12月17日 06:00 帝都郊外 帝国軍帝都基地内休憩室



 昨日のうちに、殿下にお祝いの言葉を献上し、白銀武の生存そして真意を確かめることが出来た。
つまるところ私の帝都での職務は全うされたことになり、そうすれば此処に留まる理由はない。また、横浜基地へと戻り冥夜様護衛の任に就く。
そのために私は今、帝都を取り囲む基地内にいる。我が武御雷を預けていたからだ。
先の決起事件を経たわが武御雷を、一度帝都で見てもらいたかったため――武御雷と共にこの帝都に来ていたのだ。
横浜基地の設備や技術を疑っているわけではなく、餅は餅屋――武御雷に精通している者の眼で見て欲しかった。

「基地の人員も、少し減ったか……?」

 それは、基地内の人間にも決起部隊に参加したものがいたことを意味する。彼らの多くは投降し、沙汰を待っている状態と伝え聞いた。
過日の決起によって災禍に包まれた帝都。この基地も当然例外ではなく、10日余り過ぎた今でも事件の爪痕は残っている。
瓦礫は片付けられつつあるが、基地が本来の能力を取り戻すにはまだある程度の時間を要するだろう。
勿論、物理的な面だけではない。争った相手はかつての同胞。彼らに共感した者も、この基地内には存在したに違いないのだ。

「月詠中尉、中尉の武御雷、点検完了致しました。トレーラーのタイヤも見ておきました。いつでも行けるようにしてあります」

「む、感謝する」

 作業服を着た男性が近づいてきて、私に報告書を手渡した。敬礼で挨拶を返し、そのまま休憩室を出て行く彼を見送る。
――この休憩室は本来整備兵達が利用する。ここを出れば格納庫に直結しているため、出された茶を飲みながら待っていた。
自分の武御雷のデータが記載された報告書に眼を通しながら茶を啜る。これを飲み終えたら、出よう。そう考えながら。
 ……しかし恐らくは、そう遠くないうちにこちらへと戻ってくることになるだろう。
先日、殿下は御誕生の式典の中で国民、そして我々兵士に対し決意を述べられた。
 間も無く、帝国の政は変わる。憂国の烈士達の意を御汲みになられた殿下が、政の矢面に立ち返る決意を顕にされたのだ。
そして決起部隊の説得のため表に出たが故に、冥夜様の殿下の陰としての意味は終わりを告げた。当然護衛は解かれ、私には新たな任務が与えられるだろう。

 ――私は、冥夜様に白銀のことを伝えるべきなのだろうか?
確たる証拠はないが、白銀は何か大きな流れの渦中にある。察する限り帝国だけではなく、香月博士を始めとした国連軍も噛んでいるに違いない、大きな流れの中に。
横浜基地に身柄が引き渡されなかったということも考えると、軽々しく口外するべきでないことは容易に想像できる。
 あの夜決意を新たにされた冥夜様に、私は何を申し上げれば良い?

「――女人が一人で考え事をしているというのは絵になりますなぁ。例えそれが飾り気のない瑣末な空間であろうと」

 突如、後ろから響く耳障りな声。忘れようもない、この声は――

「……護堂中将閣下」

 ――やはり。
また現れたか、この古狸め。

「あるいは周りが瑣末であるからこそ、中尉の美しさを引き立てるのか。どちらにせよ……」

「中将閣下、このように瑣末な空間に、どのようなご用件でございましょうか?」

 『瑣末』をことさら強調し、下らない美辞麗句に付き合うつもりなどない意思を前もって表示しておく。そうでもなければこの男、いつまでたっても言葉を並べ続けるだろう。

「これはこれは手厳しい。いやなに、私は心底中尉に執心しておりましてなあ。いつまでも国連派遣などという閑職ではなく……」

「恐れ多くも殿下より仰せつかまつった大命、私は全身全霊をもって取り組むのみであります」

「いやいやそれはごもっとも。私が中尉に言いたいのは……、もう基地になど出向く必要はないのでは? ということですなあ」

「……それは、どういった意味でしょう」

 ――恐らくこの古狸は、冥夜様の護衛が解かれることを察しているのだろう。

「私の口から申し上げることは何も。中尉の職務を考えれば……それは容易に想像がつきましょうぞ?」

 その上で、どうせすぐ戻ってくることになるのだから今のうちに自分の傘下に加われと言いたいのに違いない。

「どうあれ、私は私の職務を全う致します。それに変わりはございません」

「なるほど……やはり中尉は衛士の鑑。この護堂、老骨に染みる思いですなあ。――ところで中尉は、近々殿下が難民キャンプを御訪問されることをご存知ですかな?」
「殿下が……?」

 私が殿下の御行をすべて把握できる立場でないのは当然ではあるが、そのような話は初耳だ。

「ほっほ、御存知ないようですな。しかし中尉には関係のないことゆえ……いやいやそんな顔をなさいますな。この護堂、中尉に隠し立てなど一切」

「中将閣下、重ね重ね申し上げますが私のような」

「一介の中尉に、ですかな? ほほ、私は気に入った者へは有形無形関わらず支援は怠りませんぞ。
 要はですな、殿下はあの忌々しい反乱軍が演説で撒き散らした汚らしい流言飛語について、臣民が心を痛めているとお思いなのです」

「……それは、つまりどのような?」

「殿下は、難民キャンプにいる者達に慰労訪問をなさろうという心積もりであらせられるようですなあ。私は無意味であると申し上げたのですが」

「……」

 ――天元山で発生した難民も含め多くの人々が、安住の地なき難民と化しているのは事実だ。
殿下はもしかすると、御身が仰った「自身が政の矢面に立つ」ことの、第一歩と位置づけられているのかもしれぬ。

「私は即刻御止め頂きたいと思っているのですが……」

 悲しげにかぶりを振る古狸。本心は何だ?

「中将閣下、閣下のお考えとは?」

「知れたこと。難民キャンプなどという賤地に殿下がお出ましになるなどと。それにあの地にもし殿下の御身を狙う逆徒が現れたらどうなると思われますかな?」

「……それは、殿下の護衛を務める斯衛兵が万全を期すでしょう」

「物事に絶対などございません。例え殿下の御身が守られたとしても、罪のない臣民が巻き込まれることでしょう。
 それに……逆徒は外にだけいるとは限りますまい? あの反乱部隊のように」

「……中将閣下は、斯衛兵の中にも謀反を企む者がいるとお考えでございましょうか?」

 ――謀反を起こしたいのは、貴様のほうであろうに。

「いやいや、私は心配なのです。どうやら私の部下の中にも、あの反乱軍共に共感した馬鹿者がいるようでしてなあ。
 そんな愚かな私の部下を始めとする一部の馬鹿者が、早まったことをしないとも限りませんでなあ。愚かな私の部下が」

「中将閣下の配下の者に限って、そのよう……」

 先ほどの私のように、『私の』をことさらに強調した喋り方――

「――ッ!?」

 ――まさか!?
この古狸、まさか自分の部下を使って殿下に何か危害を及ぼすつもりなのか!?

「おや、どうしました中尉? 顔色がよろしくないですなあ。体調にはお気をつけなされ?
おお、長話が過ぎましたな。そろそろ中尉は出立ですかな? 自らの職務を全うする為に、殿下とは遠く離れた横浜基地へ」

 ――狸は更に言葉を強めていく。
『殿下の御身が心配か? ならばここに残れ、私の傘下に加われ』つまりこう言いたいのだ。
私に情報の支援などと、とんでもない。最初からこの古狸の主張は変わっていないのだ。
――古狸め、ここまで腐っていたとは……!

「護堂中将閣下、何故このようなところに?」

「むっ……?」

 今度は凛とした、雅な語気の言葉が響いた。私は視線をドアの方にやる。中将は後ろを振り返る。

「斉御司大佐!」

 ――斉御司騎将大佐。五摂家の一角を担う斉御司家を纏め上げる存在であり、蒼き武御雷を駆り斯衛の指揮官を務める将。
現れたのは、そんな勇将であった。即座に敬礼で大佐を迎え、それを見た大佐も軽く会釈を下さった。

「斉御司大佐、貴殿こそ何故?」

 古狸が急に厳かな口ぶりになる。

「中将閣下がお越しになられていると聞き、一言ご挨拶を申し上げようと思った次第であります。閣下、このような所におられてはお体に障りましょう。別室に席を設けますので、よろしければそちらへ」

「大佐の気遣い、ありがたく頂戴しよう。しかしそれは杞憂と言うもの。老いたとはいえこの護堂、心配には及ばぬよ」

 ……自分の気に入っているもの以外には、普通の口調を用いるのだな。
自分に向けられている敬意――要は劣情だ――を意識するとなんとも気分が悪い。
私を尻目に、中将と大佐は問答を続けている。

「時に大佐、殿下による難民キャンプ訪問に随伴するとか?」

「ええ、此度の護衛、我が隊が中心となりますので」

「誉れ高き斉御司大佐の部隊ともなれば、万一の事態は想像しなくて済むのう。私も安心してお供できるというものよ」

「お褒めに預か恐悦至極にございます。――閣下も、難民キャンプに?」

 大佐の眉が少し動く。

「いかにも」

「――閣下がご所望でしたれば、我が兵からも護衛を」

「心配せずとも、我が身は自分で――否、我が部下が守る故、大佐は心配せずともよい。……何か問題でも?」

「――いえ」

 来るな、とは階級から考えても、身分から考えても大佐の口から出る言葉ではない。
もし私と中将との会話を大佐が聞いていたとすれば、大佐としても何か思うところが生まれるのだろう。

「――む?」

 大佐が不意に視線をこちらに向ける。釣られて中将もこちらを見る。

「月詠、そなたも暇な身ではなかろう。中将閣下のお相手は私が勤める故、早急に横浜基地に戻るがよい」

「は、大佐」

 そうだ、斯衛にはこの方がいらっしゃる。きっと上手くお取り計らいになることだろう。
大佐の言葉に安心し、私は古狸と大佐に敬礼をする。

「月詠中尉、ただいまより任務に戻ります」

「武運長久を祈っておりますぞ、月詠中尉」

 会話、とはいえ殆ど脅迫だが――を中断されたのだ、古狸にとっては、大佐が邪魔者であったに違いない。どこか不満げな表情で、中将は私に別れを告げた。

「後のことなど、そなたが気に病むことではない。雑事は我々に万事任せ、そなたはそなたの任を果たすのだ」

 雑事、とは即ちこの狸のような外道の相手をすることだろう。
――大佐は心強い言葉をかけてくださった。私は再び敬礼を返し、そのまま部屋を出て格納庫に向かう。
早く横浜基地に戻ろう。今の私の任務は冥夜様の護衛なのだから。




















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■ マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜 

           第五話『勇往邁進』

        From "MUVLUV ALTERNATIVE"
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12月17日 07:00 帝都 帝国情報省内第一病棟



「改めまして、剛田城二です」

「どうも、白銀武です」

 入院させられてから、早二週間。
三度目の正直か、やっと剛田と落ち着いて話せるようになった。本人の話によれば、病棟の電気がつく前から張り込んで待っていたらしい。

「なんつーか……苦労かけてごめん、えと……剛田」

「いや……俺もノックしなかったり悪かった。それと俺のことは城二でいい。というか、城二にしてくれ」

 こいつも、自分の呼び方を指定してくるのか。……まぁ、女の子より気楽でいいけど。

「じゃあ、俺も武で」

 そのつもりだ、といった具合に城二は頷く。持ってきた鞄から色々な書類を取り出して、俺に手渡す。

「これ、お前が寝てた間の新聞と、帝国軍、斯衛軍それぞれの軍規な。とりあえず眼を通して、なんかあったら聞いてくれ。わかる範囲で答える。
 あと先に軍規読んどけよ。こっちのは国連のより厳しいらしいからな。俺は国連の軍規知らん、というより読んだことないからわからんが」

 城二に礼を言って書類を受け取り、言われたとおり軍規を読み始める。
なるほど確かに、こっちの軍の規律は国連のものと比べて厳しい。特に風俗面。
多分、国連がある程度認めることによって衛士の士気を保っているのに対し、帝国はむしろしっかりと律することで士気を維持しているんだろう。

「――へえ、フリーセックスじゃないのか、こっち」

「フ、フリーセックスだぁ? 国連そんなに緩いのか? 男女の性が乱れるぞけしからん」

 城二はかなり驚いているようだ。……そんなにいけないことなんだろうか?

