12月11日 16:31 帝都繁華街




「ちょっと城二、どこ行くの? 久々に会ったんだし、もうちょっとゆっくり話そうよ」

 ――帝都の中心にめぐらされた繁華街から、城内は情報省へと歩みを進めていた俺に、隣でおしゃべりを続けていたショートヘアの少女が言った。
こいつの名前は伊隅あきら。訓練校の頃の同級だ。……学生だったころはよく話した仲で、年上の幼馴染に対する恋の悩みとやらをよく聞いてやった覚えがある。

「――あれは、恋愛相談じゃなくてほとんど愚痴だった気がするがな」

「へ? なんか言った?」

「こっちの話さ」

 ――帝国軍は通常の勤務のほかに帝都の警備なども行う。また、勤務外の時間帯であれば街に出て娯楽に興じる許可も与えられている。
そんなわけで城外でも帝国軍兵士を見かける機会は多く、街中で配属先の異なる仲間が顔を合わせる、ということもそれほど珍しくはないことだった。
俺とあきらが会ったのも、まさにそんな偶然だった。尤も、あきらは一般の兵と同様に帝国軍に勤務することになり……、
試験を受けて斯衛に入隊し、情報省に配属された俺とは色々と処遇が違ったから、実際卒業以来とんと会ってなかったが。

「そうだ、お前この後ヒマか?」

「お、ノってきたね? ボクはここんとこ早朝勤務だから大丈夫だよ、城二さえよければ、積もる話もあるし晩御飯でも」

 ……どうやらこいつは、街で暇を潰していただけだったようだ。

「実は二課の課長に呼び出しを受けてる。ヒマなんだったら一緒に来ないか?」

「……へ? え、だってそれ任務でしょ? 課長直々の呼び出しなんて、情報省勤務でもないボクが行っていいわけないでしょ」

――正直一人で行くのも面白くない。呼び出しには一人で来いとはなかったし……まぁ問題はないだろう。
課長も『華があったほうがいい』ってしょっちゅうボヤいてたしな。
それくらいのサプライズは許されるだろう、どうせまた妙なハニワモドキを渡されるんだ。こいつに押し付けよう。そうだ、それがいい。

「いや、鎧衣課長だし……いいんじゃないか。まぁちょっと付き合えよ。駄目だったら帰ればいいだけの話だ」

「ボクは城二と違って斯衛兵じゃないんだよ? なにかあった時の申し開きだって」

「いいからよ、行こうぜ。きっと楽しいさ」

「そんなんでいいのかなぁー?」

 ――そう言いながらも、あきらは俺についてくる。なんだかんだ言ったって、興味があるんだろう。
そういうところ素直じゃないが、まぁ……それが可愛いところなんだろう。もちろん、茜さんはその数億、数兆、いや数京倍お美しいがな。
しかし今度の任務はなんだろうな、あまり面倒なことでなきゃいいんだが。

「でさ、城二」

 おしゃべりが耐えることはない。なんというか……相も変わらず人懐っこい奴だな。

「ん?」

「集合時間って何時なの?」

「えーと、16:30」

「ばっ――!」

 急に、あきらが狼狽した様子を見せた。

「ばか城二! もう過ぎてんじゃん!」

「あれ? ……やべ」

 言われて時計を確認したら既に16:40。……本当だ、遅刻じゃねぇか。

「――走るぞ!」

 あきらを気にせず走り出す。後ろの方で『置いてくなぁー!』と声がして、続いて駆け足の足音が聞こえてくる。
――走りながら、流れ行く繁華街の景色を横目で送った時……なぜか妙な感慨に襲われた。
大掛かりなコトが起きる予感というか、何かの前触れ……というのか。









――このとき城二は、自分が世界の運命を左右する大事件に巻き込まれることなど、思ってもみなかったのです……なんつってな。











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■ マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜 

           第三話『桑弧蓬矢』

        From "MUVLUV ALTERNATIVE"
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12月07日 23:30 帝国情報省内緊急治療室



 ……あれ。
なんか頭がはっきりしなくて……なんだかまわりが暗いぞ。夜なのかな……?

「彼の具合はどうかね?」

 ……人の気配がした。それがだれなのかは……体が重くて、たしかめる気にはなれなかった。
――もっとも、体の自由もきかないから……たしかめようと思っても、できなかったけど。

「はい、身体の欠損に関し……擬似生体の移植を施しました。裂傷や火傷はこのまま……」

「以前のように体を動かす……可能かね? 見たところ傷だらけの……」

「左目と左腕は擬似生体に換えましたので。傷跡の処置は……いたしましょう?」

 なんだかぶっそうな話だなぁ……。いったい、なんのことだろう?

「ともかく戦術機操縦に支障のないように……優先してくれ。傷跡を消すなどいつでも可能だ」

「了解致しまし……。そうしますと眼を含めいくつか傷が残りますが、生命及び戦闘行動に問題は無くなるかと……」

「それは重畳。あれだけのリスクを冒して……したのだから、五体満足で活躍してもらわねば困る。
 ではまた彼の意識が戻ったら私に伝えて……」

「了解しまし……課長」

 ――多分、おっさんが二人、おれの近くで話をしていたんだろう。
課長、そういや美琴の父さんも、そう呼ばれてたっけなぁ……。
……あぁだめだ、ねむい。何も考えられないや……。
















 ――冗談みたいに長いリムジンが、夜の公道を猛スピードで走っていた。
車の中にいたのは月詠さん、三馬鹿。運転してるのは……ああ、鷹嘴さんか。そうだよな、当たり前だよ。
――そしてもう一人、俺が。
 ……なんで、俺は急いでいたんだっけ?
眼に映るのはどこかで見たような光景で、目の前の事態も、やっぱりどこかで体験したような気がする。

(武様が御剣を背負っていかれるのです。……本当に……よろしいのですね?)

 月詠さんは突拍子もない事を言っている。俺が御剣を継ぐ? 一体どうなってるんだ?

(――それがどうしたッ!)

