはない、と断言できましょう、冥夜様」

「ぬっ……」

 思考を読まれた、私が心の中でタケルに問うていたことを……
タケルはきっとそう答えるだろう。私が耳を塞いでいただけだ。あの男のことだ、涙を流しながら懇願してくるに違いないのだ。
きっと、『やっぱりお前はすげぇよ……』などと言いながら。そうだ。そうに違わぬ。
何故そんなことに今まで気づけなかった? ……ふ、単純なことだ。私が白銀の内なる声、残したはずの想いから眼を背けていただけ。

――神宮時軍曹の言うとおりだ。私たちがXM3を駆り、戦うことこそが本義、本懐、そして本願なのだ。



 (――膝を抱えたままで、歩き出せず…… 心は、闇を、見ていた――)




「……月詠、私は長い悪夢を見ていたようだ」

「冥夜様!」

「苦悩の中……皆が手を差し伸べてくれている中、私自身がそれを拒絶していた。これを悪夢と言わずなんと言おう」

「――BETAを打ち滅ぼすその日まで、世界中の人々の誰もが悪夢を見ているのです。冥夜様も、私もその中の一人。
 しかし、それに気づけたということは……悪夢を照らしうる、ということなのです。もちろん、白銀訓練兵と共に」

「――タケルと、共に」

「――そう、共に、です」

「――私は、そなたのような臣下を持ったことを心から嬉しく思う。……そなたに、心よりの感謝を」

「身に余るお言葉……私の成せる事など微々たるものにございます。肝要たることは全て……周囲の方々がおっしゃられたはず」

 ……謙遜など。そなたの前だからこそ、私は素直になれたのだ。だが、それを申したところで……この者はそれを認めなどしないだろう。
――お互いにそれを承知しているからこそ、それ以上の言葉は無用。

「……そうか、そうだな。……さて、では私は隊の皆に詫びてこねばならぬ」

「いってらっしゃいませ冥夜様。消灯の時間にはお気をつけ下さい。それから……トライアルテストの件、無力ながら応援しております。
 ――また、殿下も香月博士をはじめとする方々のご尽力により御様態は快方へ向かい……基地司令の御好意もありまして、トライアルテストを御覧になってからお帰りになられるとのこと」

「……そうか、では尚のこと……結果を出さねばならぬな」

「冥夜様、御武運をお祈り申し上げております」

 ――ありがとう、月詠。
直角に頭を下げた月詠に向かって一言だけ言い残し、私はその場を立ち去る。
榊や珠瀬に詫び……一発もらって、シミュレーションに参加しよう。タケルの無念を晴らす……
いや、私がタケルの心と共にあるために。



 (譲り受けた願いを、胸に刻んで――)






































 12月09日 00:30 榊千鶴の部屋
 

「すまなかったな榊、私は皆に迷惑をかけ……そなたに汚い言葉を投げつけた」

「……いいのよ。きっと珠瀬もわかってるわ」

 意を決した謝罪、その上で一、二発殴ってもらうつもりだったのだが……
榊から返ってきた言葉は、想像以上に柔らかいものであった。

「それに、好きな男のことをそう簡単に割り切れるわけないじゃない。察し切れなかった私たちにも非があるの」

「何をいうか、全ては私の至らなさ、未熟さが引き起こし……む……?」

 先ほどの榊の言葉に、何か引っかかるものがあった。引っかかる、とはいえ茨のような刺々しいものではなく、例えるなら春の雲のような……

「……!? そなた今、なんと申した!?」

「え……? あたし達にも、非が」

「違う! その前だ!」

「えと……好きな男の事を、そう簡単に割り切れるものじゃないって」

「私が……私がタケルを好いているだと!?」

「……誰が見たってわかることじゃない……、いまさら顔を真っ赤にしてどうするのよ。さっき言ったじゃない。『タケルと共にあるために』なんでしょう?」

「……そうか、だから私は……。なるほど、好いて……」

 ――盲点だった? 否、そんな思考がはじめから頭に無かったのだ!
恋慕の情……人に教わることも無く、またそのようなものは私には縁なきこととして最初から否定してかかっていた。

「榊、そなたに感謝を!」

「えぇ?」

 私の中に燻り続けた、タケルの死への『責任』という言葉……それよりも、タケルに対して抱いていた想いの正体。
それが明るみに出でて、視界が明るく……生まれ変わったような気さえ感ずる。

「私が塞いでいた理由……、そなた達よりも陰鬱となり、立ち直れなかった理由……。私は今、その全てに合点がいったのだ!」

 軍曹の励ましが、何故か絵空事の如く感じられた理由も、ここにあったのだ。
月詠の進言にも存しえなかった事が、立場の近い……友の言葉により、その姿を現したのだ。

「……えぇ!? じゃあ御剣、あなた……自分が落ち込んでる原因わかってなかったって言うの?」

「……私は愚かにもタケルの死を自分のせいであると決め付け、その責が私に覆いかぶさっているものだとばかり思っていた。タケルを死なせた私がXM3を駆る資格などあるものか、と。
 しかし軍曹や月詠の言葉を聞くにつれ何か違うのではないか、と……言うなれば違和感があったのだ。果たしてそれだけなのだろうかと。
 ……ふふ、そうか。私はタケルを好いていたのか。だから……」

「……ねぇ御剣、あなた……随分嬉しそうね。気持ちに気づけても、……白銀は、もう……」

「榊、その先を言うでない。……タケルの死を悼むのは、しばし先……私はそう、あの者の願いを果たしたのち……やつの墓前で、涙枯れるまで泣きはらすこととする」

「……そう。――でもよかった、御剣が立ち上がってくれて。もうわかってると思うけど、トライアル……負けられないわよ?」

「――当然だ。我々が一番うまく新型を扱えるということを、歴戦の戦士達に知っていただくとしよう」

 見ていろタケル。そなたの夢、理想……。この私、御剣冥夜が成して見せる。だからそなたは安らかに……
安らかに、眠るがよい……









■マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜  第二話『鎮魂頌歌』  終