「いやでも別におおっぴらにどうこうってわけじゃないぞ、念のため」

 変に勘違いされても嫌なので、ちゃんと修正しておく。『元いた世界』の剛田城二は思い込みがひどかったからなぁ……。

「しかしフリーセックス……まさか茜さんも……いや、そんなはずはない、あの方がそんなであるわけはない。よし、そうだ。そうに決まっている」

 なんか妙な独り言を言ってる。こっちの世界では会ってないが、涼宮茜も国連にいるわけだから、こいつはその辺を心配してるんだろう。

「――大丈夫か?」

「すまん、少し取り乱した。もう大丈夫だ。――ところで、新聞は読まないのか?」

「いや読むよ。ただもう少し軍規の方に眼を通しておかないと……規律を乱すのも嫌だしさ」

「割と律儀だな。まぁ俺がカバーするから心配ないと思うが。……ああ後これ、こっちの鞄に簡単な私服いくつかと斯衛の制服が入ってる。私服は俺様のセンスでチョイス」

「……はは、期待しないでおくよ。しかしなんか照れるな、斯衛の制服って言われると」

「俺最後に制服着たのいつだったっけかなあ……」

 そのまましばらく軍規を読んで幾つか城二に質問をし、ある程度頭に入れた上で今度は新聞を読み始めた。
ここんとこ入ってきた外の情報と言えば、殿下の誕生祝いがあったことくらいだからな……。しかも看護婦さんの世間話だからな、フィルタがかかってたかもしれないし。

「ん……?」

 読み進めていくうちに、ちょっとした違和感を覚えた。
12月08日の新聞に、決起事件のことが述べられている。それは問題ない。
一面に「国を憂う烈士、殿下御自らの御説得により全員投降」の文字が躍っている。沙霧大尉は亡くなったが、生存者が全員投降した以上これも事実だから問題ない。
ただ、記事のどこを読んでも、米軍との交戦があった事や、決起部隊が即時降伏命令に従わなかったことが記述されていない。
――有り体に言えば、そう。あの事件が、美談になっているんだ。

「なあ、これ……」

 城二は自分で読んでいた書類から眼を離して俺の方を見る。新聞の日付を見て、ああやっぱりなと肩をすくめて見せた。

「ああ、そうだな。『国民感情』に配慮してるんだ。捏造っちゃ聞こえは悪いが……国民の不安を過剰に煽っても仕方なくてな。ある程度の脚色は眼を瞑ってくれ。
 それと、新聞にはそういう面があるから、疑問は胸にしまわず俺にぶつけろよ。自慢じゃないが、これでも情報省就きでね」

 本当なんだか冗談なんだか……。
でも考えてみれば、あの鎧衣課長の下で働いてるんだ。自分に許可されたレベル以上にもアクセスしていてもおかしくはない。
そのまま新聞の斜め読みを続ける。すると17日、即ち今日の分の一面に、殿下が大きく写っていた。

「殿下、お披露目の場で御志を民草に……か。なぁ城二、殿下は何を?」

「ああ、噛み砕いて言えば殿下は自分で政治の実権を握ることにしたわけだ。今までは旧家だの官僚政治だので上手くいってないところがあったから……
いや今もあるけどな。そういうのが今回の事件を引き起こしたと言っても差支えがないから、殿下は御心痛であらせられた。
 榊首相ら殺された人々には気の毒だが、決起事件を戒めとして、御自ら矢面に立つことを宣言なされたというわけだ」

 ……榊首相。委員長の親父さんか。委員長、立ち直れたかな? あいつのことだから、無理にでも体面作って誤魔化してるんだろうけど。

「ん? なんか言ったか?」

「いや、なんでもない。それより帝国にも、そういう政争みたいなのがあったのか? 俺はてっきり、この国は清廉潔白かと……」

 冥夜や月詠中尉の言動を見ていると、帝国にも膿があるってのは俄かには信じがたい。

「内政の腹黒さじゃアメリカに負けてないんじゃないかと俺は思うね。ただもう心配はいらん。これからの帝国の意思決定は殿下抜きではいかなくなるからな。
 これから相当慌しくなるぜ。それにしてもお前は面白い時期に来たよ」

 でも、箱根で鎧衣課長が言ってた事を考えるとそれも事実なんだろう。

「なあ、忙しくなるって、俺はこれから何をするんだ? まだ調子が完全ってわけじゃないが、今日明日あたりに退院らしいんだけど」

「良くぞ聞いてくれました、俺とお前はこれから情報省傘下の秘密部隊を結成するんだ。秘密部隊。どうだ、わくわくするだろ?
 ――冗談ともかく、行く場所は決まってる。鎧衣のおっさんが用意してくれた部屋があるんだ。風呂も寝る場所もある」

「へえ、随分いい待遇なんだな」

「ああ、でも任務は俺もわからん」

「……っておい、じゃどうすんだよ」

「つったって、指令を受け取る前におっさんが行方くらましたんだから仕方ないだろ。『何、心配はいらないよ』とか言ってたけどな。どうなるかね」

 そんな安直な……俺にはやることがあるんだぞ。
夕呼先生も、こんな状況下になんでわざわざ俺をこっちで働かせることを了承したんだ?

「そう難しい顔すんなよ武。俺だってお前がワケアリなのは重々承知してる。でもお前の上司がお前を帝国に連れて行くことに納得したんだ。もっと信用しろよ」

「そう……なんだよな」

 正直、夕呼先生や鎧衣課長の考えがわからない。でも城二の言うとおり、今俺が何をできるかと考えても答えは出てこない。
発言力を得るには……ここで働くのも手なのか?

「一応、渡すもんは渡したし……俺は一旦引き上げるな。午後また来る。その時に移動できるよう準備しといてくれ」

 ズボンをぱんぱんとはたいて城二が立ち上がる。……あれ、医者の許可なく退院していいのか?

「なあ、退院って手続きがあるんじゃないのか?」

「ああ、これから先生が来るよ。そこでちゃんと話聞けるから。じゃ、また後でな」

 手をひらひらと振って、城二は出て行った。
……あいつ俺のカルテも見てるのか? 退院時期がわかってるなんて。
しかし何をするかはっきりしてないってのは……どうなんだろうな。とりあえず夕呼先生と連絡がとれればいいんだけど。
207の皆も多分、俺が死んでないことは知らないだろうし。夕呼先生のことだからきっと伏せてるだろう。
――せめて安否だけでも伝えられればなあ。











12月17日 14:00 帝都 情報省第四資料室



 結局、あの後城二と入れ替わる感じで医者が来て、診察があった。顔の傷はそのままだけど、左手はギプスもとれてほとんど問題なく治った。あとは生活の中で自由に動かせるようになれ、と。
それで最後に退院の許可をくれた。というか、今日退院するのが決まっていたかのような口調だった。

「斯衛の制服……か」

 城ニが置いていった、斯衛の制服――しかし色は赤や白ではなく黒――に袖を通す。
まさか俺がこの制服を着る事になるなんて誰が想像しただろう。
これを着ている人間を、俺は四人しか知らない。そして、その四人にはまざまざとその覚悟……信念を見せ付けられた。
未だに拠所の定まらない俺なんかが同じ制服を身にまとうなんて、おこがましい気がしてならないけど……
しかし、既に前のこの世界の記憶のアドバンテージが通じなくなっている今、そんな感傷を気にして躊躇してなんかいられない。
出来る事をやりながら前に進まなくちゃいけないんだ。
向こうの世界の月詠さんが教えてくれたこと……人は努力してもチャンスを得られるかどうかは解からないが、与えられたチャンスを後の努力で生かすことはできる……多分、今がその時なんだ。
正直、現状の何がチャンスで何をすればいいのか、まだ全然わからないけど……
 その後最後の病院食を食べて、手早く荷物をまとめて城二を待った。そう時間がたつことなく城二も来て、二人で情報省の資料室へ向かった。
城二によれば、そこが俺達に与えられた部屋らしい。好待遇なんて考えちゃいないが、そこそこの期待を込めてドアを開けた。
――そこは……
「……きったねえ」

「……俺達にあてがわれる部屋だから粗末なもんだろうとは思ってたけどよ、まさかこれ程とは……」

 城二も困惑している。そりゃそうだろう。
とにかく汚い。なんたって汚い。本棚に置いてある資料は古ぼけて何が書いてあるのかいまいちわからないし、ホコリは堆積した挙句変色して地層みたいになってる。
部屋の中央に幾つか並べられた長机も脚が錆付いているし倒れているし、部屋の電灯は切れているどころか電球自体ない。

「ここで合ってるのか? 俺達の部屋って」

「第四資料室だからな、間違いない」

「……ここに住むのか。風呂って?」

 見た感じ、風呂やシャワーの類は見つからない。

「宿直用の部屋が奥にあるんだ。6畳くらいだったかな。尤も部屋の奥に進めるか疑問だが」

 床に二人分の足跡がついている。まるで雪原を踏んづけたみたいだ。

「うん、良かったな武。あっさり任務が見つかった」

「……いいけどさ。別に」

「では行くぞ、清掃開始!」

「イエス、サー」

 そうして俺と城二は目を合わせると、二人揃って魔城のような部屋へと乗り込んでいった。












12月17日 18:00 帝都 情報省第四資料室



 掃除を開始して、優に四時間。
部屋の汚れは想像以上に手強かった。実際男二人、掃除が手馴れているわけでもないので余計時間がかかってるのもあると思う。
それでもなんとか上手くやれている。左手の調子もまずまずだ。

「……机は後でまともなもんを持ってくればいいし、ここにあるのは片付けちまおう。」

 城二の言葉のとおりに俺は机を折りたたむ。背中がむずむずするような音を立てるが気にしてはいられない。
埃を払い邪魔な物をどかし、電灯をつけてやっと住めそうな環境になりつつある。