(――えッ?)

 ……凄いな俺、言い切ってるぞ。

(……まったく、金持ちっていうのはどいつもこいつも……庶民を弄びやがって。俺の気持ちや都合なんて知ったこっちゃないらしいや)

(――武様)

(過酷で高潔な道ぃ? 月詠さん、俺は元々『――準備なしッ!』なんだよッ!!)

 ――それじゃ駄目だぞ俺、この先。

(そんなの後でどうにでもなる、いや、するッ!)

(――武様!)

(俺はもうビクともしねぇぞ!! 冥夜は俺の女だっつってんだろっ!)

 ――え……? なんだって?

(ご立派です武様! ……ああ……冥夜様にもお聞かせしとうございました……)

 ――冥夜が俺の女?

(盛り上がっているところ悪いが、そろそろ正門前に着くぞ)

(俺が冥夜を嫁にするから大丈夫! 突っ切っちゃってください!)

 嫁にする? なんだそれ!? 俺は冥夜と結婚するってのか……!?
わけがわからないままリムジンは砲火を浴び始め、時を同じくして俺の意識は霧散していった……。
















12月10日 20:30 帝国情報省内第一病棟




「……知らない、天井だ……」

 ――眼を開けたら、真っ白く見慣れない天井があった。

 確か俺は、沙霧大尉と……あれ、沙霧大尉って誰だ、ああそうだクーデター事件の首謀者だ。その人と戦って、その最中に冥夜が落ちて……
そうだ、爆発したんだ。光に包まれた時、沙霧大尉が『離れろ』と叫んで……結局間に合わなくて、爆散したはず。
ええと……それから、どうなった?
 体がやたら重い、だから多分ここは天国じゃない……。
クーデターはどうなった? 俺と沙霧大尉が爆発した後、うまく終息したんだろうか……?
――ん……?

「――ッ! 冥夜は……つっ!」

 起き上がろうとして……左腕にズキリとする痛みを感じた。……起き上がれない。
少なくとも自力じゃ不可能だ。動かない。……折れたか?

「――気がつきましたか、白銀?」

 急に凛とした声が響く。
仕方がないので首だけ回して部屋を見渡すと、ベッドのすぐ近くに……あの人が。……あのいでたちは……いやまさかそんなはずは。
――声をかければ一発で判断がつくんだ、ここは一つ勇気を出して……、

「……冥夜……?」

「白銀、未だ意識が粛としていないのですか。それともそなたの眼は節穴ですか」

 ――やっぱり殿下かよ!?

「体は大丈夫ですか、どこか痛むところはありませんか」

「……お、おかげさまで……」

 ……間抜けな返事をしてしまった気がする。

「くすくす……私はなにもしておりませんが、息災ならば喜ばしいことです」

 ああもう、早速笑われてるし。
――でもなんで殿下が俺のところにいるんだ?

「……えっと、あの、殿下、すみません。状況がまったくわかりません」

「詮無きこと。消灯の時間も近いゆえ、それほど詳しく説明すること叶いませんが……そなたの疑問に答えましょう。
 ――もちろん、私が知る限りでの話になりますが」

 ――こんな展開はなかったぞ、こんな展開は絶対になかった。
クーデター事件の発生からこっち、明らかに前とは違う。

「あ、どうもすいません……。えっと、じゃあ、冥夜は……冥夜は無事でしょうか?」

 爆発事故に見舞われたものの俺は生きてる。……となれば気になるのは冥夜の所在だ。
あの時冥夜が吹雪から落ちて……その後どうなったのか。もし死んでしまったなんてことになれば、俺は……。

「己が身よりも先にあの者の心配とは、そなたはあの者と深き思慕を通わせているようですね……。
 心配には及びません。あの者は現在も、国連軍は横浜基地で、隊の仲間と共に壮健に過ごしています。私もちょうど先刻、横浜基地から戻ったばかりです」

 ――流石は殿下だ。俺が冥夜の後に部隊の皆のことも尋ねるつもりだったのを察して、先回りしてまとめて教えてくれた。
冥夜は無事か、良かった……。――自分が生きてたってことより嬉しく感じるのは、なんでだろうな……?

「そうですか。……良かった、本当に良かった。あれ、先刻戻ってこられた……って今日は……あれ? 何日ですか?」

「12月10日。あの事件から4日経ちました」

 ……都合5日近く眠ってたのか、俺。
ん? だとすると殿下も数日の間横浜基地にいたことになるのか?

「え、じゃあ殿下も、結構基地にいた……ああいや、いらっしゃったんですね?」

「――ええ、基地指令や香月博士の御厚意により、加速度病の治療もよくして頂きました。それと……以前に言った様に、無理に言葉を繕わずともよい」

「あ、ありがとうございます」

 身分の高い人に対する言葉遣いなんて、習いやしなかったからな……。
こういう知識の無さも痛い。……まぁ、殿下がこういうお人だったんで助かってるけど。

「他には何かありますか?」

 俺は生きてる、冥夜も隊の皆も無事、次は……

「ええと、ここはどこですか?」

「ここは日本帝国帝都、情報省内の病院です。何故そなたがここにいるのか、という質問には……白銀はあの爆発の中で虫の息だったのを、鎧衣に回収されたからである、と答えましょう」

「……そうですか、やっぱ俺、死にそうだったんすね。あの、沙霧大尉は……?」

 殿下は憂鬱そうにかぶりをふった。

「悲しきことですが、回収されたのはそなた一人。そなたにはあの者達の分も、生きて……志を貫いてもらわねばなりませんね」

 ――意識しなくても、大尉の言葉が蘇る。『――白銀武、日本を……頼む』と。
俺はまた――今まで背負ってきた物や、『前のこの世界』で失った物とはまた違う何かを託されて……ここにいるらしい。

「……そう、ですね」

 ――つまり、まとめるとこうだ。
クーデター事件の時に爆発に見舞われた俺は、どういう訳かその辺にいた鎧衣課長に助けられた。
当然あの人は帝国側の人間だから、俺の収容先は帝国の病院。あの人は情報省勤務だって言ってたから、情報省の病院に入れられたってことは、本当に鎧衣課長の手元に置かれた形だ。
で、冥夜も、部隊の皆も無事。俺が眼を覚ますまでは数日かかって、その間殿下は横浜基地にいた。

「――ッ!」

 ――ってオイ!
俺がここにいるの、すげぇマズいんじゃないか?
まだ数式の回収が出来てない。00ユニットの完成までの時間を少なくとも4日潰したことになる。
既に『この世界』は『前のこの世界』と大きく異なり始めた以上、12月24日にオルタネイティヴ5が決議されるとは考えにくい。
とはいえ、あまり長い間――しかも夕呼先生と離れて――いるのはマズいんじゃないか?

「あの、殿下、俺……」

 ――できるだけ早いうちに、横浜に帰らないと。
そう言おうと思った矢先、殿下の人差し指が、俺の口が開くのを制した。

「――ッ?」
「意志強く志高きそなたのこと。きっと『急いで基地に帰らねば』と思っているのでしょう。ですが今そなたが優先すべきことは怪我の治療です。
 腕も動かせぬ衛士が帰還などと、無謀と言われても申し開きできませんよ。……あまり自分を追い込むものではありません」

「……見抜かれちゃってるんですね……」

 ――箱根で少し話した時にも感じたが、殿下は冥夜よりも人の機微に鋭いらしい。
俺の素性や事情を話すわけにもいかないし、かといって殿下が言った通り今の俺が自分で動けるわけがないし……どうすればいいんだ?
俺がどう反応したものかと迷っていると、

「殿下、恐れながら……病棟はそろそろ消灯の時刻にございます」

 控えめなノックと共に、箱根で殿下と一緒にいた、あのお婆さんの声が聞こえてきた。確かあの人は……侍従長だったかな。

「――すぐに戻ります」

 殿下はドアの方に向かってそう言うと、椅子から立ち上がり(こんな所作一つとっても、やたらと優雅だった)、俺に向き直った。

「――白銀、明日は鎧衣を連れて参ります。事の運びは早い方がよいのですが……そなたはまだ覚醒したばかり。無理を強いるわけには参りません。
 重ねて言っておきますが、今のそなたがすべきことは……養生ですよ?」

 ――そう言って殿下は微笑み、部屋から出て行った。ドアを開けた時にチラっとあのお婆さんと眼が合い……なぜか会釈された。
……さっきの殿下の微笑にはほんのちょっとだけ……俺たちと年相応の、いたずらっぽさも含まれているように思えた。








12月11日 01:30 帝国情報省内第一病棟



「……ふぅ」

 ……寝つけねぇ。
俺の体は、枕が変わると眠れない……なんて繊細な作りをしてるわけじゃない。
体も疲れてる(というか、ぶっ壊れてる)んだから、すぐ眠れてもいいはずなのに……、
色々なことが頭をよぎって、眠れやしない。

「あー畜生……、時間が惜しい……」

 体が動かないと、かえって思考はよく働く。
思い出すのは殿下にトリアゾラムを打てなかった、あの瞬間の嫌な汗の感触ばかり。

「俺が迷わなけりゃ……こういう結果にはならなかったよな」

 俺の心にブレがなければ、俺がしっかりとした信念を持っていれば……きっと、もっとなにか……いい手があったはずなんだ。
俺の信念――今の俺の根っこにあるもの。世界を救いたいという気持ち? 冥夜を救いきれなかったことへの自責?
それとも、再び純夏に会いたいという想い?

「――ダメだ、やっぱりハッキリしねぇや」

 ――ずっと、世界を救い、オルタネイティヴ5を阻止するにはBETAを滅ぼせばいいもんだとばっかり思ってた。
けどクーデター事件からこっち、人間どうしの思想や信条のぶつけ合いが存在することを目の当たりにして……
しかも、それはBETAとの戦いより遥かに複雑で……
元々この世界の人間ではない俺には、みんなの誇りとか信念とか、そういう『立脚点』が無いのがわかって。
――さらにそれは、戦い続ける上ですげぇ重要な役割を担ってるときた。

「……どうすりゃいいんだよ」

 結局、殿下に養生しろと言われたにもかかわらず……空が白むまで、寝付くことは出来なかった。




















12月11日 17:00 帝国情報省内第一病棟



 ろくに眠れないまま陽が昇り、検温だの問診だのといった厄介ごとが波のように押し寄せた午前中。
点滴、昼食を経てやっと、うとうとし始めた頃に……昨日の話どおり殿下はまた病室にやってきた。――林檎を持って。
そういえば、昨日と違って和服だ。
初めて会ったときの服装が普通の、要は洋服だったので、こういうのは……やたら新鮮だ。

「……殿下、今日は和服なんですね」

「私は普段も公務の時も和服ですからね。……そういえばそなたと会った時は洋服でしたか」

 そういや、あの洋服はカモフラージュなんだった……。
着慣れてるからか? 凄く似合うというか、華があるよなぁ、和服。

「では白銀は、あの時の洋装と今の和装、どちらがよりよいと思いますか?」

「……どっちも凄く似合ってると思います。ただ俺は和服とか見慣れてないんで……どっちかって言うと、洋服の方が違和感ないですね」

「――そうですか。……また機会あらば、洋服を着てみるのも良いかもしれませんね。――では、これを剥きましょう」

 そういって殿下は持ってきた林檎を一つ手に取った。
病人には林檎、というのが殿下の中でのお決まりらしい。わざわざ剥いてくれて……で、俺はあまり体を動かすべきではないから食べさせてくれる、と。
しかも、わざわざ自分からリクライニングのスイッチまで入れてくれるほどの熱心さだ。
 殿下の手の中で林檎の皮がしゅるしゅると剥けていく。……こういうのも慣れた手つきだ。帝王学には林檎の剥き方も入ってるんだろうか?
殿下が何かに戸惑う姿って、あるのかな……?