「ここまでやっちゃって言うのもなんだけど、勝手に片付けてよかったのか?」

「第四はほとんどおっさんの私室だったからな、誰も立ち入らないしいいんだろうよ。それに今時紙の資料を大事にすることもないだろ」

 ちょっと安直な気もするが、確かに城二の言うとおりだ。
「……これ配線が違ってるだけだな。赤と黄を入れ替えて……おお見ろ武、このテレビ見れるぜ。ビデオも生きてる。これで真夜中の自家発電も十分可能ってな」

「お前、さっき風紀がどうたらって言ってただろう」
 さっきから城二は部屋の隅にあったテレビをいじっていたが、どうやらまだ使えるらしい。これで休暇も退屈しないな、と機嫌がよさそうだ。

「ん……? おい武来いよ、デッキにビデオが入ってやがる。――もしかしたら鼻血ものの一品が入ってるかもしれない」

「最初っからそっちのジャンルって決め付けるなよ。資料映像だろ、常識的に考えて」

 一人楽しそうな城二の方に向かう。頑張って片付けたおかげで、足元に気を遣う必要ももうない。

「冗談だって。しかし何が出てくるかわからんからな、窓やドアは閉めよう。音が漏れても困る」

 手際よく戸締りをする城二。何があいつを駆り立てるんだろう。
机はまだないけど、テレビの前にソファを並べたのでそれに座る。ところどころ破れて中身が飛び出してるが、こういうのを直す技術は俺や城二にはないからな……。
まぁ、雑巾で拭いたらそこそこ綺麗になったしいいとしよう。

「準備完了、さぁ再生するんだ武!」

 そう言って、びし、と俺を指差す城二。腰に手を当てたりとやけにきっちりポーズを決めている。

「自分の方がデッキ近いだろ」

「そうでした」

 自分でガチャガチャとデッキをいじり、幾つかボタンを押して、俺の隣に座る。

「おい、近くないか」

「しょーがねーだろちっこいソファなんだから。それより始まるぞ」

 二人揃ってテレビを見つめる。しばらく黒い画面が続き、波が入る。

「……個人撮影か?」

「だからエロに結びつけるなよ」

「誰もエロなんて言ってないぞ」

「む……」

 テレビから目を離さずに問答を続ける。
急に真っ暗な画面が街並を映し出し、その中心に見覚えのある男性が現れた。


 ――任務ご苦労剛田城二、退院おめでとう白銀武。息災かね?――


 ビデオに現れたのは、11日以来姿を見せていない鎧衣課長だった。

「おい城二、これ……」

「鎧衣のオッサンじゃねえか、この街どこだ? ……後ろにあるの自由の女神か? まさか……」

 確かに後ろに映っているのはあのアメリカの自由の女神にしか見えない。
俺達があれこれ憶測を述べている間に、鎧衣課長は言葉を続ける。


 ――もしかしたら君達はこのビデオがムフフなものだと思っていたのかもしれないが、気の毒だったね。部屋の片付けはすんだかね?
 残念なことに今の私の居場所を教えることは出来ないが、君たちが次に何をすればよいのか教えてあげよう――


「居場所を教えることは出来ないっつったってこれアメリカだろ? あの人何をやってるんだ?」

 楽しんでやってるのか素なのか。秘密って言いながら全身全霊で主張してるぞ。

「静かにしろ、多分任務のこと話すつもりだぞ」

 さっきまでのおちゃらけはどこへやら、城二は急に真剣な顔つきになっている。俺もすぐモニタに視線を戻し、課長の言葉を待つ。


 ――退院日が17日だったね。恐らく日付は変わっていないと思うが、まずは斉御司騎将大佐に連絡を取りたまえ。
 何、心配は要らない。『八咫烏が、斉御司大佐に会いに来た』と伝えれば、すぐに取り次いでもらえるはずだ――


「やたがら……?」

「多分暗号だろう。それとも俺達用のコードか。実はあのオッサン、俺達が始めて顔をあわせた日から行方くらましてんだ。何してるかと思えば……。
 アメリカときたもんだ。驚いたよ。
 しかし俺達が本当に斉御司大佐に会えるのか? あの方は確か慰労訪問の護衛に就くはずだが……」


 ――そして彼から命を受けたまえ。きっと君達に良くしてくれるだろう。
 さて、短い連絡ではあったが私はそろそろ失礼する。機密保持のためこのテープは30秒後に爆発……しないから安心してくれていい。
 では、土産を期待していてくれたまえ――


 矢継ぎ早に言葉を続けて、ビデオは終わってしまった。城二は立ち上がるとビデオを巻き戻しにかかる。

「なあ、斉御司大佐って誰だ?」

 課長が言っていた人を、俺は知らない。

「斉御司騎将大佐。五摂家の一角、斉御司家の俊英だ。32歳独身で殿下の信頼も厚く有事の際は斯衛軍一個大隊を率いる権限を持ち生まれも育ちも優が付いて人柄もいい。
 平たく言えば斯衛のエリートだエリート。蒼の武御雷に乗ってる」

 城二はデッキをいじりながら応えた。

「きしょう? ……珍しい名前なんだな」

「公家なんてそんなもんだ。由緒を求めれば自ずと庶民とは違ってくる」

「へえ……。でも、そんな人に会えるのか俺達が?」

「だから俺もそれが心配なんだよ。さっきのオッサンの言葉を信じれば平気らしいけどな」

 巻き戻しが終わる。そのままもう一度再生が始まる。任務ご苦労剛田城二、とさっきと同じ調子で課長の言葉が聞こえてくる。
城二はメモを取り出して、何度も課長の言葉を繰り返しながら何か書き始めた。

「作業中悪いんだけどさ、いつ会いに行くんだ?」

「んあ、今の時間は……7時ちょい前か、微妙だな……でも行くだけ行ってみるか。駄目なら明日だ。
 俺これオッサンが言ってること書き写してるから、先にささっとシャワー浴びちまえ。埃っぽい体で行くわけにもいかんし」

「ああ、わかった。……石鹸とかあんの?」

「あー、そういう備品まで気が回らなかったな。どうも野郎だけだとそういうのはダメだな。斉御司大佐に会った後で補充しよう。今は我慢だ我慢」

 埃まみれの今だからこそ必要なんだけどな……。
俺は仕方なく奥の部屋――宿直用の施設が整っている――に向かった。



















12月17日 20:00 帝都 斉御司家本家 客間



 シャワーを浴びた後、俺と城二は城内省に行き、斉御司大佐の所在を尋ねた。
既に大佐の勤務時間は過ぎていて、帝都内にある斉御司本家に戻っているとのことだったので、俺と城二はそこを訪れた。
入り口や垣根からして物々しい、いかにも旧家といった感じの家で、チャイムを鳴らすのに少し躊躇いを感じたが――
応対に出た使用人に鎧衣課長の言葉を伝えると、あっさりと俺達を引き入れてくれた。
案内された客間には、既に斉御司大佐と思われる男性がいて、俺達を迎えてくれた。

「鎧衣殿から話は聞いている。そなた達の名は?」

「剛田城二少尉です。情報省二課、鎧衣の下で任務にあたっております」

「ほう、情報省就きの者か。――そのほうも同様か?」

 斉御司大佐が俺の方を見る。――なんというか、雅な言葉遣いに違和感を感じない人だ。
しかしどうしよう、俺は出自があまりはっきりしてない。

「ええと、私は白銀武くんれ――」

「大佐、私から説明します。彼は12.5事件の際に殿下の護送の任を仰せつかり、沙霧尚哉大尉の最期を見届けた男です。所属は国連となっています。
 名は白銀武。殿下と鎧衣課長、更に国連軍横浜基地指令の承認を得て、現在の待遇は斯衛軍少尉となっております」

「そなたが、あの――」

 大佐は眼を閉じ、何かを思っているようだった。
豪奢なソファが置いてあるが誰も座ったりはせず、木作り立派な机を挟んで、時間だけが過ぎていく。

「――白銀少尉」

 最初に沈黙を破ったのは、斉御司大佐だった。

「はい」

「顔の傷は、その時のものか」

「はい」

 大佐の眼が、俺をじっと見据える。射抜かれたみたいに、鋭い視線だ。

「私の口から言えたものではないのかもしれんが、白銀武、そなたの行い、真に大義であった。日本国民を代表して、そなたに感謝を」

「い、いや、そんな」

「そなたの働きは十二分に誇れるものだ。この先も、弛まず励むがよい」

「は、はい」

 大佐の言葉に、とっさに敬礼を返してしまう。大佐も頷き、俺から視線を離す。

「ところで大佐、我々は大佐のご命令に従えと言われているのですが」

 城二が話題を切り出す。大佐は再び頷き、

「明日、殿下は難民キャンプを訪問なされる。情報省就きであればそれは知っておろう。当然、斯衛兵は身辺警護に就く。私もその一人だが――」

 城二が言ってたとおりだ。殿下、何をする気なんだろう?

「剛田少尉、白銀少尉、そなたら『八咫烏』にも、煌武院悠陽殿下の難民キャンプ慰労訪問における護衛を命ずる。私の部下等と共に任務にあたれ」

「「はっ!」」

 二人で敬礼をする。
――なるほど、殿下の護衛。
……難民キャンプか。環境はあまり良くないと聞いたけど……あれ? ヤタガラスって何だ?

「大佐、ヤタガラスとは……?」

 敬礼をしたまま大佐に尋ねる。大佐はちょっと不思議そうな顔をして、

「そなたらの部隊名であろう? 鎧衣殿から聞いておらなんだか? 剛田城二少尉を隊長として以下少数の精鋭により構成され、殿下の意思を実行する秘匿部隊……。
 鎧衣殿曰く風当たりの強い任務に当たる為、しばしの助力を――と。私も及ばずながら手を貸そうと思った次第であるが」

「は、申し訳ありません大佐。その件に関しまして、私が白銀少尉に話す機会を掴めず……」

 城二が一歩前に出て弁明する。
――城二も知らなかったはずだろうし、多分俺を庇ってくれてるんだろう。
大佐は手を胸の辺りに掲げて一言、よい、と言い、続ける。

「明朝06:00に帝都基地第12ブリーフィングルームに集合せよ。詳細はそこで伝える。詳しい地図などは資料にまとめてある。持って帰るがよい」

 そう言って、大佐は机に置いてあった大きめの封筒を手に取り、城二に渡す。両手で受け取る城二。

「あまり時間がない故、戻って休むがよい。今日は大義であった」

「では、失礼致します」

 大佐のねぎらいを受け、俺と城二は一礼して部屋を後にする。廊下に出ると使用人がまた玄関口まで案内してくれた。
第四資料室に戻るまでの間、城二にフォローの礼を言い、八咫烏って部隊名は誰が考えたんだとか隊長がお前なのは納得行かないとか人員補充はあるのか等と話して――
ついでに生活用の備品の支給を受けておいた。これで清潔な生活もできそうだ。

