「――白銀? 食べられぬなら無理をすることはありません、素直に申せばよいのですよ?」

 ――くだらないことを考えているうちに林檎は綺麗にスライスされていた。しかもそれを殿下が俺の口元に『ずいっ』と突き出している。
林檎は俺が口を開けばすぐ口の中に入ってくるだろう。この展開、この状況を形容すべき言葉は一つ。
『あーん』だ。

 許されるのか国家元首。
 許されるのか煌武院家。
 許されるのか一般将兵。

「……な、なんか恐れ多いっつーか……」

 苦しい言い訳を聞いた殿下はクスクスと笑い、

「侍従の者は外ですし、それに……そのような些事を気にする白銀ではないでしょう?」

 と、更に林檎を寄せてきた。

 許されるのか国家元首。
 許されるのか煌武院家。
 許されるのか一般将兵。

 ――殿下、こういうお人だったんですかね?

「……わかりました、頂きます」

 ――俺が口を開けて、殿下が林檎を口の中に押し込んだ瞬間。甘みと酸味が口いっぱいに広がった。そのまま咀嚼して、飲み込む。

「……うまい」

 俺が素直に感想を言ったのが嬉しかったんだろうか、殿下はにこやかに、

「それはよいことです」

 と言って、二つ目を用意し始めた。

「殿下、この林檎、多分……天然物ですよね?」

「ええ、民が献上してくれたものです。生活がどんどん苦しくなっていく中……私は断るように、と言っているのですが。
 こうやって、色々なものを将軍家に送ってくれるのです」

 そう話す殿下の表情は、本当に嬉しそうで……慈愛に満ちていた。きっとこの人は、誰よりも帝国民を愛してるんだろう。
冥夜といい殿下といい、俺と同じ年齢なんて信じられない。

「それにしても、鎧衣が時間に遅れるとは……何かあったのでしょうか」

 林檎を剥きながら、殿下は少し心配げだ。
聞くところによると、17:00に俺を助けてくれた鎧衣課長が来て……色々と事情を説明してくれるはずだったらしい。
既に時間は過ぎている。……今なら、ちょうどいいか。

「あの……殿下、鎧衣課長が来る前に、一つ聞いていただきたいことが……」

「はい、なんでしょう?」

 そう言いながら、殿下は二つ目の林檎を俺に差し出す。俺ももうあれこれ考えずに殿下のご好意に甘えることにした。
……実は、昨日の晩に悩んでいたことを、俺は殿下に相談するつもりでいた。
――この人になら、と考えるのは甘え以外のなんでもなかったと思う。ただ俺は……誰かに話してしまいたかった。

「俺――」

 揺らいでるんです、と言おうとした矢先……、
――がちゃり、とドアの開く音がした。

「――大変申し訳ございません、定時に遅れるなどと……この鎧衣左近、如何なるお咎めも受ける所存にございます」

「おお、これが病院の個室か! 『あの葉っぱが散った時わたしも死ぬの』ってやつだな?」

「……城二、それ多分ちがう」

 ……見事に話題をさらわれた。まぁ、後でいいか……。入ってきたのは鎧衣課長と、俺と同年代くらいの女の子と、
――剛田じゃないか! やっぱり剛田もこの世界にいたのか?

「鎧衣、よいのです。そなたにも事情がありましょう。それよりも……そなたの働きにより、こうして白銀は生き永らえました。大義でありました」

「私如きに、身に余るお言葉……感謝の極みにございます。
 ……時に白銀武、殿下から果物を頂き、あまつさえ『あーん』とは。この鎧衣左近、一人の帝国民として羨ましい限りだよ」

 そう言いながら、鎧衣課長はカバンから書類やら何やらを出す。
――ちょうどその時、鎧衣課長の後ろから剛田と女の子がすいっ、と前に出てきて……二人の視線が殿下を捉えた。

「でっででででで殿下ぁぁ? か、課長、御前に参じるなら最初から言ってくれと前に言ったじゃないすか!」

「う、うわぁ! 殿下が、ほんものの殿下がいらっしゃる! わわわ、私頭が高、ええとええと……!」

「そうは言うがね剛田城二そして伊隅あきら、君達の遅刻のせいで私の面目も丸潰れなのだよ。これは夕食を一、二回奢ってもらう位では払いきれんツケだ。
 ……殿下、平にご容赦を。この者達には殿下がいらっしゃることを前もって知らせておりませんでしたがゆえ……」

「よい、三人とも楽になさい。これくらいの方が、白銀にも、そこの二人にも心地よいことでしょう」

「「も、もったいないお言葉を……!」」

 殿下がいたことが、この二人には本当に驚きだったらしい。城二と女の子は互いに畏まり、言葉までそろっていた。

「鎧衣、そなたは今、入隊手続きの用紙を所持しておりますか? 元々は白銀の退院後に行う予定でしたが」

「は、不測の事態に備え常に携帯しております。少々お待ちくださいませ……。こちらにございます」

 厳粛な手つきで書類を殿下に渡す鎧衣課長。

「そなたは本当に準備がよいですね、私も見習いたいものです。聞くところによるとそなたは白銀とも旧知であるとか……。
 ――何か白銀と話すことがあれば、話すとよいでしょう。その間私は――そこの二人、そちらへ行ってもよいですか?」

 殿下が、後ろの二人に声をかけた。

「とんでもございません、我々がそちらへ!」

 めちゃくちゃ姿勢良く立った城二が殿下に言う。隣の女の子も凄い緊張してる感じだ。
――やっぱり、殿下に対しては、こういう反応が普通なんだよなぁ……。

「よい、と言ったでしょう。鎧衣と白銀の邪魔になる故、私がそちらへ参ります」

 紙を受け取った殿下は、ベッドの近くの椅子から立ち上がると、入り口のドア近くで直立不動の体勢をとっていた剛田と女の子の方へ向かっていった。
かわりにこっちには鎧衣課長が歩いてくる。

「……俺を助けてくれたのはあなただそうですね。――ありがとうございました」

「なに、君を失うのは帝国にとっても損失だったからね。……ところでどうかね、怪我の具合は。
 体中の火傷や裂傷はほとんど治るだろうが、なくなってしまった左目と左腕はどうしようもなくてね。擬似生体を移植したのだが、何か違和感はあるかね?」

「え……?」

 ――擬似生体の、移植……? この腕、骨折じゃなかったのか。
――考えてみれば確かにそうか、あんな……爆発があったんだから。骨折程度で済むわけがない。
なんと答えたらいいものか迷っていると、

「……あ、ありがとうございます! ……この剛田城二、斯衛としてこれほど光栄なことはございませんっ!」

 急に、剛田の大声が響いた。俺と鎧衣課長が視線を殿下達のほうに送ると……
どうやら殿下が、剛田のネクタイを直してあげているようだった。……俺でさえ恐縮した位だ、相当嬉しいんだろう。

「斯衛軍、帝国軍の枠にとらわれず……日本人として、身嗜みには気をつけるのですよ」

「……はっ、了解致しました!」

 剛田はここから見ても明らかなくらい顔が赤いし、微妙に声が涙ぐんでいる気もする。

「白銀武だけではなく剛田城二まで……。長年帝国に仕えているが、こんなことがあるものか。……で、どうなんだね白銀武」

 状況を見ていた鎧衣課長は本当に羨ましげだ。

「あ、えと……まだよくわかんないです。左手はギプスだし、左眼は包帯ぐるぐるで見えないし。……でもこれ、骨折だと思ってました」

「……む、そうか。あながち間違ってはいない。リハビリの期間的にも骨折とさほど変わらんよ。
 眼の方は既に治っているはずだ、いつでも包帯を取ってもらって構わん。腕の方は……もう少し時間が必要だろう。
 もちろん今まで通りのレベルに回復するはずだ。ひとつ、大船に乗った気持ちでいてくれたまえ」

「完治には、どれくらいかかりますか? 動けるようになれば……俺、できるだけ早く基地に戻らなきゃ」

「……言うと思ったがね。説明の手間が省けて助かるよ」

 ……鎧衣課長まで俺の考えを見越してたのか。もしかして俺、わかりやすいんだろうか?

「……というのは?」

「――簡潔に言えば、君は怪我が完治してもしばらく国連軍には戻らない。帝国軍斯衛兵として任務をこなしてもらう」

 ――なんだって?
俺が、斯衛兵になる? 月詠中尉や三馬鹿のような?

「な……なんでですか? 大体なんで俺」

「その辺の事情を説明すると日が昇ってしまう。もちろん説明はするが、それは後日だ。君が退院してから、といったところだろうか。
 ――なに、悪いようにはしないさ。もちろん香月博士も了承済みだ。『しっかりやんなさいよ』とのお言葉を預かっている。
 殿下に林檎を剥いていただいた上に、あのように美しい人の激励を頂くとは。君は何か特殊な星の下に生まれついているのではないかね?」

 ――夕呼先生、納得したのか……。
俺がここに残って何かしらの任務をこなすことが、『元いた世界』へ行って数式を回収することよりも有益だと判断したから?
だとしたらそれはなんだ? 00ユニットの完成よりも効率のいい『オルタネイティブ4を完遂させる何か』を発見したんだろうか?

「俺がここにいるのは、俺がここにいたほうが計画にとって有益だからですか」

 ――殿下や鎧衣課長には『オルタネィティヴ4』と言っても差し支えないが、ここには剛田達がいる。
それを考え、念のために名前は伏せて聞いてみた。

「そういうことだ。君にここにいてもらうことは、国連にも、帝国にも、当然オルタネイティヴ4にとっても益になる。それと、ここで言葉を選ぶ必要はない。
 剛田城二は私の下で働く男だ。それに彼女も帝国の兵、余計なことを口外する娘ではないよ。
 要はつまり退院後は君も栄光ある斯衛兵、というやつだ。……君達、自己紹介をしておくといい」

 課長がそう言うと、後ろの方で殿下と話していた(話していた、と言うよりは剛田と女の子が殿下にお言葉を頂いていた、と言った方が正しいか)二人が俺の近くに来た。

「――俺は剛田城二。城二でいい。情報省付きの斯衛兵だ。お前は課長と面識があって尚且つ国連兵……まぁ、ワケありなんだろ?
 多分、後日一緒の部隊になると思う。よろしくな。わからないことがあったら、何でも聞いてくれ」

「あ、ああ……、俺は白銀武。よろしく」

 ――『元いた世界』では、こいつは『茜さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!』と叫んでばっかりの直情馬鹿だった。
今目の前にいる剛田城二は、そんな素振りは見せない。……世界情勢が違うんだ、当然といえば当然か。
今まで出会った『元いた世界にも存在した人々』のうち、こいつが一番ギャップがある気がする。月詠中尉や三馬鹿も相当なモンだったけどな。
いや、美琴にはかなわないか。なんたってあいつ性別違うし……。

「ボクの自己紹介が必要かどうかわからないけど……。こんにちは白銀君、ボクは伊隅あきら、普通の帝国軍兵だよ。
 あ、ボクもあきらでいいからね。と言っても実は今日は城二に着いてきただけで……特になにかあるわけじゃないんだ。
 そういえばキミは国連兵なんだよね? 国連にはお姉ちゃんがいるんだけど、知らないかな? 伊隅みちる」

「そっか、ごめん、でも俺は知らないや。何か教えてあげられればよかったんだけどな」

「あ、いいのいいの気にしないで! ごめん、怪我人にいらない気を遣わせちゃったね。それでさ……」

 俺と剛田と伊隅さんがとりとめのない話をしているさなか、殿下は先ほど課長から受け取った書類に何かを書き、それを持って俺のところにやってきた。

「剛田、伊隅、しばし席を外すがよい」

 そう言うと、さっきまで談笑していた二人は急に衛士の顔つきになり、

「「はっ、了解致しました!」」

 そのまま、やけにきびきびとした動作で部屋を出て行った。
手渡された書類には、『日本帝国軍斯衛兵登録手続書』とある。既に達筆な字で『煌武院悠陽』の署名と捺印があり……
多分、俺が名前を記入すれば万事解決、ということなのだろう。気がつけばさっきの二人はおろか、鎧衣課長もいない。