12月18日 07:10 帝都郊外 軍用車内



 あまり整備が行き届いているとはいえない道を、俺達は軍用車に乗って進んでいく。
目的地は難民キャンプ。場所は神奈川よりの地域にあるらしい。運転は城二、乗客は助手席に俺一人。運転はジャンケンで決めた。
06:00にブリーフィングルームに来いと斉御司大佐に言われていた俺達は、5分前行動、更に外様であることに配慮して15分前に部屋に到着した。
そしたらなんと自分達が最後だった。……正直、面食らった。こんなに早く集まってるなんて。
でも特に咎められるわけでもなく、順調にブリーフィングは進んだ。殿下のお言葉は特設会場が設けてあって、そこで行われるとか……
その後炊き出しが行われて、その間殿下は休憩し、改めてキャンプを見てまわるとか。
で、俺達は炊き出しの際の周辺警備につくことになったわけだ。
「斯衛ってさ、みんなあんな感じ?」

「何が?」

「いや、十分以上前に全員きっちり揃ってたじゃん」

 あんなに余裕を持って集合するものなのかどうかを、城二に尋ねてみた。

「……流石に、ありゃあ大佐の部隊だからだろ。生え抜きに良家出身に現場叩き上げの古株にとよりどりみどりだろうしな。上司がああだと気合入るんじゃないの」

 ――確かに、斯衛兵の中にも心がけの違いはあるのかもしれない。城二が言うには同じ階級でも機体の色は違ったりするらしいし。
励みになる反面、やる気がそがれたりしないかな? 斯衛になる人はそんなこと考えないか。

「なあ武、相伴に預かれると思うか?」

「何が?」

「炊き出しの食い物を俺たちも食えるかなってこった」

 ――さっき斯衛の人の心構えが普通と違うなんて考えたけど、斯衛にも馬鹿はいるみたいだ。例えば俺の隣。俺はちょっと投げやりに、

「……さあな」

「逆に考えりゃ、殿下の直衛が気合入ってなくてどうするよってこった」

「……話題が急に戻ったな。まぁ、そりゃそうだよな」

「今までは護衛にどこの部隊が就くかだってちょっとした政争になったもんだ。でも今回は殿下の御指名で斉御司大佐が選ばれてる。
 で、大佐が人選して、何の因果か俺たちもその末席に――という話。直衛じゃないけどな」

「でもそれは――ちょっとまずい面もあるんじゃないのか。俺みたいなどこぞの馬の骨が参加して、偉い人から反発とか」

 多分、名家旧家は俺みたいな奴を嫌うんじゃないだろうか。根拠はないけど、そんな気がする。

「だから風当たりが強いってオッサンが大佐に伝えてたろ。でも殿下の御命なんだから――っと」

 がたん、と車が揺れて城二の言葉が詰まる。

「岩かな? ちゃんと走ってるしパンクはしてなさそうだな。――で、殿下の御命なんだから反発は少ないってことさ」

「そう……なのか? お前、前に内政がドロドロだって」

「俺が少ないと言ったのは、『表立った』反発の話だ」

 ――なるほど。

「しばらくの間は、来るはずの物資が来ないとか、行く先々で爪弾きにされるとかがあると思う。それを考慮に入れないオッサンじゃあないだろうし、何か手が打たれるとは思うが」

「……それは結局、俺たちも派閥に入れられるってことなんじゃないのか?」

「殿下の御意思に従うんだから問題ねえよ。それにそういう派閥もじき崩されていくさ。実際もう崩し始めてるに違いない。そうでなきゃこんな催しが開かれるわけがない」

「なんでだ?」

「私腹肥やすのが大好きな一部のお偉いさんにとっちゃ民草が何人死のうと関係ないだろう。自分が死ぬまでに人類が滅ばなきゃいいんだ。
 快楽を貪れるだけ貪って自分が死んだ次の瞬間に世界が滅んでも問題ない、と。
 で、そのどうでもいい民衆の吹き溜まりに、自分の最高の後ろ盾であり権力を振りかざすのに丁度いい権威体、煌武院悠陽殿下が赴かれるなんて認めやしない。
 今まではそういう連中の横槍でこういうのはなかったんだ。もみ消されてきたから。それが殿下の強い御決意でこうなった。さっきも言ったが表立って殿下に刃向かえる奴なんていないんだからな」

「じゃあ、この慰労訪問に参加してる人達は、私欲じゃないもの……大義っつーの? で動いてるのか?」

 運転中だというのに城二は俺の顔を見て、プッと吹き出した。

「大義……大義か! いや悪い、お前もそういう言葉を出すんだな。俺はてっきり人類のためとかそういうのを言うもんだと思ってた。
 ちなみに質問の答えは半分正解。残念ながら私欲持ちの官僚もちゃんと来てる。敵対派閥や殿下の監視にな。流石に直衛レベルのところには宛がわれなかったらしいが。
 ああ喜べ、俺たちは炊き出しの人員整理やるけどな、その辺の警護はさっき話したお偉いさんの私兵と言っても差し支えのないような連中だぞ」

「人類のための戦いだって大義だろうよ」

「そりゃそうだ」

 再び車が少しぐらついた。また大きめの石でも踏んだか。
――確かに、俺は一国の義より人類の勝利のために動くだろう。具体的な手法を問われると弱いが――そういうのは見て取れるもんかな。
しかしそんな面倒臭い連中の近くで任務にあたるのか、あまり気が乗らないな。そんなことを言える立場じゃないけど。

「城二、俺が大義って言うキャラじゃないってのはどうして思ったんだ?」

「どう見ても日本人で、尚且つ帝国軍斯衛軍どちらでもない。ちょっと考えりゃ想像はつくだろ。合ってるかは別としてな」

「いや、外れてたらただの妄想じゃねーか」

「男の妄想なんて誰がするか」

「……そうだな」

 割と真剣だったはずの話が気がついたら軽口の応酬になっていた。こんなのは久しぶりだ、207には女の子しかいなかったし……
あの馬鹿だった剛田と、世界が違うとはいえ……こんな風に話すなんて。

「どうした、遠い目して」

「……いや、ちょっと昔のことを考えてた」

「そうか」

 深入りしないのはこっちの世界の人間の特徴だろうか。『元いた世界』なら、私でよければ相談に乗るよとか俺に話せとかそういう台詞がポンポン出てきたもんだけど……
そういうのがないのは、やっぱりひとりひとりが抱える問題がとても重いからだろう。

「考え事中悪いが、じき着くぞ」

 そう言われて車の窓から周囲を見渡すと、ちらほらと仮設住宅が見えた。
……確かに沙霧大尉の言ったとおり、環境はお世辞にも良いとは言えない。
進むごとに仮設住宅の数は増えていき、ある程度難民キャンプの奥に進んだところで、広場に出た。

「着いたぞ、今日はここで殿下による演説と慰労訪問だ」














12月18日 07:10 難民キャンプ 特設会場裏



 車を所定の位置に置いた後、斉御司大佐に呼び出された俺たちは、大佐がいるという特設会場――殿下用のお立ち台だ――の裏に来ていた。
屋台骨もしっかり作られていて、決起事件後に開催が決まった行事とはいえ、急ごしらえを感じることはない。

「表のほうはもう賑やかだな」

 城二がつぶやく。どうやら、既に観客席には難民達が集まりだしているらしい。
席のほうはパイプイスを結構多く用意したらしいが、それでも立ち見が出るだろう、と言われていた。
――つまりはそれほど難民が多くて、それほど殿下が慕われてるってことだ。

「で、斉御司大佐はどこだろう? 会場裏手と言ってもそこそこ広さあるよな、プレハブ借りて準備用の施設も拵えてあるみたいだし」

 俺たちを呼び出した人の姿が見えない。演説が始まる前に会っておかないと面倒なことになるだろうから、急がないと。

「周りの連中に聞くんだよ、斉御司大佐がどこにいるかご存知ですかってな」

「城二が聞いてくれよ、俺慣れてないし」

「お前な、お前は国連出身だから顔見知りがいないのは間違いないが、俺だって知らんやつばっかりだぞ。同じ軍だからって全員知ってるわけじゃねえ。
 別にビビるもんでもないだろ、俺とお前一人ずつ聞けばフェアだ。面倒だとか恥ずかしいとか言いっこなしでな」

「仕方ないな……」

 互いに別の方向に歩き出し、それぞれ適当に、その辺にいた人に聞くことにした。
俺はちょうど、振り返ったときに目が合った女性――黄色い制服だから俺より目上なのは間違いないけど階級がいまいちわからない――に声をかける。

「すみません、斉御司大佐がどちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」

「ええと……貴方は?」

「あ、失礼いたしました。自分は白銀少尉であります」

 身分証明書を提示しながら、俺は彼女に自分のことについて述べる。彼女はそれを確認してから、

「斉御司大佐はですね、今は殿下とお話になられています。……あそこの仮設住宅、見えますか?」

 相手方の物腰も丁寧だった。こりゃ助かる。大佐の居場所を知ってるってことは大佐の部下かな?
女性は、あっちの、と言ってこの会場裏より更に少し奥の住宅を指差す。

「あそこが殿下専用の控え室になってまして、大佐はそこに召喚されています。あちらで門兵に事情をお話して、待っているのが宜しいと思います」

「ご親切に、どうもありがとうございました」

 敬礼で礼を表す。どういたしまして、と女性も敬礼を返してくれる。しぐさが丁寧で感じのいい人だ。
向かっていた方向が別々だったので女性と別れ、周りをぐるっと見渡す。ええと城二は……

「あうっ」

 急に、後ろで何かうめき声みたいなものが聞こえた。何事かと思って振り向けば――

「いたたた……」

 さっきの女性が転んでいた。尻餅をついてしまったのか――しゃがみこんだままでいる。
俺は大丈夫ですか、と問いかけながら女性の前方に回りこみ、手を差し伸べ……うあ、これは……

 ――服は黄でも、中は黒なのか――

 しかしここは気づかない振り、見ていない振りをして手を差し伸べる。


「あ、ありがとうございます」

 俺の右手をわざわざ両手で掴んで、女性は立ち上がった。
どうやら見えていたことには全く気づいてないらしい。……ちょっと鈍い……のか?
少し砂埃の付いてしまった尻をはたきながら、何度もありがとうございましたと言いながら女性は今度こそ去っていった。
俺もそれをある程度見送ってから、城二がどの辺に行ったか探す。

「武、聞けたか? 俺のほうは聞けたぜ」

「うわっ!」

「なんだなんだビビりやがって」

 俺の後ろにいきなり現れた城二。……何考えてんだこの野郎、驚かせやがって。
改めて見てみると腕なんか組んで、俺はやったぞ、と得意げだ。

「あそこのプレハブだろ? 殿下とお話中ってんじゃ待つしかないよな」
 さっきの女性のことは伏せる。何を言い出すかわかったもんじゃないし。

「当然だ、割り込むのはおこがましいにも程がある。それと聞いた話だがあれはプレハブじゃないらしいぞ、見た目だけだ」

 ――割り込むのはおこがましい、か。こういうところの倫理観はしっかりしてるんだな。

「じゃあ、そこまで行って入り口のところで待てば良いな」

「そうしよう、大佐も俺たちを呼び出してる以上そんなに長く話をされるわけでもなかろうし」

 俺と城二はそのまま殿下の控え室へと歩を進める。近くて良かった。
近づいてみると、当然のことだが周りには身辺警護の兵がどっさりいて、身分を証明しない限りは入れてもらえそうにない。……っつか、身分証明があったって一般兵は門前払いだろう。
見たところこの住宅、仮設住宅っぽく作ってはあるけど、城二の言ったとおりこれだけなんか特別製だ。見た感じガラスは防弾、壁材も分厚そう――護衛用に新築されてるな、これだけ。
とりあえず控え室――控え『住宅』のほうが正しい――入り口に行き、いかにも護衛ですといった感じの男性に声をかける。