「……俺が、これに署名するんですね?」

 さっきまで微笑んでいた殿下の表情がスッ、と引き締まる。それだけで、病室の空気までが張り詰める。
――これが、国家元首の、威厳……。

「ええ。規範として、いかなる出自の者も斯衛兵となる際には国家を預かる者――今は私ですね――と一対一で向き合い、名を記すことになっています。
 そして元首の眼前で、己が言葉で、帝国と民草に尽くすことを誓うのです。
 ――しかし、そなたは特殊な事情で身を置く者。お国のため、ではきっと戸惑いましょう」

 俺は、『この世界の日本』の人間じゃない。――だから、国のために……というのはまだよくわからない。そんな俺のメンタル面を、殿下は既に見抜いていた。

「ですから白銀武、そなたは私に誓いなさい。そなたは帝国や民草のためだけではなく……あの時箱根で私と話したような、己が信ずる道を貫き……
 その障害に出会った時、その時こそ、自らの手を汚すことを厭わぬと。迷うことなく進むと」

 ――殿下の口から出てきたのは、俺にとって最も大きな……根源的な問題だった。
さっき相談しようとした内容だったので、俺にとっても……この話題はちょうど良かった。

「――さっき話そうとして、鎧衣課長達に腰を折られちゃったんですけど」

「はい」

「俺、揺れてるんです。俺は殿下や斯衛の人達、ウォーケン少佐達みたいな『確固たる戦いの理由』が無くて。……立脚点、って言うんですかね。
 そういうのを持ってないのが今回の事件で露呈されたんです」

 ――本当は、俺にだってあったはずだった。
俺にできることを全てこなして、『前のこの世界』と同じ結末になるのを避ける。有り体に言えば、世界を救う。
そのために、HSST落下を阻止し、天元山の婆さんを『切った』。

「世界を救おうなんて息巻いて、結局自分だけビビって。ちょっと戦術機の扱いが上手かっただけで、俺なんて中身カラッポで……」

 上手くやっているつもりだった。この先も上手くやっていくつもりだった! それなのに、それなのに……!
加速度病にかかった殿下の、汗の感触。ナマの体温。目に見える形で現れた『責任』に、立ち向かえなかった。
散々、冥夜や月詠中尉、彩峰に偉そうなことを言っておいて……!

「ハリボテなんですよ、外面も……内面も。俺には確たる物が何一つありゃしない」

 ――ぽたり。
自分でも気づかないうちに感情は昂ぶり、シーツを涙が濡らした。
重ねた言葉の数にあわせて、ぽたぽたと涙がこぼれていく。

「そんな俺が、月詠中尉達と同じ、斯衛なんて……」

 『前のこの世界』で失った、世界の他に守りたかったもの、守るはずだったもの。――それだけは、何よりも具体的だったはずなのに。
そういう重要な部分だけは抜け落ちて、空回りする気合と、焦燥……無力感ばかりが残った。
練度が高いのは前に経験したからだ。戦術機の操縦だって他の連中より年季が入っているだけだ。
そのくせ内面、精神面はちっとも、それこそ『元いた世界』から何一つ変わってやしない!
一皮剥いてしまえば、ここにいるのは『何の変哲もない、無力な高校生』に過ぎないんだ!

「――俺には、何もないんだ……!」

 ――これ以上は、言葉が出なかった。
自分の無力さを。
自分のふがいなさを。
ただ俯いて、噛み締めることしかできなかった。

「白銀……」

 そんな俺の手を。
そんな俺の手を、殿下は何も言わずに優しく包んでくれた。
手を包まれているだけなのに、抱きしめられているような……そんな安心感を、殿下は与えてくれた。

 ――どれくらい時間が経ったろうか?
俺は俯いたまま、殿下は俺の手を包んだまま、時間だけが過ぎていく。
壁掛け時計の秒針がカチカチと時を刻む音だけが響いていた。
 ――殿下が俺の手を握りなおす。少し間をおいて、口を開く気配が。

「……白銀、そなたは恐らく……私の知り得ない事情を抱えて悩んでいるのでしょうね」

「――はい、すみません……」

 教えたくないんじゃない。教えても仕方ないんだ。俺が世界や時を移動しているなんて……夕呼先生みたいに専門的に研究してなくちゃわからない。
殿下がいくら俺を信頼してくれたとしても、こんな話は信じられるはずがない。それどころか、余計な心配をさせかねない。

「謝ることなどありません。それでよいのです、白銀」

 ――?

「え……?」

 それで、いい? ……何がだ?

「私も、日本を背負う者としての悩み、といったものを多く抱えておりました。――そのうちの幾つかは、今でも心に残っています。
 そなたの悩み……。それは、私とて同じこと。そなたの言葉を借りれば、私とて、何もない。……ふふ、世間では『おそろい』と言うのでしょうか」

 殿下が、俺と同じで、何もない?
――そんなはずはない。殿下は責任感があって、指導力があって。俺なんかとは比べ物にならないくらいしっかりした人で……。

「そんな、殿下は俺なんかと……、俺なんかとは違って」

「私はそれほど違うとは思いません。先ほどのそなたの言葉で、それを確信するに至りました」

「へ……?」

 殿下が俺の言葉を遮ってまで、『俺と殿下が同じ』と言っている。

「私は国家を預かるという大任を任されておりますが……それは血、引いては煌武院の家に生を受けたものの宿命。
 ――もちろん私も、忌子として家を分けられたあの者と同様、自らの意思で事にあたる決意はしておりますが。
 意図せずに背負ったものの重さ、と考えれば、私の重みは、そなたが類稀なる素質を持って生まれ、その素質故に挫折を許されぬことと同じなのです。
 恐らくそなたはその才を人々に評価され、期待され……白銀自身もそれを認め、それに応えようと日々研鑽を重ねてきたのでしょう。
 それが崩れ去り……そなた自身の存在理由を、そなた自身が疑問に思っているのではありませんか」

「……そうです」

 ――もっとも、俺自身はそんなに殊勝じゃなかったけど。
期待に応える、と言うより……、俺が独善的になっていたと言ったほうが的を射ている。

「私の決意、そなたの言葉で言う『立脚点』は私だけのものです。そなたにそれを話したところで、出自も使命も異なるそなたには無味乾燥と映るでしょう。
 ――そう、たとえどれ程に苦しくとも、自分の拠所は自分で見つけるしかないのです」

 ――そうだよな。いかに殿下といえど……俺に道を示してくれるわけがない。世界の理から逸れた奴の未来なんて……示せるわけはない。
そんなのは、甘えだ。……でも、どうやって見つけりゃいいんだろう?

「――ですが、『自分で見つけること』と、『一人で見つけること』とは異なります。
 先程申したように、そなたと私は近き存在。何かあれば、どのような些事でも私に相談なさい。力添えの可否はともかくとして……、
 話すだけでも楽になりましょう。事実、打ち明ける前と後でそなたの顔は随分違いますよ」

「そ、そうですかね?」

 ……確かに、殿下に話した事で――解決法は見つかっていないのに――気分はわりと楽になってる。
考えてみりゃ……殿下が言うように、俺には悩みの相談なんてできなかったもんな……。
207の仲間は事情を知らないし、夕呼先生に話した日にゃぶっとばされる。
――自分で思ってた以上に、軍務と理想にがんじがらめだったんだな、俺。

「戦いのよりどころ、とは簡単に見つかるものではありません。それはこれから先、そなたがそなたの意思でそなたの戦いを繰り広げた先に待っている事でしょう。
 ただ……、私が言いたいのは、そのような『立脚点』を持たぬということが、戦いを棄する理由にはなり得ない、ということです」

 ――当然だ。
理由が無いから戦わない、舞台から降りるなんてのは間違ってる。しかもそれは、俺や殿下のように、使命を背負った者には絶対に許されない。
現にBETAはやってきて、今も世界のどこかで虐殺を繰り広げているのだから。

「戦っているうちに見えてくるものもありましょう。それを信じて事に向かうのも、私は一つの闘いだと思います」

「……俺にも、見えてきますかね? 胸を張って誇れるような……立脚点が」

 ――心ではわかっていた。そんなもん俺次第だ。殿下の与り知ったことじゃない、と。

「ええ、必ず。私が煌武院の家の中で、血筋と生い立ちからではなく、自らの意思で戦うことを選んだように。
 それになにより、そなたが流したその涙……、それこそが、そなたの中に『立脚点』が眠ることの証ではないでしょうか。
 失敗して涙を流すのは、より良い結果を望んでいるから。より良い結果を望むのは、そなたの中に希望があるから、と言えましょう」

 なのに、殿下は断言してくれた。俺にも立脚点が見つかると。
そんな殿下の優しさや暖かさは、どんな薬よりもこの傷だらけの体に染み渡った気がした。

「――俺……」

「はい」

「俺、もう一度やってみようと思います。夕呼先生がどういうつもりで俺を帝国に入れて、鎧衣課長がどういうつもりでそれを受けたのかわかんないけど……
 どこにいようと、俺ができる限りの最善を尽くして、冥夜や殿下に、胸を張れるように」

「――そうですか。そなたの歩む道は茨の道、辛いことも多々あるでしょうが……挫けることなく、自分の戦いを見つけられることを願っています。
 私も……くす、『おそろい』のそなたを見守っていますよ」

 しばらくの沈黙の後、看護婦が夕食の時間を告げて、殿下は出て行った。『またここへ参ります』だそうで。
そういや結局署名はしなかったな……まぁ、殿下としっかり約束を交わしたし、近いうちにまた機会もあるだろう。
むしろこんなぐらついた気持ちで署名するんじゃ、月詠中尉達に申し訳ないものな。
これから先どうなるのか、もう俺の、前に一度体験したことによるアドバンテージは通用しない。今回のことでそれが本当にハッキリと証明された。
とにかく、まずは怪我を治して……ああ、擬似生体はリハビリも必要なのかもしれない。それも含めて、体を元に戻さないと。

「……多分、すげぇ大きなコトが動き始めてるんだろうな……」

 人気の無くなった病室には、自分の独り言も良く響いた。














12月11日 20:20 帝都繁華街 とあるもんじゃ焼き屋


「俺ぁこのネクタイ、もう一生洗わねぇぞ」

「……殿下に身だしなみに気をつけろって言われたばっかじゃん……」

 小麦粉と海鮮が焼けるにおいが、煙と一緒に鼻をくすぐる。

「だってお前、物言いは悪いがナマの殿下だぞ? 日本帝国全権代行征威大将軍煌武院悠陽殿下に触って頂いたんだぞ? 未来永劫剛田のお家の家宝にするべきだろうが」

「……涼宮さんに熱上げてる限り、城二のおうちは城二で途切れそう……」

「ぐっ……」

 ――痛ぇところを突きやがる。
……結局、白銀の病室を出た後、課長が『今日はもういい』と言ったので、俺とあきらは外で夕飯を一緒に食うことにした。
どこで食うか悩むのも面倒だったので、適当にもんじゃ焼き屋を選んだんだが……、