「失礼致します」

「階級、所属、氏名並びに用件を述べよ」

 出たよもの凄い業務態度。しかも抱えた銃の引き金に指かかってるよ。同じ斯衛の制服着てるのに。
――仕方のないこととはいえ、やっぱり気分は良くないな。……そういや横浜基地の門兵の伍長もこんな感じだった。
門兵の態度を見て、城二がさっと前に出てくる。こういうのは任せろと言わんばかりに。――折角だし好意に甘えよう。

「剛田城二少尉並びに白銀武少尉、斉御司騎将大佐の召喚により参上いたしました」

 言い終わった後に階級証を提示する。一呼吸遅れて俺もそれに習う。八咫烏の名を伏せたのはやっぱり秘匿だからか?
護衛の男性はそれを眺め、写真と俺たちの顔を二三回見比べた後、

「剛田少尉と、白銀少尉、だな。斉御司大佐は今現在殿下に謁見中である。しばし待たれるが――」

「よい、通せ」

 急に門兵の後ろ、要は玄関口から男の人の声がした。この声は聞き覚えがある。すぐ玄関がガラガラと開き、声の主――やはり斉御司大佐だ――が姿を現す。
大佐の声に反応した門兵さんは振り返って、

「しかし斉御司大佐、よろしいので?」

「構わぬ、その者らには信が置ける。私が保証しよう」

「――大佐がそう仰せでしたれば」

 そう言って門兵さんはどいてくれた。――ちょっと訝しげな目つきをしてる。周りの警護の連中も怪訝そうだがこの際気にするまい。
どうせこれから日々こういう視線を浴びるんだろうから。

「参れ。殿下の御前に参上する故、御無礼の無きようにせよ」

 ――殿下のところに行く?
それを聞いた途端、城二の態度が輪をかけてきりっとする。

「11日に続き今日までも……! 俺は幸せ者だ」

 感動に打ち震えているようだ。殿下に会えるのが相当嬉しいらしい。
……ってか、俺みたいな心持でいるほうがおかしいんだな。多分。

「剛田、気持ちは理解できる。が、そういった態度を殿下の前で表すのは避けよ」

「了解いたしました、大佐」

 そのまま廊下を進みながら少し問答を続け、俺たちはドアの前にたどり着く。やはりここにも護衛の兵が二人、銃を抱えて立っている。
引き金に指をかけてないのは大佐と一緒だからだろう。そういえばこの人達、月詠中尉と服の色が同じだな。
大佐が護衛の二人に声をかけ、そのうち一人がドア越しに殿下に声をかける。

「殿下、斉御司大佐がお戻りです」

「通すがよい」

 すぐに殿下の声が返ってくる。大佐はそれを確認すると護衛に軽く会釈して、

「失礼致します」

 と言って殿下がいる部屋に入っていく。それに俺たちも続く。
ドアの敷居をちらっと見たが5センチ以上あった。木製に見えるが、多分板張りの金属だろう。
入った部屋はやはり殿下専用なのだろう、結構豪奢が飾りが施してある。赤いじゅうたんも敷いてあるし、椅子とか置物もいい物そうだ。
長方形の机が中央にあり、奥のほう――多分、上座ってやつだろう――に殿下が座っていた。
殿下の位置が、ドアを開けた位置からじゃすぐには見えないようになっているのは防衛上の理由だろう。
大佐は一礼した後に、殿下の右脇まで歩いていってにピシっと立ち、殿下の言葉を受けた。

「斉御司、用とやらは済みまし――」

 ――が言葉が途中で止まった。
なんだ? 何かまずったのかな、俺。

「――しろがね……?」

「はっ」

 即座に返事を返す。殿下は自分に対して自分のあるがままの態度でいいと言ってくれたけど、こういう公の場面では駄目だ。そんなことくらい俺でもわかる。
城二も、別に自分の名前を呼ばれたわけでもないのに更に硬直する。殿下は俺から自分の隣にいる大佐に視線を戻し、

「斉御司が、呼んだのですか? ――白銀を」

 更に椅子から立ち上がり、再び大佐に尋ねる。
――なんか殿下変じゃないか? 俺の名前呼ぶのも何かぎこちなかったし。

「は、鎧衣殿より伝え聞くところによりますと、この者ら、特に白銀少尉は――」

 大佐の話を聞きながら殿下が再び俺の方に、なんだか不安げに視線を向ける。が、俺と目が合うとまたすいっと視線をそらせてしまう。――なぜ?
声をかけていいものか……でも今大佐が喋ってるしなあ。

「――という事でございまして、今後この者たちが殿下と顔を合わせる機会は増える事になると――」

 殿下は大佐の説明を聞きながらそれを数度繰り返すと、今度はそそっと、あくまでさりげない風で、大佐の影へと身を回り込ませていく。俺から身を隠すように。
大佐はそれに応じて、

「殿下、どうかなされましたか? お加減がすぐれないのでしたらば侍従の者をお呼び致しますが」

 うろたえることもなく振り返り――背後から俺たちの方をちらちらと伺っている殿下と向き合い、尋ねる。――なんか手馴れてるな。

「い、いえ。それには及びません。そうですね、その辺りの事は私も鎧衣から聞かされておりましたが――」

 殿下も何か言葉を返しているようだが、ぼそぼそとしていて途中からうまく聞き取れなくなった。
今はちょっと、とか、気まずい、とかなんか聞こえてくるが……何のことだろう。
大佐も何か感じたのだろうか、殿下と声のトーンをあわせてしまったために、俺たちには何も聞こえなくなってしまった。気をつけで待つ以外に打つ手が無い。
そのまましばらくその状態が続いたあと、大佐は何か苦笑するような顔をして俺たちへ向き直り、

「両名、呼び出しておいて済まぬが、今は下がるがよい」

 ――なぜ?

「大佐、我々は何かご無礼を犯しましたでしょうか!?」

 城二が急に声を上げる。多分殿下がああいう態度をとったのが自分のせいじゃないかと思ってるんだろう。
俺も必死に考えるが、なにがなんだかわからない。部屋を見渡しちゃいけなかったとか? ――そんなこたないよなあ。
大佐の表情からも、俺たちが何か粗相をしたかのような厳しさは伺えない。どちらかというと、妹のわがままを聞いてやる兄とかそんな感じだ。

「案ずるな、殿下御自身の問題であらせられる故、そなたらが気に病むことではない。それと、呼び出した件であるが――
 そなたらに当初与えた任の他に、殿下のお言葉を賜る会場の警邏も勤めさせようと思った次第である」

「了解いたしました、しかしどの辺りへ?」

「部屋を出て後、玄関口でしばし待つがよい。私もじき向かう」

 ――要するに俺たちが聞いてはいけないことを話すから出ろってことか? それじゃ仕方ないな。
でも、それなら出てけって言えば済む話だと思うんだけどなあ。
なんか、大佐の口調が柔らかいというか、俺らを気遣ってくれてるような感じがするんだけど……自惚れかなあ。とにかく、

「城二、出よう」

 俺のほうがドアに近い位置にいたので、先に動く。城二もそれに続く。
部屋を出る際にちらっと見えた殿下の顔は、怒っているというより……戸惑ってる? そんな感じだった。
大佐がなんかにこやかだったのもちょっと気になったが、多分俺が口を挟む問題じゃないんだろう。


















12月18日 08:20 難民キャンプ 特設会場外周



 ――しかるに、日本が抱えた諸問題の――


 結局あの後20分くらいで大佐は戻り、俺らの警備場所を教えてくれた。
俺たちは小銃を抱えて、会場を囲った柵の外をぐるぐると周ることになった。なので、殿下の話は聞こえてくるが会場の様子というものはいまいちわからない。
城二と何か話そうかとも思ったが、真剣に聞き入っていたりする連中を見るとそんな状況ではないと意識させられた。
なので殿下の演説を聞きつつ、ぐるぐると警邏を続けている。


 ――私の不徳故に、国民の皆様、特にあなた方へ要らぬ心労を掛けてしまったこと、慙愧に耐えません。このことはいくらお詫びを申し上げたところで償うことはできないでしょう。
 日本を変えるべく立ち上がった者たち、また日本のためにBETAと戦い散っていった者たち……九段桜の守り人となった彼らの挺身もまた、世が世であれば避けられたもの。
 しかし、身の不幸を嘆いてばかりではいられないのが、私たちの『世』なのです。
 今、私たちを取り巻く状況は、あまりに厳しいものとなっています。
 我らが国土、佐渡ヶ島にもBETAの魔の手が伸びて久しい様に……戦況は日を追って悪化し、遺体無き棺ばかりが増えていく。
 あなた方の中にも、最愛の我が子を戦争で失った方はいらっしゃるでしょう。
 私が政の矢面に立ったところで、彼らが戻ってくるわけではありません。私が国の船頭に立ったところで、即時BETAを我が国から、そして地球から叩き出すことが叶うわけでもありません――


 殿下の演説が聞こえてくる。それは殿下の心の叫びでもあるんだろう、ところどころ言葉に詰まったりもするが、とにかく激しく心を打つ。


 ――ですが、出来ぬゆえ立たぬ、では我が国は遠からず滅びます。私は、否、我々は、立ち上がらなければならないのです。
 壇上から、これ以上なく劣悪な環境での生活を強いられているあなた方にこの様なことを申し上げるというのは、滑稽に映るやもしれません。
 忍耐と我慢を強いるばかりで、いつ解き放たれるのか、と問う声もありましょう。私たちは、その『いつか』のために戦わなければならないのです。
 どうか皆様、この煌武院悠陽と共に……今しばらくの苦難を耐えていただけないでしょうか――

 

 どよめきと共に、盛大な拍手が聞こえてくる。
多分、殿下が頭を下げたとかそんな感じだろう。決起事件の時もざわついたし。


 ――本当に、本当に申し訳ありません――


 横目で城二を見ると、少し涙ぐんでいる。


 ――戦地と、銃後の違いはあれど――


 鳴り響いていた拍手も少しずつおさまり、演説が再開される。


 ――私は、国民の皆様の心が一つであると、そして世界の人々の心もまた、一つになれるのだと、そう信じております。
 先達が支えた昨日を、我らが子孫の明日に繋げるため、そして日本を護るため……
 天地と神明に、私は戦いを誓います。
 皆様、煌武院悠陽と共に……歩んでいただけますでしょうか――



 また拍手。更にすごい歓声。しかもさっきより盛大だ。
難民キャンプの人々に、殿下の意思は伝わったと思っていいんだろう。
警護の連中も声を上げてる……殿下直々に奮い立てと言われたんだから、当然か。
悠陽様ー、とか、殿下ー、といった声が口々に聞こえてくる。正に大歓声……声で会場が揺れてるみたいだ。


 ――難民の方々を対象として、この後炊き出しが行われます。軍人の誘導に従い、移動してください――


 殿下とは別の人の声――多分司会の人だ――が聞こえてくる。どうも殿下は壇上を降りたみたいだな。
となると俺たちの仕事も炊き出しの現場に移動か。

「おい城二、聞いたな?」

「おう、いつでも行ける」

 ずず、と鼻をすする城二。目元もちょっと赤い。
こんなとこで何泣いてんだ、なんて言うほど俺も馬鹿じゃない……つーか、周りをみると号泣してる兵とかいるしな。見た感じ俺たちよりだいぶ年いってそうな人でも。
――そんなに殿下の言葉は重いのか。
俺の病室を訪ねてきた殿下は、そんな感じとは違った……なんというか、うまく言えない……普通の女の子のような気がしたんだけど。

「おい、難しい顔してないでさっさと行こうぜ」

 城二の声に反応して顔をあげると、既に俺より前のほうにいた。さっきまで並んで歩いてたのに。
殿下のこと考えてたら歩幅が狭くなったかな?
こんなことは城二に話せないな……絶対にまたなんか誤解するだろうし。

「ああ、行くよ」

 ちょっと駆け足で城二に並ぶ。小銃が揺れて音をたてる。
演説用の特設会場出口からは既に難民の人達が誘導されて移動を始めていた。見た感じ爺さん婆さんが多いか……?

「あ、誘導はじまってんじゃねーか。武、さっさと行こうぜ。俺たちは豚汁のとこだ」

 おう、と応えて俺はまた走り出す。俺に続いて城二も駆け足になる。
目的地に近づくにつれ、だんだんと食い物の匂いが強くなっていく。なんとなく腹減ったなあ、と思いながら俺たちは走った。















12月18日 11:30 難民キャンプ 広場 炊き出し会場



 演説が終わった後、俺たちは予定通り炊き出しの……豚汁の区画の警備に就いた。
無用な混乱を避けるためということでかなりがちがちと列を作り、難民の人に並んでもらったせいか……だいぶ時間がたってしまった。
別に暴動とかが起きることも無いだろうが……殿下がいる以上、念のためってことか。
――こうやって行列を見てると、『元いた世界』で行った遊園地を思い出すな。
……確か純夏と行ったんだったかな。そうだ。間違いない思い出した。あいつ、お化け屋敷ですげえビビってたんだ。

「なんか言ったか?」

「――いいや」

 どうも独り言が城二の耳に入ったらしい。いちいち遊園地について説明するのもしんどいし、前の世界とか言っても信じてくれないだろうからスルーだ。

「しかし本当に爺さん婆さんが多いな」

「若けりゃ軍に入るし、身寄りがあれば難民になんかならないさ」

 ――なるほど、城二の言うとおりだ。

「となると俺は老後難民になるのかな」

「いやあ、俺もお前も戦場で、ってやつだろうよ」

 戦場で、の続きは察しはつく……けど言わない方がいいだろう。縁起が悪いからな。

「しかしあれだな、この分だと俺たちが食う分は無いぜ」

 車の中で話してたけど、城二は何か食いたそうだったからなあ。

「馬鹿かお前、今日の食事は難民の方々のためのものだ」

 さっきと言ってることが違う。この野郎……。

「お前車ん中で相伴がどうのって言ってたじゃねえか!」

「黙秘権を行使」

「あのなあ……」

 ……なんて野郎だ。
で、豚汁やお握りと受け取った人達は、自分にあてがわれた仮設住宅に戻ってもらい、そこで食べてもらうらしい。
その辺でご自由に……とすると、混んでしまうからかな。
とにかく少しずつではあるけど料理は行き渡っていく。そこかしこで「ありがたやありがたや」とか「殿下の御慈悲じゃのう」なんて声も聞こえてくる。
俺は行列をぐるりと見渡してから、

「喜んでもらえてるらしいな」

「そりゃあな、日々の暮らしの心細さに加えてこないだの決起事件と不安続きだったろうし……
 お上が自分らを見捨てていないって証明しに来たんだから、気分も明るくなるさ。ついでに飯付きとなれば気分は極楽浄土、ってね」

 城二の言い方はちょっと極端な気もするが、殿下本人が来た以上……この世界の日本人の国民性を考えれば、あながち大袈裟ではないのかもしれない。
少し後列のほうでも見に行かないか、と城二に声をかけようとしたその時、
――列に並んだ人達の話し声とは別の、俄かにざわついた感じの声が聞こえてきた。

「――なんか妙だな」

 列の後ろのほうがざわついている。どうやら何か起きているらしい。

「おい武、今一番近いのは俺らだ、様子を見に行くぞ」

 同じく異変に気づいたらしい城二の声に、おう、と応えて小走りで声の上がったほうへ向かう。
順番争いの小競り合い程度なら問題ないが、何かあっては事だ。
列の後尾、というよりは列がなくなるあたりまでたどり着くと、喧嘩やにらみ合いではなく、何故か土下座している人達。
土下座した難民たちは何かを囲うように円を作っていた。その中心にいたのは……

「おい、あれ殿下じゃ」

「――殿下!」

 殿下じゃないか、と城二が言い切るより前に、俺は殿下のほうに向かっていた。
地べたに正座したままの爺さん婆さんをうまく避け、殿下のほうへ。……一体、何を考えてるんだ!?

「し、白銀」

「殿下! どうしてこんなところに!? 護衛の人達はどうしたんです!?」

 殿下は演説の時のような礼服ではなく、決起事件のときと同じあの私服だった。

「白銀、よいのです。今は下がりなさい」

 肩を掴めるくらいの距離で問答を続ける。俺はまだ食い下がって、

「でも……!」

「白銀、私は壇上からではなく、皆様と同じ目線で物事を語りたかっただけのこと。それを果たせぬうちは帝都に戻ることなどできません。さあ」

 そう言って、殿下はずい、と前に出る。しゃがみこみ、一番近くにいた婆さんの手をとって、

「お顔をお上げください。あなたが私に頭を下げる理由などないのですから……」

 ――同じじゃないか。
『前のこの世界』で、冥夜が天元山の婆さんにとった行動と、同じじゃないか。
――殿下は、俺が切った『選択』を拾っているんだ。あの時の冥夜と同じように。

「め、滅相もございません!」

 殿下の言葉を聞いても、婆さんは頭を下げたままだ。
再び殿下がお顔をお上げくださいと声をかけ、それでやっと婆さんが顔を上げた。

「――あ」

 思わず声が漏れてしまった。
――だって。その婆さんは、天元山の……
あの時の婆さん、その人だったんだから。
――俺が、世界を救うために、仕方のない犠牲だと切った、あの婆さんだったんだ。

「お婆様、申し訳ございません、私が若輩であるばかりに、先の大戦でさえ苦労をかけたあなた方に……」

 殿下は婆さんを抱きしめ、何かつぶやいている。……俺は、殿下と婆さんを直視できなかった。
自信を持って、世界の為に切った選択肢のはずだった。
それなのに、今こうして婆さんの顔を見ただけで……どうしようもなく胸を締め付けられるなんて。
 しばらくして殿下は婆さんを離し、今度は隣の爺さんに声をかけ始めた。その次は隣の爺さん、その更に隣の婆さん……少しずつ移動しながら。
近くにいた人から、一人一人話しかけていくつもりなんだ。
 ――迷わないんじゃなかったのか? 殿下と約束もしたんじゃなかったのか!?
俺は、顔見知りの人間が虐げられた生活を送っているのを見ただけで、固めたはずの決意が、こんなにも……、こんなにも揺らぐのか!?

「ああ殿下、私らのような者にまで……!」

「殿下、ご心配なさらないでください、わしら年寄りはもう死ぬだけですけんの」

 爺さん婆さんは口々に殿下への謝意や尊敬、崇拝を口にする。殿下も手を握り返し、言葉を紡いでいく。
その言葉は慈しみ深く、丁寧で、優しくて――
そして、どうしようもないくらいに、俺の胸を突き刺す。

「皆様には、本当に苦労をかけてしまって……」

 殿下はひたすら腰を低くして、慈愛をもって応えている。その姿は国を背負う人間にはとても見えないのかもしれないけど……
何か見るものに威厳を感じさせる、何かを発しているようだった。
――これが、殿下の戦いなのか。俺と『おそろい』だと言った、殿下の。
だとしたら、やはり殿下は冥夜と同じく……すごい人なんだ。俺なんかには想像もつかない苦労を背負っているに違いない。

「武」

 急に後ろから肩を掴まれて振り向くと、

「……なんだお前、苦虫噛み潰したような顔しやがって。それより殿下に進言しろ」

 いやに真面目そうな城二の声。

「――何をだよ」

「――あのな、こんなとこに殿下が御一人でいらっしゃったなんて割れたら問題になるんだよ。わかるだろ? お前が今なんか悩んでたのは察するが後にしとけ。
 俺が申し上げるよりお前のほうが適任なんだ、殿下の御志はお察し申し上げるに余りあるがな、これは不味いんだよ。格好のネタになっちまう。
 俺は他の警備の連中の様子を見て、可能な限り時間を稼ぐ」

 そう言って城二は周りを見渡しながら離れていく。
城二の言うとおりだ。さっきは殿下に気圧されてしまったけど……いつまでもというわけにもいかないだろう。

「……わかったよ」

 城二の言葉通り、俺は殿下に近づいていく。途中にあの婆さんがいて、

「ああ兵隊さん、頑張って下せえ……」

 ――俺に、手を合わせた。
俺は……手を合わせられるような兵じゃない。感謝されるような人じゃないのに。
気の利いたことも言えず、あの時のことを話せるわけもなく……ただ会釈するしかなかった。
俺はこの婆さんを『前のこの世界』では戦術機を二つ犠牲にしてまで救おうとしていた。今回のこの世界では、悩んだにせよ、切った。
何が俺をそこまで駆り立ててるんだ? 「世界を救う」ため? じゃあこの現状はどうだ? 結果発生したクーデターで、国家間の軋轢は余計増えたんじゃないのか?
 俺が『前のこの世界』で見た、この年老いた弱い婆さんを、一人の人間を見捨てるに足る『何か』――どうして、どうして思い出せない!?
頭を抱えてうずくまってしまいたい衝動をなんとか押さえつけてそのまま歩き、殿下の後ろにたどり着く。

「……殿下、申し訳ありませんが、そろそろ……」

「白銀、私を見てはなりません」

「え――?」

 何を言ってるんだ? と思って殿下の肩に手をかけると……俺の目に飛び込んできたのは、涙をたたえた殿下。
――なぜ、とか、どうして、とか、そういう言葉は出てこなかった。
きっとこの涙には、相当色んな意味が含められてるんだ。直感的に、そう感じ取った。

「見てはなりません、と、言ったのに」

 次第に殿下の声がすすり泣くような感じになっていく。まずい、このままじゃ……!
俺は慌てて胸、ズボンとポケットの中身を手当たり次第にまさぐる。

「――あった!」

 胸ポケットにハンカチが入っていた。給付された備品をそのまま持ってきてて良かった、普段の俺ならハンカチなんて忘れかねない。
どうぞ、と殿下にハンカチを渡す。周りの爺さん婆さんの目も気になるが……この場合どうするのが最善なんだ。俺にはこんなことしかできないぞ。

「――ありがとう、白銀」

 ――あれ、感謝を、じゃないんだ……?