「いいか君達、もんじゃ焼きを食べている時に嘔吐物の話をしてはいけないよ」

「なんで課長がいるんすか?」

 ――なぜか鎧衣課長が先に来ていた。しかも俺達を見つけたら席を移してこっちに来た。

「よ、鎧衣課長が話を持ち出してるんじゃないですか。下品ですよ」

 あきらが弱気な抗議の声を上げる。相手が俺じゃなくて課長だと強く出てこないのは卑怯だ。俺も抗議したい。

「いくらもんじゃ焼きが嘔吐物に似ているからといって嘔吐……」

「もういいから黙れオッサン。……おいあきら、そこ焦げてるぞ」

 ――元々、俺と課長の付き合いは『上司と部下』が始まりじゃない。
俺がガイア――鎧衣美琴と親友――ガイアは国連軍で働いているが――だったから、ガイアの親父である鎧衣課長と会う機会は入隊前にも何度かあった。
俺が斯衛に入隊した時に情報省付きになったのも課長の口ぞえで、『顔見知りの方が色々とやりやすい』んだそうだ。
だから勤務時間帯でない時は、たまに口調がアレになる。――まぁ、課長自身は勤務中でもアレだけどな。

「ボクはおこげが好きだからいいの。それより城二は焼く前からソース入れるの? 真っ黒くて不味そうだよ」

「黒いのはコゲも同じだろうが。こうやると後でソースかける手間が省けていいんだ。いちいち人の好みに口を出さんでいい」

「ところで君達、今日の任務はどうだったかね?」

 小エビが多めに入ったボウルをかき混ぜながら、課長が俺達に聞いてきた。

「まさかあんな距離で殿下のお言葉を賜ろうとは、って感じ」

「ボクは……いてよかったのかなぁ……」

「私が聞きたいのは殿下のことではなく、白銀武だよ。どうかね? 仲良くやっていけそうかね?」

 ――仲良く、ねぇ。
つまり俺があいつと組むのは、もう確定ってワケか。

「あいつがヒネてなけりゃ……大丈夫ですよ。あの眼は色々背負ってる眼だったし」

「白銀君はきっといい人だよ、ボクにはわかる」

「お前それ根拠ねーよ。大体お前が仲良くなったってしょうがねぇだろうが」

 ――そりゃあ、悪人だったら御前にいる訳がない。

「そりゃそうだけど、きっと白銀君は退屈してるからボクはお見舞いに行くよ。友達になるんだ」

「そうかそうか、それは素晴らしい。実に素晴らしい」

 ――?
一瞬、課長の目つきがやけにマジになった気がした。……気のせいか?

「さ、君達、昼間はツケだなんだと言ったが……大人らしく今日はおじさんがお金を出そう、ドリンクなりアルコールなり、追加するといい」

 ――マジか? 目つきなんてもうどうでもいいか!

「よっしゃあ俺ビール!」

「いいんですか、ご馳走になっちゃって、ボク部外者なのに」

「気にすることはないよ伊隅あきら君。こうやって共に夕食を囲んだ時点で既に私たちは他人ではないからね」

「あ、ありがとうございます! じゃあボクおかわりー!」

 アルコールに対して突っ込みが入らないのは、ご愛嬌って奴だよな。
――はてさて、どうなるか……とりあえず次の任務とやらに向けて、英気を養うとしよう。
……合成モンのビールでな。







12月12日 00:30 帝国情報省内第一病棟



「……」

 殿下や鎧衣課長達が帰った後、看護婦さんが夕食を持ってきてくれて、ついでに体を拭いてもらった。
……これがまた非常に恥ずかしい。文字通り体中の(当然、下も)汗をふき取ってもらったわけで、相手がおばさんだったから良かったものの……
いや、良くなかったと言うべきなのか……

 その時に多少包帯を巻きなおし、ギプスも少し薄くしてもらった。こうやって、徐々に減らしていくらしい。で、リハビリを重ねていく、と。
『元いた世界』よりも医療技術が発達している、というのはどうやら誇張ではなかったらしい。その証拠に……
無くなったはずの左腕が今ここにあって、ギプスで固定、要は骨折程度の扱いになってる。
 ――ある程度拘束が緩くなったので快眠できるかと思いきや、目を閉じれば色々な思考が浮かんできて……寝つくどころの話じゃなかった。
冥夜の顔、207の皆の顔、霞の顔、夕呼先生の顔、沙霧大尉の顔……そして、純夏の顔。
みんな微笑んでいたり、心配そうだったり……純夏以外はたった数日会ってないだけなのに、なんだか遠い過去のことのように思えた。

「……顔って言えば……、俺、どうなってんだろ」

 ――見てみるか。
包帯はもう取っていいと鎧衣課長も看護婦さんも言っていた。
擬似生体を移植して、見えるのか見えないのか……、傷はあるのか……
リクライニングで上半身だけ起こして、壁に貼り付けてあった鏡を見つめる。鏡面には包帯を巻いた俺の顔。

「なんか、ブラックジャックみたいだな」

 包帯と肌のコントラストが、なんとも病的だった。
ある程度自由の効く右手で後頭部の留め具を外して、そのままシュルシュルと包帯をといていく。
最後まで包帯を巻き取り、鏡に映ったのは――

「……でっけぇ傷……、うお、髪の色まで変わってる」

 ぼやけてはいるが見える。凄く視力が落ちた時のような感じだ。実際に傷をなぞってみると――普通の皮膚よりカサカサして、かたい。
左目を突き抜けるように走った傷跡、その先の額の生え際のところは、色が白のような銀のような……に変色していた。
――移植の影響だろうか? ――擬似生体移植とか、顔に傷跡とか、よく生き残れたもんだ……

「傷、かぁ……」

 まず死んでいた状況を救ってもらって生きてるんだから文句は言えないし、後々消そうと思えば消せるんだろうけど……
それでもなんだかちょっと、胃の辺りが重くなったような気がする。皆が見たらなんて言うかな……?
――冥夜あたりは、『私のせいで』なんて言い出しそうだ。美琴は無駄に気を回しそうだし、たまは泣きそうだし……彩峰や委員長はどうだろう?

「早く治して、任務をこなして……どんな任務なのか全然わかんねーけど……皆に会いに帰ろう」

 そのまま掛け布団を被りなおして、俺は床に着いた。
――明日からどうなるのか、全くわからないけど……それでも前に行くしかないんだ。
……やるぞ、俺は。











                                     ■マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜  第三話『桑弧蓬矢』  終