「いえ、そんな……」

「そなたには――」

「武急げ、面倒なのが来たぞ!」

 後ろのほうから城二の、次いで「何をしている!」とかそういう声。
おそらくこの騒ぎ……というか妙な土下座集団を見て厄介事を感じ取ったんだろう。そりゃあそうだ。俺が警備だったとしても見逃せるもんじゃない。
――だからこそ、お忍びで出てきた殿下を見つけさせるわけにはいかない。でも、

「急げっつったって、どうする?」

 実際どうしたらいいもんかがちょっとわからない。すぐに城二が俺たちの目の前に来て、

「こっちに向かってるのは膿の日本代表護堂中将の私兵みたいな連中だ、あれの目に殿下が留まると面倒だぞ。直衛を任された斉御司大佐にも追求がいっちまう」

 殿下は洋服だから走れるか……? でも女の子の足じゃ……いや、そんなことを言ってる場合でもない……!

「……ええい仕方ない、殿下、失礼します!」

「きゃっ!?」

 やましい思いは一切なく、俺は突発的に殿下を抱き上げた。お姫様抱っこ、というやつだ。
周りの爺さんや婆さんから驚きの声が上がる。連中から見りゃ不敬もいいとこだろうから当然だろう。でも時間がない!

「俺は爺さん婆さんを解散させて事情を説明する! お前は走れ! とにかく殿下のお控え所まで! できるだけ人目に触れんなよ!」

 城二の叫びを背中に受けて俺は走り出す。抱えあげた殿下の体はとても軽くて、柔らかくて、暖かい。
――ってか、俺の胸にむにゅむにゅしたものが当たってる……。一歩一歩踏み込むたびに、それは柔軟に形を変え、いろいろな弾力を――
いかん、そんなことを考えている余裕はない! しかも飛び出したはいいが、どっちへ行けば城二の言ったダメな兵士のいないところへ行けるんだ?

「ああもう……! どこへ行けば!」

「白銀、あちらです」

 胸が当たってることを意識してから、なんか殿下の顔を見るのが気恥ずかしい。しかもだんだん右手で支えてる太ももの柔らかさまで気になってきた。
俺に抱えられた殿下は、あっち、と顔を向けて顎で方向を示す。殿下にしては品の無い動作かもしれないが、両手は俺の服をしっかと握っているから仕方ない。
……でもあっちには割と兵がいた気がしたんだけど……。

「でも、殿下」

「大丈夫です、あちらに行くのです」

 殿下の声はやけに自信を含んでいる。……闇雲に行くより、従ったほうがいいか……!?

「わかりました、そっちへ行きますよ!」

 方向がはっきりしたほうが速度は出しやすい。殿下を落とさないようにしっかり抱え

「きゃ」

 しっかり抱えたら殿下がちょっと声を上げた。――ちくしょう、こんな加減なんてわかんねえ!

「す、すいません、痛かったですか?」

「……いえ」

 そう言って殿下は俺の胸のほうに顔を向けてしまう。……とにかく、痛くなかったならなによりだ。

「全力で走りますんで、自分でも気をつけますけど、殿下も気をつけて下さい」

 既に走ってるわけだから、なんか間抜けな注意だよなあ……と思いつつ、殿下に了解を求める。

「よしなに」

 殿下の肯定を受けて、俺は走り出す。
息は切れるが仕方ない、立ち止まるわけにも行かないし。ちょっと我慢だ。
しかし何故か、すれ違う兵隊さんが俺と殿下に対して制止する気配を見せない。一人二人三人とすれ違ったが、一様に俺たちを眺めるだけだ。
普通、静止させるんじゃないか? そりゃ追跡がないに越したことはないけど、最悪の場合尋問や営倉も覚悟した身としては、なんか不安だぞ。

「……ふぅ、はぁ、……妙だな」

「ですから、こちらに向かうよう言ったのです」

「……ええと、殿下、すいません、よくわかりません」

「白銀、このあたりでよいでしょう、下ろしてください」

「は、はぁ……」

 さっきの場所からある程度離れたのと、周りの状況が変なのとが相まったので、俺は殿下を下ろした。――はなれていく柔らかい感触を惜しみつつ。

「よいしょ」

 殿下は俺からちょっと離れると、服をぱしぱしとはたいてから振り返って、俺に向き合う。
なびいた髪が、冥夜のそれとそっくりだった。

「白銀には、また苦労をかけてしまいましたね」

 どうも殿下は冥夜と同じく、自分より先にまず周りを気にかけるようだ。辛かったのは殿下も同じだろうに。

「いや、そんな」

「そなたの言葉を借りれば、白銀、そなたは『すごい人』ですね。あの行動力……私も見習いたいものです」

 ――ぐ。
殿下をいきなり抱えあげたことを言ってるんだろうか。

「でもあれは不可抗力で――」

「そういうことを言っているのではありませんよ」

 俺の言葉を遮った殿下はくすくすと笑い、

「ところで白銀、そなた――私に声をかける前に、何か考えていませんでしたか」

 そう言って急に真面目な顔に戻った。
ハンカチを渡したときか? あの時殿下は泣いてたのに……見るとこは本当にしっかり見てるんだな。

「あれは、その……」

 天元山の婆さんのこと、どう話したらいいものか。顔見知りがいた、というのもなんか違うし……、ここで全部打ち明けるには時間がないし。

「殿下と話した、俺の戦いの根っこに近い部分がちょっと見えてたんです」

 ――結局、当たり障りのない言葉を返した。

「――そうですか」

 ちょっと腑に落ちないぞ、という感じで殿下は頷いた。
おそらく、俺がお茶を濁したことは殿下も察しただろう。でも殿下からの追求は無かった。

「私の推測ですが――」

 追求とはまた違う感じで、殿下が口を開いた。

「え?」

「きっと、あの時の私の涙とそなたの葛藤の根底にあるものは、同じであるような気がするのです」

「――かも、しれないです」

 真意は窺えないが、深い意味がある……そう考えれば、確かに同じものだ。

「白銀、それと――」

「――殿下! どちらにいらっしゃいますか!」

 殿下の声を掻き消して、俺の視線の先、殿下の後ろの方から野太いおっさんの声が響いた。
まだ姿は見えない。動くなら早くしなけりゃ――! 俺はあわてて殿下を引き寄せ、後ろに隠す。

「きゃっ」

 またしても殿下は小さく声を上げた。

「――白銀、そなたは少々強引ではありませんか?」

 背後から聞こえる殿下の抗議の声。……でも、あまり怒っている風には感じられない。

「す、すいません。とにかくここを離れましょう。必要な場合は申し訳ないですけどまたかつぐ、いや抱き、違うなああもう」

 また殿下のくすくす笑いが聞こえてくる。その間にも野太い声は近づいてくる。慌てる俺を尻目に殿下は楽しそうだ。

「白銀、案ずることはありません。あの声の主は松平――そなたに説明するには、そうですね、私の控え所の玄関口の番を勤めていた者です。
 斉御司が最も信頼する剛の者、私も信が置けます。後は松平に任せ、白銀は戻るのがよいでしょう」

「……殿下、それもっと早く言ってくれませんか」

 振り返って殿下と視線を合わせ、俺も抗議する。俺の眼を見た殿下は顎に人差し指をあてて、

「――、わたくしも、気づくまでに……時間、そう、時間を要したのです」

 ちょっと言葉がぎこちない。……俺が慌てる様を楽しんでた……のか?
――もしかして殿下、とぼけてるのか? いや、待て本当に気づいてなかったのかもしれないし……

「そういえば殿下、ハンカチを渡したときに俺に何か言いかけましたよね? あれは何だったんです? あと、控え所でのこととか……」

「それは秘密です、白銀」

「秘密……ですか。わかりました」

 何を言いたかったのかわからないのは残念だが、こんなとこで追求しても仕方がないだろう。

「これで、おあいこにしましょう」

「へ? ……何をですか?」

「――こちらの話です。それより白銀、松平を呼んでくれませんか。彼は少佐。松平少佐です」

 ――殿下が大きな声を出すよりは、俺が呼んだほうがいいのか。まぁ、そうだな。
俺が大声を出そうと、振り返って音を立てて吸い込んだ矢先、

「――それと」

 俺の服の背中を殿下が引っ張った。襟元が首をひっぱってむせてしまった。

「ゲホゴホ――な、なんですか」

「私、殿方にあのように抱き上げられたのは初めてです……」
 え――?

「そ、それだけです。松平の姿も見えましたし、私はこれにて」

 殿下はすたたと歩き出す。殿下を視線で追うと、確かにあの時の門兵さんがこっちへ向かってきている。殿下を視野に入れたのか、少し足取りが速くなったようだ。
殿下が近くによると片膝をついて礼を示している。――殿下が信が置けるって言ったんだし、もう心配ないか。

「――俺も、戻ろうかな」

 後は大した仕事は残ってないし、ささっと切り上げて城二と――

「あ!」

 やべえ、城二のことすっかり忘れてた! 急いで戻らなきゃ!
殿下を抱き上げて走った為に呼吸が乱れ、それが治った直後に俺はまた全速力でさっきの場所に戻る羽目になった。
――待ってろ、城二――!


















12月18日 19:30 帝都 情報省廊下



 流れの中でドサクサ紛れみたいに任官してしまい、なし崩し的に与えられた初任務に従事した一日が終ろうとしている。
慰労訪問はとりあえずは問題なく終わり、俺たちは帝国軍基地まで帰ってきた。
殿下の騒ぎのせいであの場での悩みはすっ飛んでしまったが、いざ時間に余裕ができると、あの婆さんのことばっかりが頭に浮かんでくる。
この世界での天元山噴火災害の時、近くにいなかったばあさんを俺は切り捨てる選択が出来た。
けど、クーデター事件の時、目の前にいる殿下に自ら手を下すことは出来なかった。そして今回、やはりあの婆さんを目の前にしたとき、俺の心は不様に揺れた。

 ―――自らの手を汚すことを、厭うてはならないのです―――

 クーデター事件の時の殿下の言葉が思い起こされる。あの時に覚悟は決めたはずなのに。
――結局、俺は自分の手を汚すことが怖い臆病者なんだろうか。

「午前中が慌しい日はさ、一日が長く感じるわけよ」

 自分たちの部屋――資料室に戻る途中の廊下を歩きながら、隣を歩く城ニが声をかけてきた。

「まぁ、今日は忙しかったのは確かだな……。決起事件の時に比べりゃどうってことないけど……」

「――そうか。お前はあの時、まだ訓練兵だってのに最前線だったんだっけか?」

 結果的に、だけどな。……いや、夕呼先生の読みで、はじめからそうなるはずだったんだろうけど。

「そういえば城ニ、俺と殿下が逃げた後どうやって場を収めたんだ?」

 ふと浮かんだ疑問を聞いてみる。
なんか、あの時やってきた連中が日本代表の合同でどうこうとか言ってたよな。
城二はそれがさあ、と肩をすくめ、

「傑作なことにな、他の兵が来ると同時に斉御司大佐が出てくるんだもんよ。万事問題ないこの斉御司が収める故退くがよい、っつって。
 大佐の命令にゃ逆らえないから兵は退くし斉御司大佐はジジババにも人気だしでなんの悶着もありゃしねえ。
 あの人最初っから殿下を見守ってたに違いないぜ。大方、殿下の御志を果たす為の策だったんだろう。つまり俺もお前も勝手に慌ててたってことになる」

「……あー、だからだったのか」

「何が?」

「いやさ、俺殿下を抱えて走ったろ。そしたら殿下が方向を指定してさ。どういうわけかそっちですれ違った兵隊が皆して俺たちをスルーすんの。普通止めるだろ? 要は斉御司大佐の部下だったんだな」

 それを聞いた城二は今度は大袈裟に肩をすくめて首を振り、

「あっほくさ! 俺らバカやっただけじゃねーか」

 と、割と大きい声でぼやいた。

「……俺、かなり必死で走ったんだぞ」

「んなこと言ったら俺だって周囲のジジババだけは守ろうと必死だったっつーの。よくよく考えりゃ大佐程の人が殿下をお一人で外に、なんてありえないんだな。俺もまだまだだって思ったね」

 ――なんか、疲労が倍になった気がする。
事前に殿下と引き合わせておきながら、俺たちに事の仔細を教えてくれなかったあたり……、斉御司大佐、話どおり大物なのかもしれない。

「不謹慎な話だけど……、ちょっとアホくさかったかね」

 思い切り伸びをする。事が済んでしまうと途端に疲労を感じるな……。

「んで武、お前俺が殿下に進言しろっつった時になんか妙な顔してたよな。なんかあったのか?」

「ああ、あれは……」

「俺は踏み込んでいい領域といけない領域はしっかり分けた上で付き合いたいと思ってるから、嫌なら話さなくて構わない。ただ気になったもんだからよ」

 ――殿下と同じだ。尋ねはするけど、強制はしない。

「……ちょっと、な。色々と揺れてた」

「――揺れた、か。ま、話したくなったらいつでも言ってくれ。隊員のメンタルケアは隊長である俺様の重要な任務だからよ」

「期待してるぜ、隊長殿」

 心遣いは嬉しいけど……話しても仕方ない、という気持ちがやっぱりある。いつか、機会があれば……。
――そうこうしてるうちに、自分達の部屋、第四資料室にたどり着いた。

「しかし、これからはどうなるんだ、これからは」

「さあな……また斉御司大佐から指示を受けるのかもしれないし、そうでないのかもしれ――」

 ――ガチャ。
城二は喋りながらドアを開け……なぜか黙ってしまった。

「どうかしたのか?」

「いや、なんとなく部屋の雰囲気が違わないか?」

 ――言われてみれば、確かに。
なんだろう、なんか……あ、匂いだ。長い間ほっとかれて染み付いた、換気してもなかなか取れないでいたカビ臭い部屋に、ほんのりと……なんだろう、こう、甘い……

「何の匂いだろ、これ。嫌な匂いじゃないけど」

「わからんが、誰かが来たんだろうな。こりゃ外部の匂いだ」

 城二はそう言って、部屋の家具なんかの配置を調べ始めた。多分何か盗られた物がないか確認してるんだろう。

「でもまあ、気にすることはないだろ。別に荒らされたわけでもなさそうだし。
 ――っつか、荒らしたところで昨日まで廃墟だったこの部屋から何も出るわきゃ無いしな。大方、お前の知り合いかなんかでも尋ねてきたんじゃないのか」

 誰か来るとすれば城二の知り合いだろう。ここには俺を尋ねてくるような知り合いはいないしな。
……いや、月詠中尉あたりなら様子を見に来てもおかしくないか?

「――それもそうか。まぁいいや、いい加減くたびれた」

 俺の言葉を受けて城二は物色をやめ、ぼやきながら首を回す。コキコキと骨のなる音がよく響く。

「そういうこと。とりあえず隊長さんは休んでてくれていいぜ。俺、お茶入れてくる」

「お、悪いな。頼むわ」

 すまん、と片手を上げて礼を言いながらソファに向う城ニに、こちらも手を上げて返して奥の宿直部屋へ向う。
毎回、一々奥の部屋にお茶入れに行くのも面倒だから、こっちへ持ってきておくか。お茶だけしかないのもなんだから、そのうちコーヒーモドキでも手に入れてこよう。
そして宿直部屋への扉を開けて――――俺は固まった。
部屋の中には女の子がいた。なぜか、すっぱだかで、頭を拭いている女の子が、いた。
タオルで頭をごしごしやってるから顔は見えないが、割とスタイルはいい……ってなに冷静に観察してんだ俺そんな場合じゃない!

「ふぅ、いいお湯だった。えーと着替え着替えっと――え」

 頭を拭き終えた女の子と目があった。……あれ? 君は……

「きゃっ! た、武!?」

 慌ててバスタオルで体を隠してしゃがみこむ女の子――伊隅あきら。
俺は急いで回れ右して後ろを向き、

「あ、あきら!? どうしてここに!?」

 後ろを向いたまま、おまけに強く目をつぶって問い掛ける。後ろ向いてるんだから目を瞑る意味なんかないのかも知れないけど、とにかくできるだけ情報をシャットダウン!

「そ、それはその……って! そんなことより! 見た!?」

 それはもう、子供っぽい印象とは裏腹に、何気に結構大きいとか――だがしかし、そんなことを口にすれば血を見るのは明らかだ!
任官して部隊結成早々、この部屋からKIA認定者を出すわけにはいかない。なんたって状況的にそのKIAは俺だし!

「いや! 大丈夫! ミエテナーイ!」

 なんだか口調がおかしくなったが、今は見えてないので嘘じゃない! 夕呼先生直伝の口八丁! 伝授されたつもりはないけど!

「ほんとに!?」

 ぶんぶんぶん――――必死に頭を縦に振る。神代……じゃない!――こんなときに三馬鹿に祈ってどうするっ――神よ!









同時刻 国連軍横浜基地PX



「へっくしん!」
 
「うわ! なに? もう、食事中にきったないなぁ」

「風邪でもひきましたかぁ?」 









同時刻 国連軍横浜基地 副司令室


「っくしゅん!」

「――大丈夫、ですか」

「ん、なんでもないわ。どうせどっかの馬鹿が私の皮肉でも言ってるんでしょ」

「そうですか……」

「なによ〜社? その納得の仕方は」

「――深い意味はありません」

「なぁに、あんたまだアイツを勝手にあっちへやっちゃったの根に持ってるの?」

「……別にそんなこと、ないです」







 ――――なんか南西の方角からくしゃみが二つ聞こえた気がする。

「そう……わかった、信じる」

 お? よし、最悪の事態は回避か?
心の中でガッツポーズを取りながらホッと胸をなでおろす。
俺は勝ったぞ純夏……ってそういえば、あっちの世界でみんなで温泉に行った時にもこんなことがあったな。
あの時お前は、恥ずかしいのを必死に我慢して俺に訴えてたんだよな……今思えば、なんでそんなことにもすぐに気づいてやれなかったんだ。
――いや、違う。わかったはずのに、わかるのが怖くて逃げたんだ。――情けない。
こっちで全てが片付いて、元いた世界に帰った時どの時間に戻るのかはわからないけど、今度はお前の気持ちから逃げないからな、純夏……

「武?」

「え? あ」

 声をかけられて我に返った。
少しボーっとしてしまったらしい。いかんいかんと思いながら振り返――

「こら! こっちむくな!」

「え? あ、ああ! すまん!」

 ――純夏の記憶に気を取られて、現状のことがすっかり飛んでいた。
つい先日までは冥夜のことばっかり考えてたのに、思い出したら出したでとたんに純夏でいっぱいいっぱいになるなんて、俺って……。
何となくブルーになる気持ちを押し込める。とにかく、今の状況からさっさと脱出することが先決だ。

「それで、なんであきらがここに?」

「ああ、それはね……ううん、着替えてから説明するよ。だから向こうの部屋で待ってて」

「あ、ああ、そうだな。わかった」

 そうだよ、さっさと部屋から出ればよかったんじゃないか。そんなことに気づかないなんて、なにやってんだ俺。
心の中で壁に手をついて反省し、とりあえずこれで危機は去ったとほっとしたその時、

「さっきからなにやってんだ? なんだか騒がしいがネズミでも出――」

 資料室への扉が開いて、向こうで休んでるはずの城ニが入って来た。
コイツも俺と同じく、俺の後ろでバスタオル一枚でうずくまってるであろうあきらを見て思考が固まったようだ。

「も〜〜〜っ! はいってくるなぁ〜〜〜〜っ!!」 

 ――――どがしゃぁ!!

「べんだぶるっ!!」

 俺の頭の横を掠めて飛んでいった電気ポットを顔面に受けて城ニが沈んだ。
城ニ……おまえ、病院の時といい何でそうタイミング悪いんだ……もって産まれた才能って奴か?

「もぅ! さっさとそれ持って出て行く!!」

「サーイエッサー!」

 それ、ってのは多分ポットじゃなくて城二のことだろう。
俺は背後に向けて敬礼し、顔面にポットを乗せて屍と化している野郎を引きずって宿直室を脱出した。

















12月18日 19:50 帝国軍情報省内第四資料室



「ん……むぅ」

「お、気がついたか?」

 あきらを待つ間、空いてるソファに転がしておいた屍が目を覚ました。

「――今何時だ……」

「まだお前が撃沈してから10分もたってないよ。こんなもん顔面に食らってよくこんな短時間で復活するもんだ」

 城ニをノックアウトしたポットを見る。頑丈さだけは折り紙つきか?
とりあえず飲むだろうと思い、そのポットから城ニの湯飲みへ湯を落とす。
壊れてないのは俺が既に淹れて飲んでるお茶で証明済みだ。

「いつつ……そうか。いきなりあきらになんかぶつけられて……ったく、何しやがんだあの野郎」

「まぁ、見てはいけないものを見てしまったってことだ、お互いにな。ほら、お茶」

 湯気立つ湯飲みを城ニの方へまわす。

「おう、サンキュ。あちち……で? あきらは?」

「着替えてるよ。もうそろそろ来るんじゃないか?」 

 二人してどこかのんびりと湯飲みを傾けていると、宿直部屋の扉が開いた。
出てきたあきらは俺たちと同じ黒の斯衛制服を着て――え?

「ん、んんっ。ごほん」

 喉の調子を整えてカツっと踵をそろえ、ピッと綺麗に敬礼をきめてあきらは言った。
「改めてご挨拶させていただきます! 本日19:00より斯衛軍特務部隊「八咫烏」に配属になりました伊隅あきら少尉です! 以後よろしくお願いします!」
「「……え?」」

 ――――――俺と城ニの疑問符がハモッた。




                                       ■マブラヴオルタネイティヴ 〜きみしにたまふことなかれ〜  第五話『勇往邁進』  終